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第八章
「……ん?」
昨夜そのまま波折の家に泊まり、波折をめちゃくちゃに犯してそのままベッドで眠りについた……ところまでは鑓水も覚えていた。しかし、朝を迎えて目を覚ましてみると、一緒に寝ていたはずの波折が隣にいない。ベッドには、鑓水ひとりしか寝ていなかった。
「……どこいったあいつ」
がしがしと頭を掻きながら鑓水は身体を起こす。身体には何も纏っていない。床に放ってあった下着だけを履いて、鑓水はふらりと立ち上がる。
そのとき。何やら香ばしいいい匂いが鑓水の鼻を掠める。耳をすませば扉の向こうから、ジュージューと何かを焼く音が。不思議に思って扉をあければ……そこに波折はいた。手にはフライパン、その上で焼かれているのはソーセージ。コンロの横に置かれている皿は、二枚だ。
「……何やってんの」
「朝ごはん」
「……はあ」
「慧太、食欲ある?」
「え、普通」
「じゃあ、作っちゃったから食べて」
「それ俺の分なの?」
「うん」
ちゃんと服を着て、髪も整えて。黒いエプロンを身につけてコンロにむかっている波折の姿。聞けば自分の分の朝食をつくってくれているという。
「……波折」
名前を呼ばれて、波折は振り返った。そうすれば、鑓水が軽く触れるだけのキスをしてくる。唇は一瞬で離れていって、波折は目を閉じる間もなかった。何を考えているのかわからないような、穏やかな表情をしてキスをしてきた鑓水を、波折は軽く睨みつける。
「……さすがに料理中のセックスは……」
「馬鹿、今のキスはそういうキスじゃねーから」
「……は?」
意味がわからない、そういう顔をする波折を一瞥して、鑓水は扉をしめて再び元の部屋に戻る。
(……やべえ、ちょっと可愛いとか思っちまった)
自分と波折は、性奴隷とそれを支配する主人。それ以外のなにものでもない。一瞬だけそんな考えが崩れそうになって、鑓水は冷や汗をかいた。波折も、鑓水のキスに対して疑問を覚えただろう。セックスの開始の合図以外のキスなんて、自分たちには必要ないのだから。
「ねーわ。エプロンが好きとかただの男の性だし、波折とかただの奴隷だから」
ぶつぶつと独り言を言いながら、鑓水はふと本棚を見つめる。なんというか……こざっぱりとした本棚だ。教科書の類しか置いていない。娯楽と呼べるものが一切置いていなかった。やっぱり波折は少し変わっているなあ……と思ったところで、鑓水はずい、と本棚に目を近づける。
「ん?」
鑓水は一冊の本を引き抜いた。それは、教科書だ。JSで使っているもので、鑓水も同じものを使用している、魔術の教科書。……しかし、ほんの少し、デザインが違うような気がした。よくよくみてみれば、その教科書は初版のものだ。鑓水の記憶が確かならば……自分たちの代が使っているのは、第5版だった。
「なんでこいつ初版なんて持ってんだ?」
「……慧太」
「うおっ」
先輩などから譲って貰えば初版を持っていてもおかしくない。……が、教科書は強制的に購入することになるから、もう一冊持っていても無駄になる。なんのために? 色々と思案していれば波折が呼んできたものだから、鑓水は驚いて軽く飛び上がってしまった。声のした方を顧みれば、扉の隙間から波折が顔を覗かせて困ったように笑っている。
「ごめん、飲み物だけ持って行ってもらえる?」
「お、おう」
食事をテーブルに運んでその前に座る。一人部屋用のテーブルは小さくて、向かい合うと近い。そういえばいっしょに食事をするのは初めてだ、と思いつつ鑓水は食べ始める。
「あ……旨い」
「そう。慧太の口にあってよかった」
すました顔で波折はもくもくと食事を続けている。触れ合うとき以外の波折は淡白だ。お世辞でもなんでもなく素直に言った鑓水の言葉にも、とくに反応を示さなかった。
「波折いつもこんなんつくってんの?」
「……そんなに言うほどのもの?」
「まあ……俺がいつもろくなもん食ってないってのもあるけどさ」
「……そうなんだ?」
「俺いつも家に帰ってないしさー」
ちらりと波折が鑓水を見上げる。何を言うべきか悩むように視線を漂わせて、やはり淡々と話し出す。
「見た目のまんま、不良だな」
「色んな事情があるんだよ」
「ふうん……いつも何食べてんの」
「えー……ファーストフードとかコンビニで買ったやつとか」
「……俺がつくってやってもいいよ。そんなものばっかり食べてたら体壊すでしょ」
「えっ」
波折の言葉に、ぱっと鑓水が顔をあげる。それは、ほぼ波折と同棲するということになってしまう。食事をつくってもらえるなら嬉しいに越したことはないが……なんとなく、鑓水のなかでそれは「ヤバイ」と思った。
必要以上の接触は、この関係を崩壊させる。せっかく手に入れた、最高の快感を手放してたまるか。
「いや、いい。そこまでしてもらう必要がない」
「そう。ならいいけど」
もしも、鑓水が波折に余計な感情を抱いてしまえば波折は鑓水を拒絶する。沙良に対する態度と同じものをとられるだろう。同棲なんかしていれば、流石の自分もなんらかの情が波折に移ってしまうような気がして……鑓水は波折の提案に、一瞬肝を冷やしたのだった。
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