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「……世界が平和になるときは、くると思うか? 平和の定義を、「世界から悪者がいなくなること」だとして」
「……何……」
「答えはNO。悪者がいなくなるときなんて絶対に来ないからだ。なぜなら本人にその意思がなくとも、全体から見た少数派の者は異端とされ、悪者とされるから」
「……」
「ただし、既に悪者が存在したならば、新たに悪者は生まれない。少数側に回るはずだった人間も、その悪者を避難する多数側に回るからだ」
「……ノワール、様……貴方は……」
黒い瞳は、何を見ている。
「……もちろん例外はあるだろう。既存の悪とまったく別の、多数側からみて受け入れられない価値観をもつような人がでてくる、とか。……でも、俺はその例外だって許さない」
「……それは、ノワール様、貴方が」
「……俺は絶対的な悪だ。他の誰ものが悪になることだって許さない。世界の頂点、闇を支配するもの……なんとでも呼ぶがいい。その名を背負えるのは俺ただひとり。弱者が背負おうだなど考えれば自滅するのがオチだ」
「……だから……だから、貴方は――」
ラズワードはノワールを睨みあげた。
その道理でいけば。おまえは悪を「背負い」、そして他の者にそれを背負わせない、そのために。生きたいのではない。
死にたくないのでもない。
「――だから俺は……「死ねない」」
――そら、みたことか。
おまえは生きたいのではない。死にたくないのでもない。
「死ねない」。
どんな経緯でそんな義務感に囚われるようになったかしらないが、それはおまえの意思ではないということだ。聡いだの最高の頭脳を持っているだの言われているおまえも、そうした言葉の端に自分の本当の望みが表れてしまっていることに気づかないのか。
馬鹿はおまえだ、ノワール。生きたいと思っている奴は、そんなこと言わない。死にたくないと思っている奴も、そんなこと言わない。
「死ねない」。
そう言うのは――「死にたい」、そう思っている奴だけだ。
「――っ!!」
ノワールがビクリと体を揺らす。動揺に、その瞳は揺れていた。
ラズワードが、ノワールのペンを掴み、自ら眼球に突き刺したのだ。
「……おまえっ……何を……」
「……誰が、「悪」だって? 世界の頂点……闇を支配するもの……まさか、おまえだとは言わないよな? ……こんな……奴隷ひとりが血を流したくらいで動揺するような奴が……全てを背負う……!? 笑わせるなよ、ノワール!!」
「な……」
ラズワードはペンを引き抜き、投げ捨てる。強烈な痛みに意識が飛びそうだったが、歯を食いしばり、眼前の愚者を睨みつけ、なんとか耐えた。言いようのない怒りと苛立ちが湧いてきて、この馬鹿者に全て言ってやらねば気がすまなかったのだ。
「……だったら、さっき俺が首を絞めた時に抵抗しなかった理由をいってもらおうか……! ……どうせ、死ねない、そう言って自分をごまかしてきたお前は、実際に死を目の前にしてそれが欲しくなったんだろ……!! あんなしょぼい抵抗ばっかりみせて……死ぬわけにはいかないとか思っていたんだろうが、おまえは死にたいって欲望には適わなかったみたいだな!!」
「……っ、」
「弱者はおまえだ、ノワール!! 自分の闇に飲まれて死ぬのは、おまえだ!! 背負った重荷に耐え切れなくて圧死するのは、おまえだ!!」
ラズワードは起き上がり、呆然とするノワールを弾き飛ばした。いつもの強さなど破片も見当たらなく、ノワールはいとも簡単に突き飛ばされてしまった。ラズワードはそんなノワールの胸ぐらを掴むと、上から怒鳴りつけるように、叫ぶ。
「ノワール、おまえはその責任感から自分で死ねないんだろう、どんなに死にたくても……!!」
「……ラズ、」
「だったら……!! 俺が殺してやるよ……!! おまえのこと、俺が殺してやる!!」
無事な目から、涙が溢れていた。感情的になって叫んだりしたからかもしれない。ノワールが、いつになく辛そうな顔をしているからかもしれない。
ペンで貫いた目から、血が流れてくる。ノワールは俯き、その髪で顔を隠した。
そして、目を覆うように片手を額に当てた。
「……俺は……」
ノワールがラズワードの手を払う。そしてハ、と息をつくと、立ち上がった。
「俺は死なない……死ぬわけにはいかない……」
「……! おまえ……」
「俺のことをわかったつもりでいるのか……! ラズワード……おまえに、何がわかる……! 俺がどんな思いで今まで生きてきたか……」
ノワールがジロリと睨む。その瞳は、僅か赤らみ濡れている。
「妄言も甚だしい……! 俺は安安と「死にたい」だなんて口にできる立場じゃないんだよ……!」
「……! そう、言っている時点でおまえは……!」
「黙れ!! 無駄口をたたくな……もう休憩は終わりだ!!」
ノワールはそう言った瞬間、ラズワードの腹を殴った。いつもなら絶対にやらない。一方的な暴力など、彼は振るおうとしない。
それほどに、今のノワールはいっぱいいっぱいだ。ラズワードの言葉を否定することで精一杯なのだ。そこまで否定したいほどに、彼の本当の望みは彼の覚悟に相反するものなのだろう。
倒れ込んだラズワードの胸を踏みつけ、ノワールは見下ろす。忌々しげに、涙に濡れた瞳で。
「……ノワール、さま」
そんな表情を見たラズワードは、それ以上そんな彼を見ていたくなくて、目を閉じた。
ノワールが足にグ、と力を込める。その息苦しさに、ラズワードは喘ぐ。目の痛みと、息ができない苦しさと、正体不明の胸の奥の痛みに、ラズワードの意識は遠のいてしまいそうであった。
「――ノワール」
「……!」
そんな殺伐とした空間に、ふと異端の声が響く。ノワールはハッとして弾かれたように振り向いた。
「……ルージュ」
「……失礼。調教の途中だったかもしれないけど、バートラムが呼んでいる。あとは私が引き継ぐから、至急、いってきて」
「……」
牢の外からノワールを呼んだのは、赤いローブに仮面をつけた少女。彼女を目に映したノワールは、どこか安堵したような表情を浮かべる。それは彼女の存在に対するものか。それとも、ラズワードの調教をしなくてすむことに対するものか。
「……了解」
ともかくノワールはラズワードからどけると、そのまま振り向きもせずに牢を出ていこうとしてしまった。ガシャ、と牢を開ける音に、ラズワードは痛む体にムチを打って起き上がり、叫ぶ。
「ま……まて……ノワール……!!」
ノワールは一瞬動きを止めたが、結局最後まで顧みることはなかった。ルージュとすれ違う時に彼が彼女に言った「先に目の治療をしてくれ」という言葉に、無性に腹が立った。ラズワードに聞こえないようにか、小さな声で言ったあたりが特に。
ルージュがヒールの音を立てながら牢に入ってくる。調教を開始する、彼女はそう言った。その後ろに引き連れた、魔獣と思しき化物。おそらく、それにこれから犯されることになるのだろう。
でも、そんなこと、どうでもよかった。これから犯されるという恐怖よりももっと違うものが、ラズワードの心を支配していたから――
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