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「――これよりワイルディングの敷地は神族の管轄下に置きます」
黒いスーツを着た神族が数人、ワイルディングの屋敷の中に蔓延っていた。使用人たちは前日のうちに解雇されていて、今屋敷内にいるのはワイルディングの血統の者だけであった。
――数日前、アンドレアとジュリアンナが亡くなった。そこでワイルディング家の運命は決まっていた。正式にワイルディングの権限をワイルディングの血を引く者に譲渡していなかったし、何より資産が尽きかけていた。ワイルディングの滅亡の日がとうとうやってきたのだと、その時は失意のどん底に突き落とされたのを覚えている。アザレアとレイは神族の姿が見えた瞬間に、血の気が引くのを覚えた。
「あの……これから私たちはどうすれば……」
アザレアは恐る恐る神族の中に紛れ立っている赤いローブを身につけた女性に尋ねる。彼女はルージュ。神族の権限の全てをノワールと共に背負う者だ。
「貴女たちがこれから行く場所は私たちで決めています。残念ながら、これまでの生活とは全く考えられないような環境へ落ちることになりますが」
「……そう、なんですか」
「貧民街を知っていますか? 天界の最も外側に街を囲むように存在するスラムです。没落した貴族が普通の都市で働くことは……あまり貴女方にとって良い環境とは思えないので、これから貴女方にはその貧民街へ行っていただきます」
ルージュの言葉にアザレアは特段驚くことはなかった。もちろん貧民街へ行きたいなどとは思っていなかったがある程度予想していたことである。それが最も妥当な処分だろう。
「働き口も私達で手配してあります。まず、レイ様は第一貧民街管理局の衛兵で――」
「ちょっとまってください」
「……なにかご不満でも?」
ルージュの言葉をレイが阻む。そうすればルージュは心底不思議そうな声をあげた。それというのも、管理局というのは貧民街に位置しながらもその権限は中心街を統括する場所となんら変わりない、貧民街の中では最も環境の良い場所だからだ。しかも第一貧民街といえば貧民街の中でも極めて治安の良い地区とされている。
「あの――ラズは、ラズワードはどうなるんですか」
「……レイっ……」
レイの言葉にアザレアはふと叫ぶ。既にわかりきったようなことなのだ。改めて聞くことなどないと、アザレアはレイに制止をかけたのである。当の本人であるラズワードも端の方で顔色を変えることなく、諦め切った様子で神族の返答を待っていた。
「ラズワード……水の天使ですね。ここまでよく免除金を納付していただけた、とい言いたいところですが……もう貴方方には免除金を払うことはできないでしょう。規則どおり、施設にて奴隷と――」
「まってください! まだ、今月の納付日は来ていないはずです!」
「……でも、払えるという希望はないでしょう? ワイルディング家の財産が尽きたから私たちは来たのですよ?」
「希望がないなんて……まだ、まだ日にちはあるじゃないですか……! ルージュ様、一つ、お願いがあります。俺を……俺を、ハンターにしていただけませんか!? レベル4を狩り続ければ……ラズの免除金を払うことは不可能ではないはずなんです……!!」
「――ちょっと……レイ!?」
レイの言葉にアザレアは焦ったように叫んだ。ラズワードも驚いたように目を見開いている。
――前に止めたはずなのに……!
「に、兄さん……」
震えた声でラズワードがレイを呼ぶと、レイはくるりとラズワードを顧みた。いつも無意味に暴力を振るわれたり強姦されていたラズワードは思わずビクリと身動ぎする。レイはそんな様子にお構いなしにラズワードに近づいていくと、そのまま抱き寄せた。
「……!」
身を縮こめて、ラズワードは息を飲む。レイが何を考えているかわからなくて、ラズワードは不安気にレイを見上げるも、レイが再びラズワードを見つめることはなかった。ラズワードを抱き寄せた体勢で神族を真っ直ぐに見据え、叫んだのだ。
「ラズワードは――俺の弟です! お父様とお母様が大切に守り抜いた人です!! お願いします、俺にチャンスをください……!! ハンターになる資格ならあるはずです……! 必ず、貴方々に貢献してみせます、だから、どうか……どうか、俺をハンターに……!!」
「兄さん……?」
ラズワードは呆然とレイを見つめる。そしてハッと我に返ったようにレイの胸元にしがみつき、言う。
「……待って……兄さん、待ってください……! ハンターは、とても危険な仕事です……しかもレベル4なんて……!! いくらお父様とお母様の意思だとしても……それは……!!」
「……うるせぇ、黙ってろ」
「でも……俺を守るために兄さんの命までかける意味はありません……!! 貴方がそうしたいわけではないのでしょう!? それなのに、貴方は俺のことを憎んでいるっていうのに……俺のために死ぬっていうんですか――!?」
「ウゼェって言ってんだろ!!」
レイが血でも吐くのではというくらいに大声で叫ぶ。さすがにラズワードは黙り込んでしまって、一瞬辺りは静まり返った。
「レイ様……一つ、お尋ねします」
そんな中、ルージュは清廉とした声で言う。
「ハンターと言うのは、ご存知のとおりとても危険な仕事です。ですから、それになるにあたって一つ決まりがあるのです。――『自らの意思でハンターの名を背負うこと』。誰かに「させられ」て死亡されたのではその人が報われないでしょう? ですから、ここに一つ、問うべきことがあるのです」
「……ッ」
「レイ・ベル・ワイルディング――貴方は自らの魂に誓って、ハンターの名を背負いますか」
ルージュが言い終わると、レイは間をおくこともなく彼女の前に跪いた。屋敷の中だというのにどこからともなく風が吹き、ルージュの赤いローブを揺らす。レイは左胸に手を当て、朗々とした声で宣言するのだった。
「はい――私は……レイ・ベル・ワイルディングは――自らの意思に従い、自らの魂に誓って――弟を……ラズのことを守り抜きます!!」
「――……!!」
自分の目の前でルージュに跪くレイを、ラズワードは唖然と見つめていた。何を言っているのかわからないとでも言うような顔だ。無理もないだろう、今まで彼には散々「おまえに生きる意味はない」なんてことを言われてきたのに、こうして彼は今、自分を守るべく命をかけると言っているのだ。
「……兄さん……なんで……」
「……ごちゃごちゃうるせぇんだよ。おまえの命はおまえだけのものじゃないって前に言ったの覚えてねぇのか。ここでおまえが神族に連れて行かれたら亡くなったお父様とお母様が報われないと、そう思っただけだ」
「……ほ、ほら……兄さん、……兄さんがハンターになりたいっていうのは、兄さんの意思じゃないでしょう……? ルージュ様……兄は……兄は、自らの意思でなりたいと言っているのではありません……ですから……どうか……兄は安全なところへ……」
「ば、バカいってんじゃねぇ!」
ラズワードが前へでてルージュにそう請うと、レイは焦ったように声をあげた。しかし、そんな二人のやり取りを見ていたのか見ていないのか、ルージュは声色を変えることなく、言った。
「承諾しましょう。レイ・ベル・ワイルディング。貴方の意思を受け取りました。貴方がハンターになることを認めます」
「――!?」
ルージュの言葉にラズワードは息を飲んだ。顔を青ざめさせ、慌ててルージュのもとへ歩み寄る。
「な、なぜですか……!? 兄さんは……両親の意思を汲んでハンターになるって、そう言っているんですよ……!? それを自らの意思だと言うんですか!?」
「――ラズワード」
ルージュは必死の形相で訴えかけるラズワードの顎をクイと掴むと、仮面の奥の瞳でラズワードの瞳を覗き込むように詰め寄った。仮面に空いた穴から覗いた黄金の瞳が、まるで冷たい刃のようにラズワードの体を悪寒で貫いた。
「貴方は――まだ、何も知らないのね」
「……え」
「……だからそんなにも醜いのよ」
トン、と胸を押されてラズワードはよろめく。ルージュの言っている言葉の意味がわからないと彼女を見つめれば、彼女は赤いローブをドレスのように揺らめかせてくるりと踊るように歩き出す。
「――見えるわ。貴方にダブって籠の中で無様に藻掻く青い鳥が。ねえ、貴方はいつそこから飛び立つの。いつ美しく羽ばたくのかしら。――いつ、本当の『愛』を知るの?」
「――は?」
ポカンと自分を見つめるラズワードをみて、ルージュは急に糸が切れたように笑い出す。
「アハハ! いつか貴方は知るわ。自分を動かす強い情念を、身を焦がすような恋情を、自らを破滅させるような『愛』を! 愛に狂う貴方はさぞかし美しいでしょうね、早くその姿を私に見せて頂戴! 誰が貴方に飛び方を教えるのかしら、貴方の美しさを引き出すのかしら……ふふ、もしかしたら私の知っている人だったりして」
「……あ、あの……」
「――失礼、つい興奮してしまいました。あんまりにも彼が私の好みだったもので。……話を変えましょう。レイ様はハンターに。そしてアザレア様も、働き口はこちらで指定させていただきます」
ルージュは今までの狂人めいた態度は嘘のように静かな声でアザレアを呼びかける。そのあまりの豹変ぶりにその場にいた者全員が凍りついた。ルージュの言動はあまりにも常軌を逸していた。
「あの……ルージュ様……レイがハンターになるのなら、私も……」
「いいえ、アザレア様。それは許可できません。……理由はちゃんとありますよ。レイ様が初めに決まっていた所は貧民街であったから、突然の変更にも対応できたということ。……つまり私たちが貴女に用意した所は、都市の中にあるのです。そう簡単に変更を許可することはできません」
「……そ、そうなんですか……それで、あの……私の次のいくところって……」
「……それなんですが」
ルージュはちょいちょいとアザレアを手招きする。アザレアは不思議に思いながらも彼女に近づいていくと、彼女は近くにいたスーツの男から紙を受け取りそれをアザレアに見せた。
「――え」
「……そういうことですので。あちらにも話はすでに通っているのです。貴女には期待していますよ」
「あ、あの……」
わなわなと震え始めたアザレアを、レイとラズワードは怪訝な顔つきで見つめる。一体どんな仕事を押し付けられたのかと彼女に近づいていってみれば、彼女は慌てたようにルージュから受け取った紙を背中の後ろに隠した。
「……姉さん……?」
「だ、大丈夫よ、危ない仕事とかそんなんじゃないから……心配しないで……」
「……どんな仕事?」
「――そ、それは……」
冷や汗を流しながらしどろもどろに話すアザレアを、ルージュはじっと見つめている。そしてやがて、アザレアの腹部をそっと撫でると、少し悲しげな声で言った。
「……ごめんなさい、アザレア。まさか貴女が……」
「……?」
「――いいえ、もし貴女が……――だとしても、この決定は覆らなかったわ。この判断にノワールは関与していない。全て愚かな部下が決めたこと」
「……る、ルージュ様……?」
未だに震えるアザレアの肩を、ルージュは優しく抱く。そして、空間に響き渡る声で言った。
「さあ、ここで全ては終わり。貴方たちはレイ様とラズワードを連れて行きなさい。私はアザレア様を連れて行くわ」
バサっと赤いローブが翻る。
「ワイルディングの血を継ぐものよ、見届けるがいいわ。自らの運命が変わるその瞬間、新たな世界の開ける音を。先に見えるのは絶望だけとは限らない。無様に見苦しく足掻いた者だけが闇の中の光を見つけ出せる。この崩壊の音が貴方々に歩み寄る死神の足音となるか、眩き幸福の産声となるか――それはおまえたちが決めるのよ」
ルージュの背後に巨大な魔獣が姿を現す。黒い鱗に澱んだ不気味な色の瞳をもつ巨大な龍――ジャバウォック。ルージュの名を与えられた者だけが契約を許される魔獣の王だ。大きな声で吠えるその龍は、口から黒い炎を吐き出す。その炎を浴びた屋敷の内部は、ボロボロと朽ちていく。燃えるのではなく、ただただ、壊れていった。
「――」
その光景はモノクロの残像のように。ラズワードたちの瞳にただ映し出される。長い時を過ごした自分たちの家が崩壊していく様を、まるで他人事のように眺めていた。さらさらと砕け散る壁に飾られた絵画、炭くずのようにボロりと壊れてゆく天井。あの日駆けた廊下はヒビだらけになってゆく。
「――ラズワード」
アザレアがふと呼びかける。アザレアと、レイとラズワードの間にはいつの間にか大きな距離が生まれていた。上から降ってくる壊れた屋敷の部位がアザレアの姿を隠していく。
ラズワードは思わず手を伸ばした。届くはずがないと知りながらも。
ここでお別れ? 本当に?
自分を真っ暗な世界から救ってくれたのは誰か。言葉を、剣を、感情を教えてくれたのは誰か。たったひとり、自分を愛してくれた人は――
「――強くなりなさい」
「……ッ」
「誰よりも強く……! 美しく!! 貴方はもう飛べる……どこにだって、誰のもとへでも!!」
耳を劈くような瓦礫の落ちる音。同時にアザレアの姿は完全に隠れる。
「――姉さん……!!」
「そして……いつか飛ぶことができたのなら……」
「ラズ、あぶねえ!」
レイが思い切りラズワードを抱き寄せる。そうすれば目の前に大きな瓦礫が降ってきた。ジャバウォックの唸り声が屋敷を満たす。黒い炎が視界を埋め尽くす。
だから、最後の彼女の言葉はラズワードに届くことはなかった。
「――今度は貴方が私を鳥籠からだして……」
そして、完全にワイルディングは崩壊した。
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