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夕食を終えて、沙良と波折はリビングで食休みをしていた。ちなみに料理は波折からも洋之からも高評価。二人を満足させることができて、沙良も嬉しかった。
洋之は波折がいるということで気をきかせて自室に戻ってしまっていた。しかし、だからといってリビングで致すことなどできるはずもなく。悶々としながも、沙良は波折の肩を抱くにとどまってる。
「波折先輩……あの、聞いてもいいですか」
「ん?」
「波折先輩のご家族……亡くなったって言ってましたけど……記憶、ないんですか?」
「あるよ? なんで?」
「いや……どうでもいいって言ってから」
「どうでもいいものはどうでもいいんだよ」
「……そうですか」
波折は沙良の家族と話しているときに、楽しそうにしている。波折の亡くなった家族はどんなものだったのだろうと気になって聞いてみれば、やはり波折は「どうでもいい」という。ちゃんと家族の記憶があるのに亡くなった彼らに興味を示さないなんて……変なの、と思っていれば、波折がちらりと沙良を横目で見つめた。
「何か?」
「……いや。俺だったら自分の家族が死んじゃったら悲しくて、すごく引きずるので……えっと、波折先輩の事情もあると思うのでそれはなんとも言えないですけど」
「そうだね、俺も家族が死んだばかりのころは悲しかった」
「あっ……やっぱり……ですよね」
波折の言葉に、沙良はほっとした。波折が感情が欠落しているのではないかと疑念を抱いてしまっていたからだ。きっと、時間が心の傷を癒してくれたから、波折はなんともない顔をしているのだろうと沙良は納得する。しかし、次に波折の口から出た言葉に固まった。
「……悲しみは、消された」
「え……?」
「ご主人様が、消したんだよ」
波折はなんでもない、という風に言った。
「ご主人様」。波折を支配する謎の人物。波折にとって、悪い人。その名前を聞いた瞬間、沙良は腹の中がグツグツと煮えたぎるような苛立ちを覚えた。
「俺が幼いころ……歳はよく覚えていないけれど。ご主人様に、家族を皆殺しにされた」
「……は?」
「でもご主人様は俺だけは殺さなかった。俺がご主人様の理想像そのものだったんだって。俺はあの人の望みを叶えるために、あの人の傀儡にさせられた――あの人へ陶酔するように調教されたんだ。あの人のものになったときからずっと」
「……」
沙良は信じられない、といった目で波折を見つめた。まるでフィクションのような、狂気じみた境遇。それは本当なのだろうか。本当ならば、波折は両親を殺した犯人を「ご主人様」と呼び慕っていることになる。
「……波折先輩、魔術得意ですよね。殺したいと思わなかったんですか。俺なら魔女になったとしても家族を殺した犯人が目の前にいたら魔術を使って殺しますけど」
「殺すなんて、ずいぶんと過激なことを言うな。まあ、本当に憎んでいたら俺もそうしたかもしれない。でも、俺はご主人様を憎んではいない」
「どうして!?」
「だから、憎めないように調教されているんだって」
「そんな、ありえないでしょう!」
「……ありえない?」
はは、と波折が笑った。その違和感を覚えるような笑い方にびくりとした沙良の手をとると、波折は自分の服の中へ滑りこませてゆく。沙良の手のひらに、するするとシルクのようになめらかな波折の肌の感触が伝わってくる。
「……どうして、俺がこんな淫乱になったと思う? 幼い頃から……物心もつくまえからあの人に調教され続けていたからだよ。幼児の心と身体はな、側にいた人の影響をいくらでも受ける。たとえ親を殺したやつだろうと、そいつの奴隷にだってなれるんだ」
「……っ」
「俺の心臓はご主人様に喰われている。運命を握られている。逆らうことなんて、絶対にできやしない。……しようとも、思わない」
波折の言葉には、妙な威圧感があった。不可侵の壁を感じるような。部外者が何を言おうが変えられることなどできやしない、そんな圧。沙良にとって波折の境遇は共感などできるものではなかった。自分にはとてもじゃないが想像できるようなものではなかったから。しかし、「ご主人様」のやっていることが決して正しいことではないということはわかる。そんな奴に波折が支配されているということが、どうしても許せない。
「……自分が調教されているという自覚があるのなら、逃げようという意思は湧いてこないんですか」
「……ない」
「……ほんとうに?」
「……だって、逃げたところで俺はもう、ダメだもん」
「ダメ?」
「ダメなの」
「どういうこと?」
「それは秘密」
波折が哀しそうに笑う。以前、拒絶されていた時と比べると、自分のことを話してくれる。しかし、それはある一定のところまで。核心に触れるようなことは、絶対に言おうとしない。「ご主人様」って誰、「ご主人様」の目的ってなに、きっとその答に迫る問には、答えてくれない。
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