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「あいつら……自ら風下に移動するとか、逃げるつもりでいるのか?」
敵船の船長――チャールズはオーランドの船を見据えながらほくそ笑んでいた。
海戦は風上の取り合いのようなものだ。いつもは風上をとるために何日も費やするというのに、今回は相手側の船があっさりと風下へ逃げてしまったため、簡単に風上をとれた。風下へいったということは逃亡しか選択がない、戦闘になれば高確率で負けるのだから――チャールズは相手に戦闘の意思がないと判断し、先手にでようと目論んだ。逃げるだけの相手を追い詰め、撃つ。そして、徹底的にすべてを奪い尽くし沈める。略奪を生業とする海賊にとって、これほど愉しいことはない。
「……にしてもこの天候はひどいな」
「開口部、閉めてきます! 浸水したら大変だ!」
「おう、任せた」
風下側にある砲門から浸水したらめんどうなことになる。嵐が近づいてきて船が傾きはじめたため、砲門の開口部は閉めなければいけない。
波に揉まれ、しばらく海を進み――狙撃手が叫ぶ。
「船長! そろそろ射程距離にはいります!」
「よし――仕掛けるぞ……いや、まて。今は大砲を閉じている」
「あ、そうだ……じゃあ近付いて乗り込んでいきます? どうせあっちも大砲は使えないはず――」
「――おい!」
荒波のせいで大砲が使えない、そう判断した船員たちが……突然の大きな音に驚きの声をあげる。船のすぐそばで大きな水しぶきがあがったのだ。
「……撃ってきやがった!」
「まさか……だってこの天候じゃあ……!」
「いや……風下にいるあいつらは、開口部を閉じる必要がないから……撃てるんだ」
「なんだと!? ……まさかあいつら、それを狙ってわざと風下にいったっていうのか!」
「――よし、あいつら撃ってこない! このまま落とせ!」
ウィルの予想通りに大砲を撃てなくなってしまった敵船の様子に、オーランドたちの士気があがる。この調子でいけば、勝てる。……しかし、油断はできない。悪天候に船が揺れる中、大砲の命中率は著しくさがる。それに、もしも命中したとしても浸水するまでには時間がかかる。射程範囲に入っている今、浸水するまえに敵船が近付いてきて乗り込んでくる可能性はおおいにある。
「……くそ、あいつらなかなか……!」
大砲が思うように命中しない。そう藻がいているうちに、敵船が近づいてくる。
「あっちから撃ってこないのはいいが……だめだ、こっちの攻撃もあたらない!」
「船が壊されないだけマシか……近づいてきたらこっちから敵船に乗り込むぞ。準備しておけ」
船内が慌ただしくなりはじめた。ウィルも戦う準備をしながら、ふと思い出したように走り出す。椛だ。戦闘員ではない彼は、いまどこに。
甲板にでていないところをみると、内部のどこか。ウィルがあちこち走り回って見つけたのは、船の奥のほうにある、もしも敵が乗り込んできたとしてみつかりにくい場所だった。
「椛……!」
「ウィル!」
椛はウィルが部屋にはいってくるなり、弾かれたように顔をあげウィルの名を呼んだ。待っていた、そんな顔だ。椛はタオルをもってびしょ濡れのウィルに近づいてゆく。息をきらした様子のウィルの髪をタオルで拭いてやりながら、椛は話す。
「ウィル……すみません、僕は戦えません」
「……だろうな」
「ただ捕らわれてきただけなので戦闘には慣れていないんです。敵の前にでていったところで、人質になったりして足手まといになるかもしれない。……それに」
「よし、椛はここにいろ。俺たちは敵船に乗り込んでいく。なるべく、こっちの船には敵がこないようにするから」
「え……」
安心させるように椛の髪を撫でながら、ウィルはそう言った。しかし、その言葉に椛はぴたりと固まってしまう。
「……俺「たち」って……ウィルもいくつもりですか……?」
「? あたりまえだろ」
「え、だって……」
「たしかに俺はこの海賊の仲間じゃないけど、負ければオーランドが死ぬ。だから俺もいかなくちゃ」
「そ、そうじゃなくて……!」
椛はばっと後ろを振り向いた。その視線の先には、机。そしてその上に乗っている、時計。この位置からは見えないが、先ほど椛が確認したときーー時計の針は、19時をこえていた。そう、もうすぐ日没の時間。このままウィルが戦いに出向けば、戦闘中に動けなくなってしまう。しかもそとは分厚い雲のせいで、日没を視覚で確認することが難しい。ウィルが日没を認識できず、敵にやられてしまう可能性がある。
「ウィル、だめです……もうすぐ、――う、」
ウィルは時刻に気付いていない。そう思ってそれを伝えようとしたその瞬間――椛を強烈な頭痛が襲う。
――ジ
砂嵐のなかのような、鮮明さを失った視界。そのなかに、傷だらけの子供がうずくまっている。彼の側には酒瓶が転がっていて、口からキツい香りの酒が漏れていた。椛が呆然とその少年を見つめていると、彼はぱっと顔をあげて呟く。
「ココデ彼ヲ引キ止メタラ、彼ハ笑顔ヲ失ッチャウヨ?」」
――ジジジジ
「……椛? どうした、大丈夫か?」
「あ……ウィル」
名前を呼ばれて椛が覚醒すると、ウィルが心配そうに顔を覗きこんでいた。さっきのは? ウィルを引き止めるなっていいたいのか? だって、このまま出て行ったらウィルは確実に……
「……あ、あの……危ない、ですよ。ウィル、最近ろくに栄養もとっていなかったでしょう……急にあんな海賊と戦えるとは思えない……」
ぼんやりと、止めてみる。日没が近づいている、その決定的事実を言わないのは、さっきの不可思議な映像に不安を覚えていたからだ。椛が自信なさげにそう言うと、ウィルはきょとんとした顔で椛をみつめた。
「危ないなんてわかっている。それでもいくんだ」
「……なんで」
「ここでいかないで、もしもオーランドが死んだら……すごく後悔する。たとえ俺の命が助かっても、それじゃあ俺は……」
「……!」
――そうだ、自分の目的は。ウィルの幸せを願うこと。ここでウィルを引き止めて、彼が生き残ったとして……ウィルは幸せになれないだろう。ウィルには生きていてほしいと思うけれど、笑えなくなったウィルをみるのは、彼が死ぬよりもきっと辛い。
「……ウィル、無茶はしないでください」
「さあ、どうだろう」
「……生き残るんです! 絶対に! 今はまだ、死ぬときじゃない!」
「ああ……まだ、詞も完成していないし。わかってる、死ににいくんじゃない、大切な人を守りにいく」
に、とウィルが力強く笑った。
――あ。
椛はふと思い出す。幼いころ、強く笑った、太陽の下のウィル。恋心に揺れ、苦しみ……それでもやっぱり根幹は変わっていない。自分はこの人に、惹かれたんだ。
「……!」
椛は軽く、ウィルに口付けた。触れるだけの、それ。すぐに彼から離れて、椛は言う。
「――ご武運を」
キスに少しだけ驚いた様子のウィルだったが、ぎこちない敬礼とともに激励をくれた椛に、笑ってみせる。
「ああ、ありがとう」
ウィルは椛の髪をくしゃくしゃと撫で、敬礼をしている手にそっと触れる。
「……手のひらは、内側な」
「あ、」
優しげな瞳に、彼の生還を祈った。
部屋をでてゆく彼の背中を、椛はずっと見つめていた。
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