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*** 「少し風が強くなってきたな」  次の島まであともう少し。そんなころ、空に分厚い雲がかかり、風が強まり始めた。甲板にでて海の様子を眺めていたオーランドも、少し顔をしかめている。あまり強くならなければいいが……そんな表情に、ウィルも不安を覚えた。 「あ……お頭お頭! あれ……海賊です!」 「海賊……?」 「旗が……政府のものではないです、髑髏の……」 「髑髏ね、いい趣味してやがる」  望遠鏡を持っていた船員が、オーランドのそばに寄ってくる。オーランドは望遠鏡をのぞくと、舌打ちをして頭を掻いた。 「この風だからな……上手く逃げられればいいが」 「たしかに……雨なんて降られたら弾薬が湿って使い物になりませんしね。戦いは避けたい」 「あ……あの船」  オーランドから望遠鏡を奪って船を確認したウィルが、ぼそりと呟く。 「……最近、海軍の中で話にあがっていた海賊の船だ。逃げきれればいいけど……」 「ウィル? どういうことだ」 「船の装備がまず頭一つ抜けていると言われている。海の上での速度も、おそらくあっちのほうが上だ」 「じゃあ……」 「先手をとって戦うも、逃げるも。生き残れる確立はきっとあまり変わらない。判断を間違えれば全員、海の藻屑になりかねない」 「どうする。この天候だ、船の性能がであちらが優っていたとしても、逃げ切れる可能性がないわけじゃない」 「気付かれる前に、逃げるか……」 「あ……!」  少し遠くのほうで、海が大きく飛沫をあげた。件の海賊船が、大砲を発射したのだろう――つまるところ、威嚇射撃である。 「気付いたぞ!」 「しかもあいつら……俺たちをとりにくるつもりだな」 「あの威嚇、これから攻撃しかけます、の合図かよ。くそ、」  騒ぎ出す船員たちがオーランドの指示を仰ぎ出す。オーランドは隣に立っているウィルをちらりと見つめた。なるべく、勝機の薄い戦闘は避けたいと思っていたのだ。大切な人がいるから。しかし、もう逃げられない。どうするか――悩むオーランドに、ウィルがぼそりと囁く。 「……俺も戦える」 「あ?」 「……おまえら海賊の味方をするわけじゃない。オーランドを守るために、戦うって言っているんだ。それから、俺はまだ死ぬつもりはない」 「でも……!」 「一応士官学校はトップの成績で卒業して、ここまでの地位にのぼりつめた。腕に自信がないわけじゃない。俺の心配なら、いらない」  淡々と言うウィルを、オーランドは凝視する。落ち着いた眼差しで、海を見据えるその姿は、軍人そのものだった。恋人としてばかりみていたから忘れていたが……ウィルも、海で戦う男のひとり。 「……船長。指示を」 「……っ、」  ウィルの瞳が、オーランドをとらえる。オーランドは一呼吸おき、そして――叫ぶ。 「――戦闘準備だ! 敵を落とすぞ!」  わ、と船内が沸く。  負けるわけにはいかない、負ければ大切な人を失う。いつも以上の緊張が、オーランドを襲った。 「船長! 風上へ移動します!」 「ああ……!」 「待て……!」  風の向きを読み、船を風上へ移動させる……それが、海の上での戦いの基本だ。風上をとることができれば、敵を叩くことも回避することも可能になる。さらに、風下となってしまった場合、風によって船が傾き、船底を敵の砲台の前にさらすことになり、浸水のリスクを背負うこととなる。そのため、風上をとることが、まず、勝利への第一歩となるのだ。  しかし、ウィルは風上をとろうとした船員たちをとめた。怪訝な顔をする彼らに、ウィルはひとこと、言う。 「風下だ。風下をとるぞ」 「……はあ?」  ウィルの言葉に船員たちは瞠目した。風上をとることができるかが勝敗を分けるというのに、何を言っているのだと、驚愕しているのだ。船員のひとりが、怪訝な顔つきでウィルににじり寄る。 「……おまえ、どういうつもりだ」 「……どう?」 「おまえ、元海軍だろ。そして俺たちはおまえの部下を殺した。……もしかして、間違った指示をだして俺たち全員沈めるつもりじゃねえだろうな」  瞬間、その船員の体がひっくり返る。ウィルが押し倒したのだ。ウィルはそのまま彼に馬乗りになって、髪の毛を掴み冷たい目で見下ろす。ぎょっとしたオーランドがウィルを止めようとしたが、次にその口から吐き出された凄みのある声に、思わず動きを止めてしまった。 「……俺を、バカにしているのか」 「だっておまえは、海兵だろ! 俺たちの味方じゃない!」 「ああ、俺はおまえたちの味方なんかじゃない。でも、たとえ誰の側につこうと、負けるための戦いなんて絶対にしない、俺はずっと、勝つために、誰かを守るために戦ってきたんだよ!」 「……、」 「……大切な人を守れる男になれって。義父さんから教わった」  ウィルは立ちあがり、男を解放する。某然と見上げてくる男に、ウィルは朗々と言った。 「……風下をとるという選択に絶対的な自信があるわけじゃない。どの選択が正解か、そんなもの勝つまではわからない。もちろん、根拠もなしにはいっていない。ただひとつの選択肢として、俺は提案しているだけだ。最終的な判断は、オーランドに委ねる」  オーランドはぐっと黙り込む。自分を真っ直ぐに見据えてくるウィルを見つめ、問う。 「……なんで、風下をとる」 「……酷い悪天候の場合、風上をとった船は風の傾きによる浸水を防ぐために下層甲板にとりつけられた大砲を使うことができない。でも、風下にきた船はその心配がない」 「……この天候が、どう変わるか。その予想によって風上か、風下か。それを判断しろってことか」  海を見つめる。強くなり始めた風に波が煽られている。この程度の風ならば風下をとれば不利になる。しかし天候がさらに悪くなったなら、風上が不利となる。 「……ウィルは、風下をとるって言ったな。天候が悪くなるって確信しているのか」 「……まさか。天気を完全によむことなんて、できない」  ウィルが再びオーランドの隣に立ち、その体で風を浴びる。強い潮の匂い、生暖かく湿っぽい風。ぱさぱさと靡く髪を手で抑えながら、ウィルは敵船を瞳にとらえる。 「今までの経験と、勘。根拠のないものを判断できるのはそれだけだ。ギャンブルと変わらない。たとえ賭けているものが金であろうと命であろうと……頼れるのは経験と勘だけ。赤か黒か、風上か風下か。たったひとつの決定が、すべてを決める」 「……聞くが。俺の判断に、命を預ける覚悟は」 「あるよ。海に生きる俺たちは、信頼した人に命を賭けることを厭わない」  強い風が頬を殴る。オーランドが判断を煽る仲間たちに顔を向ける――

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