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「え、エリス様……」
ラズワードはぎょっとしたような顔で固まっている。
そんなラズワードの体を、エリスはお構いなしにまさぐった。手は這い上がり、胸元までたどり着くと、そこを愛撫する。後ろから耳を噛んで舐めてやると、ぴく、と体が揺れた。
「んっ……」
「はは、感度は悪くないみたいだな」
「……っ」
ラズワードは目を眇 め、与えられる刺激に耐えていた。唇を噛み締めて声を堪えている様子ではあったが、かたかたと震えるその身体はどことなく色香を発している。ぎゅっと乳首を摘まむ指に力をこめられるとビクリと身体がしなった。
「っ、あ……」
「はっ……いい声でんじゃん」
しかし、エリスがそのままシャツを脱がそうとすると、その手が弾かれた。ほかの誰でもない、ラズワード自身の手によって。
「んー?」
「……お待ちください、エリス様……!」
ラズワードはパッとエリスのもとを離れる。呆然と見ていたハルも、それになんとなくほっとした。
ラズワードはほんの僅か、頬を紅潮させながらエリスを睨む。その表情に少し驚いたように、エリスは笑った。
「抵抗した奴隷は初めてだなぁ。え、何、こいつ。施設の失敗作? ちゃんと調教してあるわけ?」
「……俺は、ハル様専用に作られた奴隷です。……他の人へ奉仕するのは許されません」
「ひゅー、すげーな! 専用奴隷とか見たことないけど、こんなもんなのか! おいおい、ハルどうなの? おまえ専用の奴隷、イイ感じなわけ?」
ケラケラと笑いながらエリスはハルに問う。ラズワードの言った言葉に思考が固まっていたハルは、急に話を振られてびくりと肩を揺らした。
「な……イイ感じって……」
「んだーかーら! ダッチワイフとしての機能だよ! 高い金だして買ったんだ、それなりじゃないなら施設に文句言わねーと」
「ダッ……」
奴隷をただの性欲解消人形としか見ていないエリスの発言に、思わずハルは目を見開く。しかし、今までだってエリスはこのような発言をしてきている。その時はいつも、こんなふうに胸がざわめいたりはしない。ラズワードをそんな風に言われた今、なぜかこうして言いようのない苛立ちが襲ってくるのだ。
また……また、この不快感。
ハルは理由のわからない苛立ちに、嫌悪感を覚えた。ラズワードのことになるといつもこの不快感に捕らわれる。ハルはそれを払拭したくて、頭を振る。
「……使ってない。そんな風には」
「あ、これからだった? 邪魔した? 俺」
「違う、俺はそういう風にこいつを使うつもりはないって言ってんだよ。ハンター代理として買った、こいつはその役目を果たせる。それで満足している」
低い声でそう言い切ったハルを、エリスは冷めた目で見ていた。ラズワードとハルを交互に見比べ、ため息をつく。
「おい、ハル……それ、もったいねぇぞ」
「……別に俺はそう思っていない」
「いやいや、見ていていたたまれないわ。こんだけ綺麗な奴隷、なかなかいねぇんだぞ。高かったんだろ、十分にその機能をフルに活用してやれよ」
「……いや……俺はそんなつもりは……」
頑なにハルはラズワードを性奴として扱うのを拒んだ。ラズワードのためでもなんでもない。自分が壊れないために。これ以上ラズワードのことで頭がかき乱されないように。
エリスはうーん、と唸る。聞き分けの悪い弟に本気で参ったようだった。
「ああ、うん、でももったいねぇよ。いいこと思いついたぜ!」
「……いいこと……?」
「俺が使ってやるよ。おまえの代わりに」
「……え?」
ナイスアイデア! とそんな風にエリスは笑った。一方のハルはただ目を瞬かせて、呆然としている。
「おまえもさ、ハルが許可したならいいんだろ?」
エリスはラズワードの肩を叩いてそう言った。
ラズワードがハルをちらりと見る。心臓がどきりと嫌な音を立てたのを、ハルは自分で感じた。怖いと、思った。
何が?「イエス」その言葉がでてくることが。しかし、ラズワードの口から出てきた言葉は。
「……そうですね。ハル様がいいとおっしゃるのなら、構いません。俺の所有権はハル様にあるわけですから」
「……な、ラズワード」
静かにラズワードは言う。その瞳にはなんの感情も感じない。せめて、ハルに断って欲しい、そんな意思を感じたのなら、ハルはこんなにもショックを受けなかったかもしれない。
しかし、ラズワードは心からそう思っているのだ。ハルがいいと言ったなら、エリスの性欲処理の道具になっても構わないと。
「おう、だとさ。あとはハル、お前の許可が必要なんだけど」
「……」
「いいの? 悪いの?」
「……だ」
だめだ。
その言葉が出てくる瞬間、ハルはぐ、とそれを飲み込んだ。
なぜ。なぜ、ダメなんだ。
その理由がない。
きっとエリスはハルがノーと言ったなら、素直に引き下がる。彼はそこまでラズワードに執着しているわけではない。だから、ハルが断ったところでエリスの機嫌を損ねることもないだろう。
つまりここで「だめだ」という言葉が浮かんだのは、ハル自身の問題なのだ。
なぜ、ダメなんて思ったのだろう。ハルは理解できない自分の感情に恐怖を感じた。
今まで、こうして人に誰かを奪われることなんてなかった。そもそも「奪われる」という表現が当てはまるような、そんな人いなかった。誰かに対して特別な感情を抱いたことなどないからだ。
今、こうして選択を迫られたそのとき。「だめだ」そんな言葉がでてくる理由など、ひとつしかない。
そう、特別な感情を抱いたから。ラズワードのことを、――
「兄さん」
「おう」
「……いいよ。それ、もっていって」
一瞬、頭にはっきりとした感情のようなものが浮かんだ。
ハルは、すぐさまそれを潰した。そうしなければいけなかった。
もし、それをしなければ、壊れてしまう。自分が、壊れてしまう。
だから、言った。「イエス」と。おぞましい感情など存在しない、そう自分に言い聞かせるために。
「だってさ、ラズワード。お前のご主人様がオーケーくれたんだ、いいだろ?」
そうやって、自分にはくだらない感情は存在しないと、それを証明したばかりだというのに。ハルはラズワードを見ることが怖かった。
なぜか、それがハルのなかに存在していたから。ラズワードに嫌と言ってほしいという、願望が。
しかし、ラズワードが言った言葉はこうだった。
「ええ、構いません」
ギシり。
心が軋みをあげる。悲鳴をあげる。
涼しい表情そのままに、なんの感情も感じさせない声でそう言った、ラズワード。
本当に?お前は何も思っていないのか?……俺は、俺はこんなに……
「よしよし、じゃあ俺が見てやるからな。やる気ないあいつの代わりにさ」
「はい」
視界がグラグラと揺れだして、言葉もでてこない。不快、そんなものじゃない。体中の内蔵が逆流して口からでてくるんじゃないか、そんな錯覚を覚えるほどの吐き気。
この感情の名を知ってしまったら、どうなる?怖い、怖い。自分が自分でなくなる。
なんの悪びれもなく笑っているエリスの声が反響する。エコーがかかりすぎて、何を言っているのかわからない。ぐるぐると回る視界でなんとか確認できたエリスの口元の動きで、かろうじて何か言葉を発したのだと判断できるくらいだ。
手を引かれ、ラズワードが連れられていく。手を伸ばそうとしたが、体が動かない。
まってくれ……いくな……
「ハルー、じゃあお休み。疲れているんだろ、ちゃんと休んでおけよー」
「……ハル様、おやすみなさい」
せめて、せめて……
もう一度、振り返ってくれ。
二人が部屋から出ていく。ハルは結局、なにも言うことができなかった。
扉が閉められ、その音が虚しく響いた部屋の中。だらりと腕を伸ばし、ハルは立ちすくむ。机に寄りかかり、なんとか立っていられる。
最後のラズワードの後ろ姿を思いだし、ハルはまた、吐き気を催した。痛み出す頭を抱え、座り込む。
残像が、焼きついている。
振り返ることなく、この部屋を去っていった、ラズワードの後ろ姿が。
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