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「はやいね、抵抗する暇もなかったよ」
「……俺はここで死ぬわけにはいかないんだよ」
「冗談だって、冗談。そんな怖い顔しないでよ。……もしも君が神族の敵にまわることがあったとしても、僕と直接殺しあうことにはならないでしょ。僕はノワールさんのことは好きだけど、命をはってまで守りたいなんて思ってないし」
「……さっき本気で俺のことを殺そうと思いませんでしたか?」
「ん~。だって僕はずっと研究を続けていたいからね。もしも君が神族に敵意をもって、僕まで殺そうとしてたらさすがに嫌だからさ。ちょっと敵意もっちゃった」
「……べつに……俺は神族全員に敵意をもっているわけでは、」
「そう、ならいいや。君はノワールさんだけを殺したいって、そう思ってるんだね」
リノは喉に突きつけられたナイフをどかすと、起き上がる。そして、すうっとラズワードの頬をなでた。
「――君がノワールさんを殺せるなんて、全く思えないけどね」
「……、」
「君が普通から大きく外れた強さを持っているのは十分知っている。君から感じる魔力量も、規格外のものだ。……ただ、ノワールさんも異常すぎる力を持っている。ただの神族の親玉だと思わないほうがいい。ただの魔力が強い人だなんて、思わないほうがいい。……あの人は正真正銘のバケモノだ」
「……ッ」
リノはとん、とラズワードを軽く押すと、そのまま立ち上がってふらふらと部屋の中を歩き出す。ラズワードはというと、押された衝撃のままにふらっとよろけてしまった。床に落ちた大量の紙を片付けているリノのことを横目に、ラズワードはなにかに衝撃を受けたのか、ぼーっとしていた。
「……バケモノって、」
「知ってるよね? ノワールっていうのは役職名で、その人の名前じゃない。今のノワールさんが死ねば次に誰かがまたノワールになる。……今のノワールさんは歴代最強と言われている、常軌を逸した強さと知性をもった人。誰もが恐れ、誰もが崇拝し、誰も逆らうことができない。どんなに恐ろしい暴動が起きようと怪物が現れようと、息一つ乱すことなく鎮めていくその様はまるで夢をみているかのようだった」
「……でも、人間でしょう」
「……さあ、どうだか。僕はあの人の素顔を知っているし、話したこともある。あの人の為人を好いているし、心の底から尊敬している。……でもあの人のことを同じ人間だなんて思っていない」
「――なんで!? あの人は……ノワール様は、俺達と同じように感情をもっているじゃないですか……! 俺たちと何が違うっていうんですか! 異常に強いって言っても首を絞めればそのまま折れるような普通の体をもっているし、恐れられているって言っても普通の人と同じように泣くことだってあるんですよ! 触れれば、温かいんですよ……!」
「……君さ、」
いつの間にか目の前にたっていたリノを、ラズワードは見上げる。なんとも言えないような表情でリノはラズワードを見下ろしていた。
「……これ以上ノワールさんのことを考えないほうがいいよ。……君のためにも」
ぐい、と何かが顔に押し付けられる。なんだと思ってそれを手にとって見てみれば、ハンカチだった。知らない間にラズワードは泣いていたのだ。
「……ッ」
「……君は、ノワールさんのことを、好き?」
「え……」
「僕は好きだよ。君は?」
「……」
ラズワードの瞳が揺れる。困ったように眉をひそめ、唇を噛んで、ただじっとリノを見つめた。力が込められた拳は、かたかたと震えている。
「……リノさん。……教えてください。……好きってなんですか? ……俺は、ノワール様のことを嫌いではありません。でも好きかって、そう聞かれたら違うと、そう思います。……だって、俺がハル様のことを想う気持ちとそれは全く違う……」
「……ハルさんのこと、どう思ってるの?」
「……好きです。一緒にいたい、そばにいたい、そう思います。あの人のことを想うと心が暖かくなります。あの人と一緒に過ごしていると、生まれてきて良かったって、そう思うんです」
「……うん、そっか。……じゃあ、ノワールさんは?」
ラズワードはリノの視線から逃げるようにうなだれた。そしてそっと、引っ掻くように胸のあたりに手をもってくる。
「……あの人のことを考えると、……苦しくなります。苦しくて、苦しくて……泣きたくなって……。俺は、あの人の幸せを願っているだけです、だけど、そう思うたびに辛いんです……」
「……ね、一つ聞いていい?」
「はい……?」
「……君……ノワールさんのために死ねる?」
「……、」
ラズワードが顔をあげる。その瞳孔が開いている。
リノは黙ってラズワードの答えを待った。質問の意味に、ラズワードはおそらく、
「――死ねます」
――気付かない。
「ん、そう。……だめだよ~死ぬとか簡単にいっちゃ~。君、みんなから愛されているんだからね~」
「あ、あなたが言わせたんでしょう」
「……そうだったね。……ラズワード、この話は終わりにしよう。そろそろハルさんのところに戻ろうか。データもちゃんとれたしね」
リノは先ほど書きなぐった紙を集めると、ファイルに綴じてまとめた。そしてラズワードに服を着るように促して、コップに水をくんで渡す。
散らかった部屋を片付け、そしてちらりとラズワードを見つめながらリノは考える。ラズワードの言葉。あの、純粋無垢な、それでいて冷たく刺すような瞳。自分自身でも気付くことのできない感情が、その中で育っている。
『死ねます』
――君は、ハルさんと一緒にいて、生まれてきて良かったって、そう思うことができたんじゃなかったの?
愛を超越するその感情は、自分の命すらも惜しいと思わないその想いの正体は、
「――まったく、危なっかしいなぁ」
「……リノさん? なにか言いました?」
「……ううん、なんでもない」
――心を焼く、
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