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追憶・桜の花26
***
「ちょっと待て、落ち着こう、な!」
突拍子もなく紅に襲われかけた群青はひどく動揺していた。出会ったばかりの少女に体を慰めてあげましょうなんて言われて、流石の群青も冷静ではいられない。ためらいなく着物を脱ごうとしている紅の手を掴み、慌てたように叫ぶ。
「あの! 浮気になるんで! ほんと、結構ですので!」
「浮気? 浮気にはなりませんよ?」
「なるだろ! 俺は柊様と付き合ってるって知ってるんだろ!」
「だって私は道具ですもの。道具を使って性欲を解消したところで、浮気にはなりません」
「……道具?」
紅は淡々と、自分を「道具」だと言ってのけた。しかし、群青にはその意味がわからない。紅はどこからどうみても、命を持った妖怪である。
「私は殿方の欲望を解消するためだけに存在する道具です。私と何をしたところで……誰も、なんとも思わないでしょう」
「……いや、おまえ、妖怪だろ。道具なんかじゃなくねえか」
「妖怪……ですけど、そういう役割を、もった道具として生きているんです」
紅がそっと群青の手を払う。そして、自らの着物に手をかけた。するすると、肌が露わになってゆく。群青は、それから目が離せなかった。首筋に散る大量の鬱血痕と縛った痕のようなもの、そして胸元には嬲られた痣のようなもの。
「……ほら、みんな、こうやって私を扱っています。だから、群青様も……」
「……誰が、こんなこと……」
「これは……宇都木の屋敷の皆様全員です。血族から使用人まで、全員のお世話を私がしています」
「全員……?」
使用人を抱えるほどの屋敷なら、大勢の男がいることくらい予想がつく。その全員の世話をしていると聞いて、群青は血の気がひくのを感じた。惨(むご)すぎる、紅の体に散る痕と併せて、そう思った。
「……おかしいだろ、そんなの。無理やり式神にでもされられたのか? それで抵抗できなくて……」
「いいえ。私が宇都木の式神になることは、双方の同意のもとに」
「なんで……同意なんて、」
「これが……全ての妖怪と人間のためになるのだと、お兄様が」
「……どんな兄だよ! 妹を売ったっていうのか! いくらなんでも、」
「おーい、紅、帰るぞ!」
紅の言葉が信じられなかった群青がまくし立てるように怒鳴っていると……後ろから、真柴の呼ぶ声が聞こえた。振り向けば、彼と共に柊も一緒にいる。
「……」
この男も、紅をそんな風に扱っているのだろうか。そう思うと、敵意を持たずにはいられなかった。じっと見つめてくる群青の視線に真柴は気づいたらしい。
「どうした、仲良くやってたか?」
「……」
真柴の本性が読めない。柊がいる手前、彼に問いただすことなどできない。
紅は無言ではだけた着物を直し、真柴に歩み寄る。彼女は、屋敷に戻ったらまた男の相手をするのだろうか。そう思うと見送るのは心苦しかったが、自分の立場を考えると群青は何もできなかった。
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