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***  休みをもらったところで、正直なにをすればいいのかわからない。ミオソティスの手伝いを終えて、とくにすることも思いつかなかったラズワードは、自室で横になっていた。  目を閉じると、ハルのことばかりが頭の中に浮かんでくる。些細なことで笑いあったこと、抱きしめあったときの暖かさ、身体を重ねたときの熱。思い返しては胸がきゅっと苦しくなって、そこからじわりと甘い温もりが広がってゆく。 (はやく夜にならないかな……)  夜になればハルが帰ってくる。そうしたら、真っ先に抱きつきたい。キスをしたい。抱いてほしい。 「はあ……」  まるで乙女のようなことを考えている自分に辟易して、ラズワードはため息をつく。馬鹿みたいだとは思っても、こんな願望は消えてくれないのだから困ったものだ。 「ラズワードさまー! いますかー! いますよねー!」 「……?」  突然、脳天気な声と共に激しいノックが聞こえる。一気に夢から覚めたような心地に陥って、ラズワードは飛び起きた。  のろのろと体を起こして、扉のそばまで行く。頭がぼーっとしていたため、声を聞いただけでは扉の奥に誰がいるのか判断できなかった。誰だったかな、こんな風に自分に話しかけてくる人いたっけか……そんなことを考えながらドアノブ手をかけたときだった。 「こんにちはラズワードさまー! お兄様から聞きましたよ! 本日は休養日だって! お暇でしょう! さあ私と逢引きいたしましょう!」 「ま、マリー様」  急に扉を開けて、マリーがラズワードに抱きついてきた。咄嗟に受け止めることはできたものの、突然のことに反応が遅れて体がよろけてしまう。 「ああー……ラズワード様、やっぱり素敵」 「ちょ、ちょっとマリー様……逢引きって……だめですよ、貴女みたいな方が俺なんかと」 「じゃあここで! ここで抱いてくださいな!」 「は? 抱……あっ、ちょっと!」  マリーぐいぐいとラズワードを押すと、そのままベッドに押し倒す。立場のことを考えるとあまり強く抵抗できなかった。……というよりも、あまりにもマリーの言っていることが理解できなくて、頭が働かなくて体が動かなかった。のしかかられてしまってから、ラズワードは今の状況がまずいものだと理解して、マリーを軽く押し返す。 「だ、だめです! マリー様、もっと自分を大切になさってください! 貴方にはもっと素敵な殿方が……」 「いいえ私はラズワード様がいいのです初めてはラズワード様に捧げたいです!」 「だめです、ダメ! それに俺には心に決めた人が……!」 「……それは、ハルお兄様?」  すっとマリーのその瞳が冷たくなったのを感じて、ラズワードは思わず黙り込んだ。マリーは出会ってからの日がとにかく浅い。彼女がなにを考えているのか全くわからなくて、ラズワードは彼女へ恐怖に近いものも覚えていた。  そうだ、マリーはハルとラズワードの関係を知っていた。それなのに、なぜここまでラズワードに迫ってくるのか。 「ラズワード様……貴方にハルお兄様は勿体無いですよ」 「は?」 「ハルお兄様は良くも悪くも普通の人。貴方のような人はたぶん、ハルお兄様とは一生を添い遂げることはできませんよ」 「……言っている意味がわからないのですが」 「貴方が普通じゃないって言っているんです」  ハルのことを貶されて一瞬頭に血が昇ったものの、マリーの言葉にラズワードは口をつぐむ。普通じゃない。なぜそんなことを言われなくてはいけない。 「ここまで深い目の色をした人は今までに一人しかみたことがないですわ。貴方はご自分が特異な存在であるということをもっと自覚するべきです」 「……俺がなんであろうと、ハル様を好きな気持ちはかわりません。それに目の色なんて関係ないでしょう。ただ魔力が強いってだけじゃないですか」 「関係ない? 貴方と等しいレベルの魔力を持つ人が、あの方しかいないのだとしても?」 「あの方?」 「……ノワール様です」 「――ッ」  ドキ、と心臓が嫌な感じに跳ねる。今、一番聞きたくない名前のような気がした。  さっと青い光景が脳裏に浮かぶ。だめだ、今思い出してはいけない。なんで? 約束だったんだから覚えてなくちゃいけないはず。覚えてる。でも、今はだめだ。なぜ、今はダメ? ――ハルと一緒にいたいから。 「――……ッ」  自問自答の末に、自分の心を知ってしまったラズワードは、顔を青ざめさせた。ハルと一緒にいたい。それがノワールのことを思い出してはいけない理由になるとしたら……そうだ、ノワールの存在がどれほど自分のなかを大きく占めているというのだろう。今、自分にとっての一番は、ハルのはずなのに。 「私、あの方に会ったことがあります。……ノワール様は、ずいぶんと怖い方ですね。顔では穏やかに笑っているくせに心が一切読めないのです。闇のように真っ黒な瞳が、その笑顔のなかに浮いていてとても怖い。あの方は、一目見てわかるくらいに、狂っている」 「……それが、俺と何の関係が? 俺があの人と釣り合うとでも?」 「逆です。貴方に釣り合うのがノワール様しかいない。それ以外の人が貴方と一緒にいたところで……幸せになれるのでしょうか」

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