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「契さま、俺、もう死んでもいい。幸せで、どうにかなりそうです」 「いや、死ぬなよ。俺が困る」 「……はい」  電気を消して、二人で裸のまま布団の中に潜り込んだ。照れたように背を向ける契を、氷高は後ろからぎゅっと抱きしめて、その首筋に唇を寄せる。  もういなくなってしまうのではないか――そう思っていた氷高がこれからも側にいてくれるのが、嬉しい。契は彼の呼吸を感じながら、目を閉じる。本当に寂しくて寂しくて、意地を張って辛くないふりをしていた――だからこそ、こうしてまた氷高が戻ってきてくれたことが嬉しかった。嬉しすぎて泣きそうだったから、氷高に顔は見せられなかった。  そして……氷高に「好き」と言ってもらえて。セックスが終わってからも、未だにドキドキしている。氷高がこれからもっと自分のことを見ていてくれる、求めてくれる。なぜだかわからないが、それがたまらなく嬉しい。彼が自分だけのものになることに、幸せを感じる。 「……契さま。俺は、貴方に出会うために生まれてきたんだと思います」 「……なにそれ」 「たびたび亡くなった母の言葉を思い出しては、俺はなんのために生きているのだろうと考えていました。「夢を追い続けて」、あの言葉は俺をどこへ導いてくれるのだろうと――悩んでいた」 「……氷高。氷高は……これから、後悔しないのか」 「――しない。だって、貴方をこうして抱いていると……今まで自分がわからなくなって、辛くて生きている意味すらもわからなくなって時があったというのに……生きていてよかったって、心から思うんです」 「さっき死んでもいいって言ったじゃん」 「言葉の綾ですよ」  甘く、幸せそうな氷高の声に、契は思わず振り返った。泣き顔を見せたくないからと氷高に背を向けていた契であったが――振り向いて、思わず笑いそうになる。――氷高のほうが、泣きそうな顔をしていたからだ。  契はぷっ、と苦笑すると、くすくすと笑いながら氷高の頭を撫でた。そして、目を合わせる。そして――唇を重ねる。 「契さま――愛しています」 「……ん、」 「契さま……大好きです」 「……、ん、」 「契さま……今日から俺たち、……恋人、ですね」 「……え?」 「――え?」  ちゅ、ちゅ、とキスを繰り返しながら甘い言葉を囁いてきた氷高。その中に不意に入ってきた言葉に、契は疑問符を浮かべる。 「恋人」――?  氷高は当然のようにそういったのだが、契は思いきり「わけのわからない」といった顔を浮かべた。激しい認識のズレに、二人は揃ってぽかんと目を見開いてしまう。 「……契さま。俺、なにかおかしいこと言いましたか?」 「え、いや、俺たち別に恋人じゃないよね?」 「……な、……それ、本当ですか!?」 「え……だって、別に恋人になるなんて言葉一切交わしてないだろ!」 「そのとおり……ですが! さすがに今の流れでそんな返しが来るとは思っていませんでしたよ、俺も!」 「俺、間違ったこと言ってる!?」 「……、いえ。たしかに、一つ順序を飛ばしていましたね。お付き合いの申込みをしていない俺が悪かったです」  あんなにも激しく求めあったのに……と氷高は思わずため息をつきそうになったが、契がどういった人物なのかを知っているため、すぐに彼の言い分に納得する。契はとにかく恋愛に対して初心だ。どんなにいい雰囲気になったとしても、ちゃんと言葉で言わなければ伝わらない。  契は少々むっとしたような顔をした氷高を見て、内心焦ってしまった。氷高と恋人になるなんてことを、考えていなかったのだ。主人と執事という関係に落ち着きすぎてしまったのかもしれない。だから、氷高に言われて改めて「恋人」という関係を考えた時――契は、どうするべきか悩んだ。「恋人」と言われて嫌な気にはならなかったし、むしろ……ドキドキとして嬉しかったが、でもその言葉を呑み込むことはできなかった。  主人と執事、その関係から一歩踏み出せるだろうか――恋愛に不慣れ過ぎた契は、悩んだ。氷高に告白されたらどう応えよう、必死に悩んだ。  しかし―― 「契さま」 「あっ……な、なんだよ」 「……俺、契さまのこと待ちます。契さまが俺のことを「好き」って言ってくれるときまで、お付き合いは申し込みません」 「はっ……」  ――氷高は告白してこなかった。ホッとしたのもつかの間、氷高の言葉に契はぎょっとしてしまう。  こちらから「好き」と言わなければ、氷高とは恋人になれない―ーということは、一生恋人になれない……!? 氷高に恋人になってくれなんて、言えない。まだ気持ちが落ち着いていないし、恥ずかしいし、なにより――…… 「……待っています。契さま。ずっと」  氷高の気遣いのせいか、関係が進むのはまだ先になってしまいそうだ。それをもどかしいと契は感じていたが、進むのに踏み切れない自分も、確かに存在していた。

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