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「悠維くん? どうしたの、ぼーっとして」 「えっ」 「ううん、お仕事はいつもどおり完璧よ。でも、どこを見ているのかなあって」  契を学校に送り、屋敷に帰ってきた氷高。夕方から仕事へ行く真琴の身の回りの世話をしていたのだが、不意にかけられた言葉にぎょっとしてしまった。 「なにかあったの? 悠維くんがそんな風になっているの、めずらしいじゃない」 「……いえ、別に、なにかあったというわけでは……」 「わかった。好きな人でもできた? 悠維くんの周り、いっぱい綺麗な女の子いるでしょう? モテるもの」  真琴がふふっと意地悪そうに笑いながら氷高を見つめる。その視線に、氷高はたじたじだ。目の前にいる貴女が一番綺麗ですよ、なんてそんなことを思ったのだ。それに、真琴の言葉にいまいちピンとこない。  今の自分は、彼女に「好きな人がいる」ように見えているのだろうか。 「悠維くん、いっつも彼女をとっかえひっかえ。今度はちゃんと好きになれそう?」 「で、ですから私は……!」 「私、ずっと悠維くんのところ見ているんだからね。氷高さんのところの息子さんだもの。幸せになって欲しいのよ」  参った、という風に氷高はぎゅっと唇を噛んだ。勝手に話を進められても、この人の期待するような言葉を発せない。  だって、好きな人なんて、いない。恋なんて、知らない。  貴女の言う幸せが「誰かに恋をすること」なら、俺は一生幸せになれない。 「私の契も、はやく誰かと恋とかしてくれたらいいんだけどなあ。ぜーんぜんあの子から恋バナきけないんだもん。つまんない」 「……そう、ですね。契さまも早く恋人をつくられればいいのですが」 「でしょうー!? でも、悠維くん、貴方人のこと言えないわよ。っていうか悠維くんの方が年上なんだから、そろそろちゃんとした恋人をつくるべきだわ」 「え、ええ……」  氷高は眉を顰め、真琴の表情を観察する。  本当に、楽しそうだ。恋の話をする彼女は、楽しそう。  恋とは、そんなに楽しいものなのだろうか。みんなが口をそろえて「恋イコール幸せ」だと言っているが、それは本当なのだろうか。  氷高には、「恋」がわからなかった。それが、どんな味がするのか、どんな匂いがするのか、どんな触り心地なのか。今まで、恋をしたことがなかったから、わからない。恋をするというのが、どんな感覚なのか、わからない。  そう、今も――恋なんて、知らない。

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