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「……そんなに、目立ちはしないな」
さわやかな朝。鏡の前でしかめっ面で立っているのは、制服に着替えた契だ。契はじっと鏡を見つめながら、しきりに首元を気にしている。
昨夜――氷高に思い切りつけられた歯形が、くっきりと首に残っていた。シャツの襟で隠れるか隠れないかというギリギリの場所についており、契は学校でこの痕が誰かにバレないかと危惧していたのだ
しかし……契の顔には怒りはない。むしろ、少しだけにやけていて、嬉しそうな表情である。
「う、……ん」
「あ、氷高。おはよう」
「え……?」
鏡の前でくるくると回ってみたり、襟をいじったり、何度も何度も首元を確認していた契は、鏡の奥でふとんがもぞりと動いたのに気付いた。振り向けば、氷高が目を覚ましているところだった。
氷高はぼんやりとした顔で体を起こし、そしてすでに制服に着替えた契を視界に認め――しばらくぽかんとした表情を浮かべると――がばっと勢いよくベッドから飛び出てきて、慌ててクローゼットにしまってある執事服に着替え始める。ちなみに、ベッドから飛び出た氷高は全裸である。
「氷高。まだ、5時だよ」
「え、……えっ、あれっ。あっ……本当だ……契さまが起きていらっしゃったので、もう朝になってしまったのかと……」
「まあ、寝坊は減給の対象になりかねないし。よかったな、早く起きれて。よく寝ていたからさ」
「……。……はい」
氷高は下着だけを着た状態で、ぼーっと契を見つめる。寝起きのせいなのか、氷高は頭が働いていないようだ。
「あの……契さま。今日は、その……お早いんですね」
「ああー……うん。落ち着かなかったっていうか……すぐ目が覚めちゃった」
「落ち着かない……?」
「これ」
いつもなら氷高に起こされてようやく起きる契が、こんなにも早く起きている。不思議そうにしている氷高に、契は微笑んで見せる。そっと近づいて行って、そしてシャツのボタンを二つ目まであけると、ぐっと襟を開いてみせた。
そこには――先ほどから気にしていた、氷高のつけた咬み痕。氷高はそれをじっと見つめると、しばらく茫然としていたが―ーやがて、さっと血の気が引いたように顔を青くすると、半裸のまま勢いよく土下座をした。
「もっ……申し訳ありません……!! 私は、……契さまに、なんてことを……」
「いや、別に怒ってないけど……」
「だ、だって……私如きが契さまの麗しいお体に、そのような、……ああ、浅ましい……大変申し訳ありません、腹を切ります、死んで詫びます!!!!!!!」
「はあ? だから怒ってないっていってんだろ! 嬉しくて! そわそわして! 早く起きちゃったんだよ!」
「……、え?」
契はべしっと氷高の頭をはたくと、しゃがみこんで氷高の顔を両手でつかむ。ぽかんと目を見開く氷高に、契はふっと笑って見せる。
「立場交換なんてしなくてもつけられるようになろうな」
「は……む、無理です……! わ、私は、貴方の執事であって、貴方とは釣り合わなくて、」
「うーん……はいはい」
契はくしゃ、と氷高の頭を撫でる。疑問符をたくさん発しながら契を見つめる氷高は、契が何を考えているかなど、わからないだろう。
契はボタンをしめると、「はやく着替えろよ」とそれだけを言った。氷高に背を向けて、鏡に向き直る。
いつか、氷高が求めてくれる時がくればいい。いつか、--
愛しい執事が、背中を見つめてくる。いつでも彼の瞳は切なげだ。彼が屈託なく笑って抱きしめてくれるのは、いつだろう。
鏡の奥の氷高が着替えているところを、見つめる。あの執事服だけが、今の自分たちを結ぶものだ。あれを脱いだ彼と、違う結びつきができたときーー彼は、契の望む笑顔を見せてくれるのかもしれない。
閑話休題・fin
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