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「……お、とうさま。こんな時間になにを……」 「ん、ああ。酒の肴にな、美しいものでもみようかと思って」 「美しいもの……が、どこに」 「んん? みればわかるだろう。ラズワードがそこにいるじゃないか」  ワイングラスを回しながらアンドレアは優雅に笑う。レオンは顔を青くしながら口をパクパクと動かしていた。 「あ、あの……アンドレア様……! 私、あの、戻ったほうが……」 「いい。続けなさい」 「で、でも……アザレア様が……アザレア様の前でこんなこと……!」  レオンはアザレアから目をそらし、小さく震えていた。どこかでチラリと噂になっているが、レオンは密かにアザレアに好意を寄せているらしい。レオンが顔面蒼白になるのも無理はなかった。幼い子供を、女装させた男の子を、こうして抱いているところを想いを寄せている女性に見られたのだから。 「レオン。何を恥ずかしがっている。続けなさい」 「な、む、無理です……! できません……だって、」 「……君は何に恥じらいを感じているのかね? 今君は自分が何をしているのかわかっているかい?」 「……わ、私は……今……ら、ラズワード、様を……その……おか、して……います」 「――違う。君は今、芸術の一部となっているのだよ。見たまえ、目の前のラズワードの表情を、その乱れた身体を。美しいだろう、色鮮やかだろう。その額を伝う汗、紅色に染めた頬、唾液に濡れた唇、髪の毛が張り付いたうなじとしなやかに剃る身体。はだけた白くすべやかな肌は桃色に薄く染まって芳しく、そしてなにより――涙に濡れた蒼い瞳は……途方もなく麗しい。……そんな美しさを、君が作り上げているのだよ、レオン。君はこの美しい天使の魅力を引き出している職人なんだ」 ――なにを、言っているの。  驚きよりも呆れよりも、何かの感情が心に浮かぶ前に疑問が頭を埋め尽くした。本気でアンドレアの言っていることが理解できなかったのだ。 「さあ、レオン。続けたまえ。アザレアにも君のはたらきを見せてあげなさい。ほら、見なさい、ラズワードのことを。くだらない恥じらいなんて……すぐになくなるだろう?」 「――あ、ああ……ラズワード様……美しい、本当に、美しい」 「アァッ!? やぁッ!! ひぐッ、ううッ!!」  レオンが大きく腰を揺らす。ソファがギシギシと揺れるほどに激しくラズワードを突き上げれば、ガクガクと彼は揺れた。まだしっかりと出来上がっていない首が今にももげそうなほどに揺れ、長い髪は宙を舞い、ずちゅずちゅと粘度の高い水音が部屋中に鳴り響く。 「あぁぁああッ!! ああぁあ!!」 「ああ、ああ、美しい、美しい」 「あああああぁあああぁぁぁぁあ!!」 「――ッ」  気付けばアザレアは駆け出して、レオンを突き飛ばしていた。訳も分からず吹っ飛ばされたレオンには脇目もふらず、投げ出されぐったりとしたラズワードの身体を掻き抱いた。ボロボロと涙がこぼれていた。 「――なんてことを……なんてことをしているんですか……!! 聞こえないんですか!! こんなに、痛がっているじゃないですか!! 言葉にしていなくたって、彼がやめてほしいってそう叫んでいることくらいわかるでしょう!?」 「アザレア様……いきなり、なにを……」 「……!」  自分がわからなくなった。勝手に手が動き、テーブルに乗っていた果物ナイフをレオンに突き出し、自分でも驚くほどに冷たい声が口からでてくる。 「……頭を冷やしてきなさい、レオン……。自分が何をやったか、もう一度見つめ直して! 自分の罪を理解できるまで、私の目の前に現れないで!!」  はあはあと呼吸が荒くなってゆく。吐き気のするような感情の渦が体のなかで蠢いている。悲しみ、怒り、もうなんと表現したらよいのかわからない、そんなどす黒い感情だった。バタバタと逃げるように部屋をでていくレオンのことも顧みずに、アザレアはラズワードの背中を撫でた。ひくひくと聞こえてくる泣き声に、胸が締め付けられるようであった。 「アザレア……なぜ、私の邪魔をした」 「な、ぜ……!? お父様、何をおっしゃっているの!? こんなこと、許されることではないでしょう!? 無理やりこんな行為を強いること……ましてや、ラズワードはまだ子供です、からだも出来上がっていないのですよ!? アレが……どれだけ彼のからだの負担になると思っているんですか!?」 「……」  す、とアンドレアが立ち上がる。静かに自分の方へ寄ってきて、アザレアは思わず身を引いた。その目が、自分の知っている父の目じゃなかったのだ。欲望と、氷のような冷たさをもったおぞましい色。 「……ッ」  パン、と乾いた音が部屋に鳴り響く。自分が頬をぶたれたのだと気付くのに、アザレアは時間を要した。なぜぶたれたのかもわからずに、だって自分は間違ったことを言っていないはずなのに、アザレアはポカンとアンドレアを見上げる。 「――アザレア。おまえはラズワードを人間だとでも思っているのか? ……違う、ソレはワイルディング家最高峰の出来の『青い鳥』だ。おまえは未だかつてこんなに美しい生き物を見たことがあるかい? 私の生きている間にコレを拝めて私は誇りに思っている。その美しさを引き出すのが、ワイルディング家当主たる私の役目だろう?」 「『青い鳥』……初代当主・ザカライアの詩……」 「そうさ。私は青い羽を梳かしてあげるのだ。飛び方を教えてあげるのだ。そして私のもとへ舞い戻って空の香りを届けてくれる。コレの本当の美しさを私が作り上げるのさ」 「――間違っています。それは、間違っています」  アザレアはアンドレアを睨み上げる。その腕にラズワードを抱いて。 「ザカライアはそんなことを詠ったのではありません。私たちに出来ることは彼を閉じ込める鳥籠の鍵を開けてあげること。飛び方は自分で覚えるのです。空を香りを届ける人を、自分で決めるのです……!」 「は……何を、アザレア。おまえに何がわかるというのだ、ソレの価値のなにが……! 見よ、今のラズワードの美しさを! その能なしがどうやって自分の価値を知るというのだ! 放っておいたら宝の持ち腐れになるのが目に見える」 「……美しい? 今の彼のどこが? こんな望んでもいない格好をさせられ、男であるというのに抱かれる側にたち、……こんなに痛がっている彼のどこが? 自分の意思を持たない者ほど醜い者はありません。彼が美しいというならば、彼が羽ばたいた時。翼をもつ意味を知ったとき。彼自身が自分の存在理由を知り、それを全うしたときです!」  はあ、と息を吐き、ラズワードを抱きかかえてアザレアは立ち上がる。しっかりと彼の肩を抱き、アンドレアを真っ直ぐに見据え。 「――失礼します。きっとこの家にいるものは鍵をもっていないでしょう。私が開けてみせます。……彼の本当の美しさは、彼がつくりあげるのです」 「……」  一瞬の無言。アンドレアは何を思ったのか。それを汲み取ることもできないまま、アザレアは部屋を出て行った。

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