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***  ハルの私室。テーブルを挟んでふたりは向かい合う。 「いいか、マリー。はっきり言う。……か・え・れ!」 「ええー、ひどいお兄様。私に会えて嬉しくないんですか?」 「そういうことじゃなくて……おまえよくそんなに堂々と戻ってこられたな……俺は別になんとも思ってないけど、兄さんとお父様が見たらどう思うか……」  少女の名はマリー。レッドフォード家の長女であり、ハルとエリスの妹にあたる娘である。金髪のふわふわとした長い髪に、エメラルドのような綺麗な瞳、薔薇色の頬と唇が実に愛らしい少女であるが、その容姿に反して中身はかなりのおてんばである。我が強く、自分が正しいと思えば意見を曲げることは絶対にない。その性格が起因してか、数年前とあることでエセルバートとエリスと激しい意見の衝突を起こし、家をでていってしまった。エセルバートは特に立腹で、マリーの名を出すだけでも険しい顔をするほどである。  そんなマリーが突然帰ってきたのだからハルが驚くのも仕方のないことであった。なるべく問題事を避けたいハルとしてはマリーとエセルバートに顔を合わせて欲しくないところなのだが。 「何言っているのお兄様。私はお父様に会いに来たの。お父様に会わずして帰るわけにはいかない」 「な……なんのためにお父様に?」 「ふふん。聞いてお兄様! 実は私……」  と、マリーが何かを言いかけたとき。扉のノックの音が聞こえた。ハルはマリーに「ちょっとごめん」と一言いって立ち上がり、扉へ向かってゆく。扉を開けそこに立っていた人物を見るなりハルはふわっと笑った。  愛しい彼の帰還を、待ち望んでいたから。 「……おかえり、ラズワード。無事だったんだね」 「ただいま帰りました、ハル様。あの、お伝えしていた件ですけど……」 「大丈夫、お父様に話は通してあるよ。歓迎してくれるから、安心して。……アザレアさん。お久しぶりです」  ラズワードの後ろに隠れるように立っていたアザレアにハルは笑いかけた。アザレアはラズワードの肩から少しだけ顔をだすと、ぺこりとお辞儀をする。  アルビオンからの脱出はそう難しいことではなかった。アザレアは憲兵のことを恐ろしく強いとは言っていたがラズワードからしてみれば取るに足らないものであったのだ。しかし脱出したところでアザレアには行くあてがない。そこでラズワードが通信機でハルに相談したところ、レッドフォード家で彼女を養うことになったのである。 ハルがアザレアに会うのはもう何年ぶりになるかわからない。ハルが今よりずっと若いときに会ったきりであったのだが、常にエリスと共に行動しレッドフォード家にとってなくてはならない存在であった彼女のことを、ハルはかなり慕っていた。それゆえにこの久しぶりの再会はハルにとって大変喜ばしことであった。何から話そうか、そうハルが思ったときである。 「アザレアさーん! アザレアさんですか!? きゃー! お久しぶりですっ」 「ま、マリー様……!」  ハルを押しのけてマリーが飛び込んできた。気付いているのか気付いていないのか、ラズワードのことは思い切り無視してアザレアの胸に抱きつく。無邪気にじゃれるマリーにアザレアはおろおろしながらも困ったように笑って抱きしめ返していた。 「私! ほんとうにアザレアさんに憧れていたんです! また会えて本当に嬉しい! アザレアさーん! 好きー!」 「マリー様、大きくなられましたね。私も会えて嬉しいです」 「本当ですか!? アザレアさん聞いてください! 私……、って、ん?」  何かを言いかけたマリーはぱっと口をつぐむ。そしてアザレアに抱きつきながらちらりと横目で、やっとラズワードのことを見た。アザレアから離れると、ラズワードににじり寄ってじーっと顔を見つめる。そして、小首を傾げて一言。 「誰?」  そう言ってラズワードの目を覗き込んだ。ぱちぱちと瞬きをしながらしばらく見つめ、そして眉をひそめて言う。 「青の目……もしかして、ドレイ?」 「あ、そうです……俺は……」 「はあー。そう、ドレイ……ガッカリ。結構逸材だと思ったんだけどなー。ナシ。うん、ナシ。私貴方気に食わないかな。っていうか嫌い」 「えっ」  面と向かって突然「嫌い」と言われ流石にラズワードはたじろいだ。奴隷は蔑まれるものだとわかっていはいるが、こうもハッキリ言われると流石に傷つくものだ。ラズワードはそっとハルに寄って言って、小さな声で言う。 「ハル様……誰ですか彼女……」 「ああー……こいつは俺の妹……うん。マリーっていうんだ」 「い、妹!? じゃあその、マリー様のレッドフォード家の……ってことですか」  レッドフォード家の者だとわかったからには態度を慎まなくてはいけない。……とは思ったものの「嫌い」って言われたしなぁ……なんてことを考えているとマリーが険しい顔をしてラズワードに迫る。 「ねぇー、貴方さあ……強いよね? 目の色的に」 「え……ま、まあ……ハンターの代理ができるくらいには……」 「ふーん……じゃあもしかしてぇ……ハルお兄様より強い? っていうか強いでしょ? 貴方の方が目の色濃いし」 「い、いえ……目の色だけで強さはわかりませんから……俺は実際にハル様の戦っているところ見たことないので何も言えませんけど、ハル様も相当の力を持っていると……」 「ねえ。主人を殺せば自由になれるって考えなかったの?」 「……は!?」  マリーのとんでもない発言にラズワードは固まった。何も言い返せないラズワードをみて、ハルはため息をつく。そしてマリーの前に立つと、軽く頭を叩いた。 「おまえなんていうこと言ってんだよ。俺に死ねって言ってるのか」 「違う違う! 私ハルお兄様「は」好きですから! だってこのドレイ?さぁ、見た感じすっごく強いのに、自分が奴隷であることに何も思わないんですよ! 抵抗すればいいじゃないですか。自分を買っている主人さえ殺せば自由の身になれるのに、この人はどうしてそれをしないの? おかしくないですか? ――「奴隷」なんてそんなもの、あってはいけないはずなのに!」 「……はぁー……マリー……」  ハルは頭を抱えている。そしてラズワードはマリーの言ったことに驚きを隠せず、ぽかんとマリーを見つめるばかりであった。 レッドフォードの人間が。あの、奴隷を、水の天使を世界で一番忌み嫌っているはずのレッドフォードの娘が。「奴隷」という身分の存在に疑問を抱いている。そのことがラズワードは信じられなかったのだ。 「あのな……おまえの考えはわからないこともない。でもな……それをこの屋敷内で言うな。もしお父様がこれを聞いたら……」 「だから! そんなんだからレッドフォードはダメなんですよ! いつまーでも昔の考えのまま! ああ、この屋敷のかび臭いこと。もっと世界に目を向けるべきですよ。知ってます? お兄様。「ニンゲン」のほうがはるかに文明が私達よりも進んでいる。それは、「奴隷」とかそんなくだらない思想を全て捨てたからこそ、そんなしょうもないことからのシガラミから開放されたからこその結果です。ふふ、お兄様。私、ニンゲン界の技術を全て学んできたわ。こんな古臭い「神の世界」よりもずっと進んだ文明を。今に見てなさい。私はニンゲンの作った兵器をもって神族を殲滅してやる」 「……マリー……おまえ……ずっとどこに行ってたのかと思ったらニンゲン界に行ってたのか! しかもなんていうこと考えて……」  あー、となんとも言えないような声をあげてハルは頭をかいた。ラズワードとアザレアはもう何が起こっているのかもわからず唖然とするしかない。あまりにもマリーの発言がラズワード達からすれば先鋭的すぎてついていけなかったのだ。 「マリー、ちょっとこっちこい。わかった、おまえの考えはよくわかった。ただちょっと落ち着け。俺とよく話そうな」 「あ、ちょっとお兄様! ……ああ、もう、そこの貴方! 名前わからないけど水の天使の貴方! 私あなたみたいな保守的な男大っ嫌いなの! 次に私の前に現れるときには考えを改めて来て! そうじゃないなら私の目の前に現れないでね!」 「おい、ラズワードに変なこと吹き込むな! 大丈夫だ、ラズワードはおまえが思っているようなドレイじゃないから! 大切に想ってるから!」 「え! ハルお兄様から「大切」なんて……詳しく聞かせてお兄様! あの恋人できない歴長すぎて不詳なんて言われてたハルお兄様がとうとう……!」 「うるさいぞ! できないんじゃなくてつくらなかったんだ! あと言っておくけど俺は結構モテるからな!」  ぎゃあぎゃあと騒ぎながら二人は部屋を出て行ってしまった。さりげなく「大切」と言われたことにわずか顔を赤らめながらもラズワードは二人を苦笑いしながら見つめていた。 「な、なんかハル様の妹さん、すごい子ですね……」 「あはは……昔からマリー様はおてんばなの。今みたいにレッドフォード家の思想に楯突くようなことよく言ってたからエセルバート様とエリス様とはよく喧嘩してたっけ……すっごく懐かしい。レッドフォード家」  ふふ、とアザレアは微笑んだ。あまりにもインパクトの強すぎるマリーの言葉の余韻はまだ残っていたものの、ラズワードはハルの「兄」らしい顔を思い出して笑う。  ただ、ラズワードとアザレアは二人が戻ってくるまでそこで待ちぼうけをくらうことになったのだが。

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