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5 シナモンミルクティー
「……太一さんって、紅茶淹れられるんだ」
二つのマグカップに、アッサムの茶葉とミルクの入った小鍋を傾けていると、不意に智くんの声が聞こえてきた。
振り向けば、ダイニングテーブルで頬杖をついていた智くんが、ぼんやりとこちらを見つめていた。
「もしかして、ティーバッグ入りの紅茶が出てくると思ったか?」
「うん」
「結婚前はそうだった。律から教わったんだ。夜、二人きりで過ごす時のミルクティーくらい作れるようになって、と」
智くんの前にマグカップを一つ置いて、俺はその正面に座った。
俺からマグカップに視線を移した智くんは、すん、と軽く鼻を鳴らして、
「シナモンの匂いがする」
「シナモン入りが律のお気に入りだったんだ」
「知ってるよ」
どこか拗ねるように言って、智くんがカップを口へ運んだ。
律は『美味しい』と褒めてくれていたが、智くんはどうだろうか。
彼の顔を見つめて反応を確かめたい。
が、その勇気は出せそうになく、俺は黙ってミルクティーを口に含んだ。
「太一さん」
「何だ?」
ゆっくりと視線を向けると、智くんはじっとマグカップを見つめたまま固まっていた。
その唇が何かを言おうと開かれた、かと思いきや、言葉を飲み込むように一文字を結んで。かと思えば、また開いて……を繰り返す。
俺はその唇の開閉を見つめながら、じっと智くんの言葉を待った。
「……たーじ、さ」
「達二?」
「うん。ねーちゃんにすげー似てきた。顔だけじゃなくて、すげー頑固なところとか、頑張りすぎるところとか」
「そうか」
「でも、表情が、何となく太一さんにも似てて……。それがちょっと」
「嫌か」
「あ、いや、そういうんじゃなくて……何て言うか、困るというか……」
言葉を探すように、視線を彷徨わせる智くん。
親の仇を見るかのように睨みつけられていた時と比べれば、幾分かマシな反応だ。
だが、「困る」という言葉から推測するに、相変わらず俺への印象はあまり良くないようだ。
「気を遣わなくていい。君に嫌われても仕方のない存在だからな、俺は」
「べ、別に嫌ってる訳じゃ……ない、けど」
「優しいな。ありがとう」
素直に礼を告げると、智くんが眉を寄せてふい、と視線を逸らしてしまった。
「……ダメだ、俺。アンタのこと、やっぱり苦手だ」
「それは……すまないな」
「太一さんが謝ることじゃねーし。悪いのは、ずっと俺だから……」
「え?」
「俺が、いつまでもガキみてーに拗ねてるのがいけないって分かってるんだよ。アンタはたーじのパパで、ねーちゃんの大切な人で……俺の……」
そこまで言ったかと思うと、智くんはぶんぶんと首を横に振った。
智くんの眉間の皺は更に増え、その視線は迷子のようにあちこちを彷徨っている。
「お、俺がガキみてーに泣いた時に、受け止めてくれただろ、アンタ。俺、あれ、すっげー感謝してるんだ。たーじにだけじゃなくて、アンタにも色々恩返しできたらって考えて、家事やたーじの面倒見てる、けど、全然返せてねーの、すっげー悔しいんだ」
「そんな、智くんは十分してくれていると」
「してねーの! 全然!」
きっ、と俺を睨みつけた智くんがそう叫んだ途端、背後で「んん」と達二の声が聞こえた。
俺たちは咄嗟に腰を浮かして布団の達二へ視線を向けたが、そこには相変わらず安らかな寝顔があるだけだった。
はーっとため息を吐く智くんに、俺は口の中に漂うシナモンの甘さを噛みしめながら、そっと言葉を紡いだ。
「恩返し、なんて。そんな風に考えてくれていたんだな、智くんは」
「考えてばっかで、実行できてないけどな」
「少なくとも、俺よりはできている。俺は、達二にも君にもしてやれていないことが山ほどある。しかも、頭の中で考えるだけで、行動にも言葉にもできていない」
「……太一さん」
智くんが神妙な顔で俺を見つめる。
やっと、智くんとまともに視線が交わった。
ただそれだけのことだというのに、腹の底がむず痒く感じて、落ち着かなくなる。
その落ち着かなさからか、俺の口は勝手に動いていた。
「俺は、君とちゃんと家族になりたい」
「えっ」
「律から君のことはたくさん聞いたし、この一年、達二を通して知ったこともある。でも、そういう誰かを通してではなく、今みたいに顔と顔を合わせて話をして、君のことを知りたいんだ。一緒に暮らす、家族として」
俺の口から飛び出す言葉に、俺自身、とても動揺している。
何を言っているんだ、俺は。
これ以上距離を縮めてしまったら。彼のことを知ってしまったら。
ぐ、と奥歯に力を入れて口を閉ざした俺の前で、目を見開く智くんの肩が微かに震えている。俺の胸で号泣していた、あの時を思わせるような震え方だ。
「達二は君のことが大好きだ。律も、姉として君のことを愛していた。俺も、君のことを同じように大切に思いたいんだ」
「……っ」
「だから、教えてくれないか、智くん。義兄とか義弟とか、そういう風に思わなくてもいい。一人の人間として、君と仲良くなりたいんだ」
「っちょ、ちょっと待って!」
ぶんぶんと頭を横に振りながら、智くんが声を荒げた。
直後にはっとして、またしても俺は布団の方を見たが、やはり達二が起きる気配はなかった。
「……もう、マジで勘弁してよ……困るから、そういうの」
智くんが今にも泣き出しそうな声で、そう呟いた。
彼が俯いてしまっているせいで、その表情は分からない。
だが乱雑に頭を掻く様子から、言葉通り困っているのだと伝わってくる。
ほら、見ろ。やはり口にするべきことじゃなかったのだ。
喉の奥を苦いものが伝うのを感じながら、俺は眉を寄せた。
「すまない、困らせるようなことを言って」
「ホントだよ。すげー困る」
「そ、そんなにか」
「そんなにだよ。全く、人の気も知らねーで。そんな軽々しく『仲良くしたい』とか言われたら……困る」
「す、すまない」
「謝んないでよ、ますます困るから」
「そ、そうか」
しばらく間を置いた後、智くんがゆっくりと顔を上げた。
眉をハの形にし、唇を微かに震わせている。
「……困る、けど、嫌じゃない、から……」
「え」
「俺も、たーじやねーちゃんみたいに、アンタと……太一さんと、仲良くなりてーし、太一さんのこと、知りたいっていうか……ずっと、気になってたし……初めて、会った時から……」
智くんの声がだんだんと小さくなっていく中、俺の心臓は大きく高鳴っていく。
「初めて会った時から……?」
「〜〜っだめ! 何かはずいから、もうこの話おしまいっ! 先に寝るっ! お、おやすみなさいっ」
ぐいっとマグカップのミルクティーを飲み干すと、智くんは慌てて達二の元へ逃げて行った。
思わず立ち上がった俺だったが、勢い余って椅子を後ろに蹴飛ばしてしまった。
がたん、と大きな椅子の音が、まるで「追いかけるな」と怒鳴ったように聞こえ、俺はその場から動けなかった。
「智くん」
そっと声を掛けたが、達二の右隣の布団に潜り込んだ智くんから返答はない。
『本当は太一と仲良くしたいと思ってるんだよ』
心臓の音がうるさい。
そんな中で、ミルクティーのような温かい律の言葉が、頭の中に浮かぶ。
同時に、俺の口の中で甘いような、だが、胸の奥が締め付けられるような苦しさがあるような、複雑な味がした。
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