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雨は、冷たかった。
家に帰った波折はびしょ濡れのまま、部屋にうずくまる。ぽたぽたと水滴が床に落ちていっているが、どうでもよかった。
「……ッ」
自分が、酷く醜く思えた。沙良の側にいてはいけないと、自分から彼を突き放したくせに……彼のなかに自分の居場所がなくなってしまったことにショックを受けている。彼の隣に女の子がいたということにやきもきとしている。このまま沙良は華子と一緒になったほうが……たとえ、彼女と永遠でなかったとしても、自分以外の誰かと添い遂げたほうが幸せになれると知っているのに、やっぱり自分のことを見て欲しい。また側にいさせて欲しい。
……馬鹿だ。自分勝手だ。あんなに彼のことを傷付けておきながら、こんなことを考えて。あの子のように……華子のように普通の女の子になりたいなんて思ってしまったりして。沙良の視線を奪う華子を憎たらしく思ってしまったりして。
わかってるのに。これでいい、自分と沙良の関係はこれでいい、わかっているのに。哀しい。寂しい。
雨で冷たくなったに、熱い雫が伝い落ちる。一度溢れ出すとそれはぼろぼろとこぼれてきて止まらなかった。寒さに凍えながら一人でこんなふうに泣くなんて、惨めに思えた。
「……?」
そのとき、ドアチャイムが聞こえてくる。気のせいかと思ったが、もう一度ピンポンと確かに部屋に響いた。こんな時間に誰かが訪ねてくるなんて……誰が来たのか、見当もつかない。正直今、外に出たくないし人に会いたくなかったが……仕方なく、波折は立ち上がる。涙をぬぐって、ゆっくりと玄関に向かっていった。
「えっ」
扉を開いて、波折は驚きのあまり固まってしまう。扉を開いた先にいたのは――雨でずぶぬれになり、息を切らしている、
「――よう、あんな雨のなかイケメン置いていくなんて酷いことしてくれるじゃないの、波折クン」
「……慧太、」
鑓水だった。走ってきたのだろうか、酷く体力を消耗しているようにみえた。鑓水はたじろぐ波折を押しのけて無理やり中に入ると、扉を閉める。そして、じっと波折のことを見下ろした。濡れた髪の毛から水滴がぽたぽたと滴り落ちていて、その髪から覗く瞳はじっとりと波折に定めている。
「け、慧太……一人にして、っていったはずなのに、」
「は? ふざけんなよおまえ」
「えっ……」
「そんなツラ俺にみせといてほっとけとか、何言ってんの」
「……っ」
鑓水は眉をひそめ、じろりと波折を睨む。そして、びくりと一歩後退した波折の手を掴んで――勢い良く引き寄せた。ぎゅっと強く抱きしめて、自分の腕のなかに閉じ込める。逃げようと藻掻いた波折を押さえつけるように、その腕に、力を込めた。
「は、はなせ……俺は……俺は、汚いこと考えてるから、」
「汚くなんてねえよ」
「何も知らないのになんでそんなこと言えるんだよ……自分勝手で女々しいこと考えているんだってば、俺は、」
「だから、なんでそれを俺に言ってくれないんだよ」
「なんで、って」
「おまえは俺の弱いところを知っている。だったらおまえの弱いところを俺にみせてくれてもいいだろ……波折。もっと、俺に頼れよ。俺はおまえのこと好きだ、おまえが悲しんでいるときにおまえを一人にしたくない」
「……けい、た」
よろよろと、波折が腕を鑓水の背にまわす。ゆっくり、ゆっくりと顔を鑓水の胸にうずめていく。そして……ぷつんと何かが切れたように、声をあげて泣きだしてしまった。
波折は嗚咽をあげながら、全てを話した。沙良を拒絶し彼を傷つけたこと、いざ彼が離れていってしまったら哀しいと思ってしまったこと、そして沙良の側に違う人がいたということ。鑓水は静かに、波折の頭を撫でながらその話をきいていた。「うん、うん、」と相槌をうってやりながら、ずっと波折のことを抱きしめていた。
「一緒にいたいなら、もう一度側にいて欲しいってちゃんと伝えてこいよ」
「……でも、……俺は、沙良と一緒にいちゃいけない……」
「……大丈夫。おまえは俺を最後には裏切るって言っていたけれど、俺はその覚悟でおまえのこと愛している。神藤もさ、まだガキくせえところいっぱいあるけどおまえのところ好きって気持ちは俺と同じくらいあると思うよ。あいつだって、きっと覚悟ができる」
「……でも……でも、自分勝手だ、俺が哀しいからって沙良に側にいて、なんて頼むなんて……沙良を最後に傷つけるって知りながら、」
「ちょっとは自分の思うように生きろよ。いいだろ、少しぐらい人を傷つけてやれ」
波折が顔をあげると鑓水が濡れた瞼にキスを落としてきた。手を重ね、指を絡め、鑓水は全身をつかって波折を慰める。波折は目を閉じて、ぽろぽろと涙をこぼしながら鑓水を愛を受け止めた。
「人はみんなエゴイストだ。人を傷つけたことのない人なんて絶対にいない。俺も、自分のエゴで色んな人を傷つけた、おまえのことも。おまえは汚くないよ、普通のありふれた人間だ」
「……っ」
雨の音は、部屋のなかにまで響いてきた。冷たい音だ。でも、不思議と先程よりもきれいな音に聞こえた。もう一度鑓水の胸に抱かれてみれば、彼の鼓動と合わさって、雨の音は甘くて優しいもののように感じられた。
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