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第53話
付き合いはここ一月ほど。
まだ知り合ったばかりで先輩のことはそこまで詳しくないけれど、こんなに不安げな先輩は見たことがない。
先輩は苦々しい顔で話続けた。
「中野といると、婚約破棄という言葉が頭の中にちらついてしまう。中野が可愛いく思えて仕方がないんだ。婚約破棄して中野に自分をアプローチしたいと思ってしまう。こんな中途半端な気持ちで中野にこんな事を言う俺は最低だ」
「先輩……」
「それに婚約者がいるというのに、さっきは性的な触れ方をしてしまった。……嫌な思いをさせてしまったら、すまない」
俺は何と言葉を返してよいものか暫し呆然としてしまった。
まさか先輩がこんなことを考えていたなんて。
先輩は項垂れた様子で目線を足元に落とす。
見ていられない。
先輩がそうなってしまったのは、バースのせいだ。
間違いない。
少しだけΩである責任を感じてしまった。
「先輩、俺、そんなの全然気にしてないですよ。触れたって話も俺がヒートを起こしかけたからだし、俺なんて理性保てなくてエッチしたくてしょうがなかったし。それに、婚約者がいたって他の人を可愛いな、素敵だなって思うだけなら誰も文句言いませんよ。気にしすぎです」
俺なんか校内のα全員が気になり一ヶ月ずつ付き合おうだなんてバカげたことをしようとしてるし、ヒートが起きればαなら誰彼構わず抱かれてもいいという気分にさえなると知ってしまった。
それを思えば、先輩の悩みはなんと清らかだろう。
俺からすれば先輩はまるで聖人君子そのものだ。
先輩は俺にはもったいない人だとすら思える。
「だから俺に失礼なことしたなんて思わないでください。それに俺が可愛いって思うのは多分一時的な気の迷いじゃないかなぁって……。だって、αとΩですもん、俺達」
「そう……だな」
困ったように先輩が笑みを浮かべる。
普段見ないような先輩の表情。
何だか嫌な予感がした。
本当に婚約破棄なんてしないだろうな、この人。
玉の輿という言葉が頭にちらついたけれど、万が一そうなってしまったら流石にその責任はとれないぞ。
まさかね……。
この時の俺はまだ知らなかった。
思っていたそのまさかが、約束の交友期間一ヶ月を終えた数ヵ月後に訪れることになるなんて。
先輩は俺が考えていたよりもずっとずっと、俺に執着していたらしい。
俺になのか、Ωに、なのか。
どちらかなんてわからない。
それは俺も同じだから。
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