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第六幕

「……せ、契さま」 「え?」 「あ、あんまり見つめられると私も恥ずかしいというか……その、照れてしまいます」 「なっ……み、見つめてねえし!」  氷高が想いを告げてきた日から、契の日常は変わった。いや、日常が変わったというよりは――見える景色が変わったというべきだろうか。  氷高が――やたらと、かっこよく見える。優雅に紅茶を注ぐ様子も、英語をすらすらと読み上げる姿も、そして……セックスの時も。とにかく、氷高がかっこよすぎて、契は彼を見るたびドキドキしてしまった。そして、ドキドキしてしまうとわかるのに、彼を目で追いかけてしまうから……心臓が常に過労状態なのである。世界が甘くふわふわした、キラキラした、フィルターにかかっているようだ。こんな世界にいたら……酸欠になってしまうかもしれない。  学校帰り……今も――契は、車の助手席に座りながら氷高の運転姿をぽーっと見つめていた。ハンドルを握る手、ギアを変えるときの手つき、すました横顔……何もかもが、いい。こんなにかっこいい男が、自分に首ったけという事実に、契は内心ニヤけまくりである。  ただ問題は――契が、想いを伝えられていないということなのだが。 「あれ、氷高。今日はどこに行くんだ?」 「ああ……すみません、先に言っておくべきでした。今日はちょうど真琴さまのご帰宅の時間も重なったので、真琴さまも一緒にお迎えに行くのです」 「ふうん? じゃあ、母さんの撮影場所に行くのか」 「ええ。そう遠いところではないのですが……すみません」 「いや、いいよ、別に」  車窓から見える景色がいつもと違うと気付いた契は、どうやらまっすぐ家に帰るわけではないらしいと気付く。氷高は女優である契の母・真琴も一緒に車に乗せて帰るようだった。時々あることなので、契も特に驚くことなく承諾する。  しばらく走ったところで、今日の真琴の撮影場所であるテレビ局へたどり着いた。迎えの車が並ぶところへ停車してしばらく待っていれば、遠くから二人の女性が歩いてくる。そのうち一人が真琴だと気付いた氷高は、運転席から降りて後部座席の脇に立った。真琴は氷高に気付き「氷高くーん!」と元気に名前を呼んでくる。  契も、その様子を車の中から見つめていた。真琴は、歳のわりに若々しいなんて思いながら。 「あれ、この人……」  ふいに、契は真琴の隣にいる女性に目を遣る。彼女が誰なのか気付いた契は、思わず「おお」なんて声をあげてしまった。  彼女は――今引っ張りだこの若手女優・天樹カレン。ふわふわとした雰囲気をしているが、目力は強く、性格もしっかりとしている。華奢で顔が小さいため小柄に見えるが、実際は身長が高くスタイルもかなり良い。  契も、彼女を知っていた。ファンというまではいかなかったが、テレビにでてきたら「可愛い」くらいには思っていた女性だ。そんな彼女がすぐ近くまでやってきたのだから、車窓がマジックミラーなのをいいことに車の中から彼女をじっと見つめてしまう。 「お疲れ様です、真琴さま。それから……天樹さま」 「……真琴さんのお屋敷の、執事さん……? こんにちは!」     氷高はカレンの名前こそ知っているようだが、さして興味がないらしい。彼女には社交辞令程度の挨拶だけをして、真琴を車の中へ導いた。あの人気女優に興味を持たないとは筋金入りだ――なんて契はニヤつきながら氷高を観察していたが、あることに気付き口元をこわばらせる。 「あの……お名前、なんとおっしゃるんですか?」 「私ですか……? 氷高と申します」 「ふふ、下の名前は?」 「……悠維、ですが……?」 「悠維さん! 素敵なお名前ですね! 真琴さんのお迎え、いつもしているんですか? またお会いできたらいいなあ」 「……うそだろ」  ――なんと。あの大人気若手女優・天樹カレン。彼女が、氷高に興味を持ったようである。真琴の屋敷の執事だから話しかけている……という様子ではない。カレンの表情は、明らかに男を前にした女の顔で、氷高に一目惚れしたことが外野からも一瞬でわかるほどだ。  氷高は、カレンに簡潔に挨拶をすると、車の中に戻ってきた。車を発進すれば、カレンはいつまでもこちらに向かって手を振ってくる。  天樹カレンに一目惚れされたのは、素直にうらやましい。しかし――契は、急に不安になった。今、氷高が彼女に興味がなくても、あの天樹カレンにアプローチされたら……堕ちるに決まっている。契の目から見ても、天樹カレンは壮絶に可愛い。男であの顔を嫌いな人間など、絶対に存在しない。 「ひ、氷高……」 「先ほどの方、天樹カレンさん……まさかこんなところで会うとは思いませんでした。近くで見るとやはり美しいですね」 「……、お、おう」  バクバクと心臓が高鳴る。  どうしよう……氷高が、あっちに行ってしまったらどうしよう……  氷高が自分を好きだと、自信を持って言えなくなる日がくるとは思っていなかった契は、突然訪れたその日に、戸惑うしかできなかった。

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