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追憶・桜の花19

*** 「柊様、お酒強いですね」 「別に、普通だ」  柊を後ろから抱きかかえるようにして、群青は彼にお酌をしていた。今日は大晦日だ。あと少しで、年が明ける……そんな時間。二人はのんびりと酒を飲んでいたが、思った以上に柊は酒に強かった。以外な一面があるもんだと、彼についてひとつ知識が増えて、群青は嬉しくなった。 「本家をでてから、誰かと一緒に年を越すのは初めてだ」 「……これからは、ずっと俺と一緒に年を越しましょう。来年も、再来年も……ずっと」 「うん。……あのさ……群青」  柊はおちょこを置くと、群青と向き合った。至近距離で見つめられて、群青はどきどきしてしまう。柊も、自分でそうしておきながら顔を赤くしている。 「……ごめんな、色々と待たせて」 「……? なんのことです?」 「年を越す前に……口付けをしてくれないか」 「えっ」 ――えっ? ――えええええ?  な、何を言っているんだこの人は、口付け? 口付けって、唇と唇を合わせるアレでいいんだよな? え? いいの? していいの? したい! え? めっちゃしたい! 「し、します! よろしくお願いします!」 「……ふっ……なんでかしこまるの」  群青は、がしりと柊の肩を掴んだ。そうすると、柊も急に緊張してしまったようだ。ガチガチに固まりだして、一気に顔を真っ赤にさせる。自分から言っておいて、やはり、いざするとなると恥ずかしいらしい。 「あっ……え、っと……ちょっと待って。心の準備」 「あ、……はい、……お、俺もちょっと、やばいので、……ええ、一旦休憩しましょう、はい!」  二人で顔を逸らして、はあー、と大きく息を吐いた。一呼吸置き、もう一度向き直る……が、そうするとまた心臓が高なって動けない。どきどきしすぎて、くらくらしてくる。もう一気にいったほうがいいんじゃないかと思っても、視界が揺れてきてそれすらもできそうにない。 「こ、こういうのは、雰囲気でいくべきなんですよ、こう、「やろう」って言ってやるとなると、ほら……こうなっちゃうから!」 「でも、今……して欲しい、……して欲しい、んだけど……ご、ごめん……」 「俺だってめっちゃしたい! っていうかもうずっとしたかった! します、しますからね! ほら、柊様! 目を閉じて!」  じっと、群青がやけになり気味に、柊を見つめる。柊も覚悟を決めたのか、ぎゅっと目を閉じた。かたかたと震える手で、群青の着物を掴む。じりじりと顔を近づけ、ゆっくり、ゆっくりと…… ――ごーん 「……」 「……除夜の鐘、かな」 「……と、年越しちゃったじゃないですか!」  今回の二人の口付けを阻んだのは、除夜の鐘の音だった。無視してそのまま唇を重ねてもいいのだが、集中が途切れてしまって、群青は力尽きたように柊にもたれかかってしまう。 「……はあー、もう……あけましておめでとうございます」 「うん……あけましておめでとう」  糸が切れたように、群青は笑い出した。柊もつられたように、くすくすと笑う。もう三回も口付けに失敗している。ここまでくると面白くなって、二人は抱き合いながら肩を震わせて笑った。 「除夜の鐘って、百八の煩悩を祓うためにつくんですよね」 「そうだね」 「……あ、そうだ。柊様、俺の煩悩、百八個、聞いてください」 「そんなにあるのか?」 「ありますよ。百八じゃあ足りないくらい。……ああ、でも煩悩っていうか……俺のお願いごとかな。相手の承諾をもらっていない、お願いごと」 「?」  群青は体勢を整えると、しっかりと柊を抱きしめる。そして、静かに「煩悩」を言い始めた。 「朝起きて、一番に柊様の顔をみて「おはよう」って言いたい。俺のつくった朝食を柊様に「おいしい」って言ってもらいながら食べたい。毎朝の掃除を柊様が満足いくように完璧にこなしたい……」 「え……」 「……春がきたら、柊様と桜を一緒にみたい。桜餅をつくって一緒に食べたい。一緒に山まで行って雪解け水を汲みにいきたい……」 「……群青、」 「……夏がきたら、また夏の祭りに一緒にいきたい。もう一度、あのまずいりんご飴を二人で食べてみたい。夜に、虫の鳴き声を一緒に聞きたい……」 「それ、お願いごとっていうか……」 「……秋がきたら、柊様と金木犀の香りを嗅ぎながら散歩をしたい。一緒に紅葉狩りにいきたい。団子をつくって、二人で月見をしたい……」 「……あたりまえの、日常……」 「……冬がきたら、一緒に雪だるまをつくりましょう。一つの傘をさして、二人で雪のなかを散歩したい。柊様にこっそり襟巻きをつくって、柊様を驚かせたい……」  群青の言っていることは……きっと、皆にとっての「あたりまえ」のこと。あたりまえの日常だ。群青はつらつらとそれらを百八個言ったかと思うと、「ああやっぱりまだあるな~」と呟いて、ぎゅっと柊を抱く腕に力を込める。 「……俺の、日常のなかに……柊様がいて欲しいんです。あたりまえのように、隣にいて欲しいんです……それが、俺の……願いです」 「……群青、」  ぽろ、と涙が頬を伝う。柊は涙を流しながら、群青に縋りつくように抱きついた。  今までの「あたりまえ」は、「日常」は……一人だった。それなのに、群青は二人でいることを「あたりまえ」の「日常」でいて欲しいと願ってくれた。 「……群青。僕の、……願いを聞いて欲しい」  柊は震える声で、言う。 「……僕と、妖怪のおまえでは……生きられる年月が違う。きっと僕は、あと精々三十年くらいしか生きられない。おまえの生きている間に、死ぬだろう。……おまえを悲しませることになるって、わかっている……わかっているけど……お願いがあるんだ」 「……はい」 「……僕が生きている間だけでいい。僕を、群青にとっての一番にしてくれ」 「……、……はい……柊様」  柊の勇気を振り絞った告白。それだけで、群青は泣いてしまいそうになった。  柊が体を起こす。二人は、見つめ合う。 「……柊様。もう一つ、俺の願いをきいてくれますか」 「……うん」 「……俺の、恋人になってください」 「……っ」  柊が口に手を当てながら、泣きだした。「はい」と何度もつぶやいて、ぼろぼろと涙をこぼした。 「愛しています。大好きです。貴方のことを、何よりも想っています」 「……僕も……群青のこと、好きだ。……こんなに、人を好きになったのは……初めてだ」 「……柊様」  静寂が、訪れる。交わした視線に、熱がこもる。とくとくと心臓が鳴っている。  目を閉じた。そして、言葉もなく――唇を重ねた。 「……」  触れ合うだけの、短い口付け。それでもおかしくなってしまうくらいに、胸が満たされた。唇を離すといっぱいいっぱいになった柊が、くたりと体を群青にもたれかかせてくる。 「……とうとう、しちゃいましたね」 「……うん」 「どうでした?」 「……どきどきしすぎて、おかしくなりそう」 「……俺も」  柊がくすくすと笑い出した。愛おしくて愛おしくて、群青は柊を掻き抱く。もう一度口付けをしたいと思ったが、耳まで真っ赤にしている柊をみると、無理強いはできない。一度唇を重ねるだけでも、彼はものすごく緊張しただろう。体の力が抜けたように群青に抱きついてくる彼をみれば、それは一目瞭然。  でも、やっと気持ちは繋がった。これからは今まで以上に幸せな日々が待っている。そう思うと群青は、にやけを抑えることができなかった。

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