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第1話
「なあ、俺のこと好き?」
その質問に意味なんてなかった。
俺は読んでいるマンガから目も離さずに、その言葉だけ投げかけた。
そのとき俺が寝転がりながら読んでいた、マンガ雑誌の主人公が同級生の女の子に言ったセリフを、そのまま言ってみただけだった。ただの気まぐれだ。
そんな言葉を口にした理由を、しいて挙げるとすれば主人公と女の子は幼なじみという点と今の俺みたいに相手の部屋に上がり込んでる点が共通項だったからか?
現実は幼なじみは男だし、本当に少しふと、シチュエーションが似てると思ったからに過ぎない。
俺と、この部屋の主、茅野留衣 は幼稚園以来、高校までずっと一緒の幼なじみだ。
そして自分のベッドに座って、やっぱりマンガを読んでいた茅野が、どんなリアクションを返してくるか見たかった。
普通にキモがられるか、冗談でノってくるか。
そのどっちかだと思った。
少し待っても何の返事もない。
(つまんね、スルーかよ)
そう思って茅野を見ると、首から上が風呂でのぼせたみたいに真っ赤になった奴と目がガッツリ合った。
開け放した窓から爽やかな風が吹き込む4月の夕方だ。暑いはずがない。
(え……?)
なにその反応。なんか、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい照れてる……みたいなんだけど……?
そう思った一瞬後、
「す、好きなわけあるかっ」
少し上ずった掠れ声で、視線を逸らした茅野が言った。
(いやいやいや、その反応はどう見ても……)
「あれ俺、なんか、マズイこと尋いちゃった感じ?」
「えっ……は?……な、何言ってんの」
茅野は、どう見ても動揺していた。さっきまで読んでいたマンガを読む振りをしているが、持ってる向きが逆さまだ。マンガで隠し切れていない耳も赤いし。
(こいつもしかして、本当に俺のこと好き、だったのか?)
まさかこんなに面白い反応が返ってくるとは思わなかった。
暇つぶし程度の言葉遊びだったが俄然、茅野の態度に興味が湧いた。
俺は茅野がさっきより小さくなって座っているベッドに這い寄って縁に手を掛ける。
「好きじゃないなら顔、隠してんなよ」
茅野は俺の気配に怯えたように少し後ずさった。
(やばい、楽しい)
なんだこれ。鬼ごっこの鬼の時に、鬼じゃない奴を行き止まりへ追い込んで、あと少しで捕まえられそうな、ゾクゾクするようなこの感じ。
なんだ俺、そんな趣味あったのか?
「茅野」
声を掛けるとあからさまにビクッと茅野の肩が震えた。
「マンガ、逆だけど」
そう言って茅野の手から本を取り上げてやった。
「……ッ!」
咄嗟に俺から顔を背けてうつむいた茅野のまつ毛が震えていた。気にした事もなかったが、女子みたいに長いまつ毛だった。
横顔が必死に俺の視線から逃げたがっている。
(なんつーカオしてんだよ)
嫌がってるのとは似てるが違う。羞恥に耐えているような表情。
(俺が、こんな顔させてるのか?)
まるで苛めているような気分になる。こいつに限らずこんな表情の人間を目の前で見たことがない。
もっとこんな風になった茅野を見ていたいと思う意地悪な衝動が沸き起こった。
「なあ、茅野。お前って俺のこと好きなの?」
「好きじゃない、って言ってるだろっ」
相変わらず視線を逸らしたまま赤い顔で茅野はそう言った。
「じゃあ、なんで俺のこと見ないの?さっきから顔背けっぱなし。目、合わせられないからじゃないの?」
煽るように言うと茅野はゆっくりと顔を俺の方に向けた。まだ視線は逸らされている。
「どうした?」
さらに、からかうように続けると茅野の目が俺を見た。
睨みつけるようにキツイ眼差しの割には、瞳がやけに潤んでいる。
「……佐倉 なんか、好きじゃない」
少し震えながら、唇を噛み締め顔を耳まで赤くして目には涙を溜めて、俺の名前を呼ぶ。
そんな必死な茅野には悪いが、言葉とは裏腹に愛の告白にしか見えなかった。
(素直に好きだって言やいいのに)
そう感じると急に茅野の態度がもどかしくなった。
そこまで分かりやすい反応をするなら、認めてしまえばいいのに。
見え見えの嘘で誤魔化そうとする茅野に、いっそう嗜虐心が唆られるのを止められない。
俺は一気にベッドに乗り上がり茅野の至近距離まで近づいた。
茅野は息を飲んで体を固くしている。
(言葉だけでこうなるってことは触ったりしたら、こいつどうなんの……?)
俺は茅野に手を伸ばしてみた。茅野は伸ばした手の分だけ後退した。
さらに俺は手を近づける、磁石が反発し合うみたいに、そのぶん茅野が逃げる。
だがすぐに茅野は背後の壁に行き当たった。
俺は茅野を追い詰め、身体越しに壁へ手を付ける。これでもう、茅野はどこへも逃げられない。
「さ、さっきからお前、ヘンだよ。何が……したいんだよ」
上目遣いの茅野が震える声で言った。
(そうやってお前が俺の本能的な部分、煽ってくるから悪いんじゃねえか)
「お前の方がヘンなの自覚ないだろ。すげー俺のこと意識してるじゃん」
そう言って茅野の耳元でフワフワしている茶色い髪の毛を摘んだ。
茅野はその手を焦った様子で振り払う。俺は思わず鼻で笑ってしまう。
「……ほらな。なんでそんなに狼狽 えてんだよ」
「だってそれは佐倉が……っ」
「俺が……なに?」
わざと耳元に口を寄せて囁く。茅野の喉で唾を飲み込む気配がした。
「どう考えても、お、おかしいだろこの状況。なんで、こんな近いんだよ」
「お前が逃げるからだろ」
俺の言葉からも身体上の距離からも逃げた茅野を追った結果が、こんなに近くなっただけだ。
「俺のこと好きかって聞いてから、お前ずっとヘンだし俺から逃げてる」
(それで俺のこと好きって以外にどんな答えがあるんだよ)
「違うか?」
「それ……は……っ」
「どうなんだよ」
「なに……がだよっ?」
「はぐらかすなよ」
俺は振り払われた手でまた茅野の髪に触れる。
猫っ毛の茅野の髪は柔らかくて気持ちがいい。
だが茅野は一杯一杯で、もう振り払う余裕がないようだ。目があちこちに彷徨 っている。
茅野から『逃げ出したい』という吹き出しが、あらゆるところから出ているのが見えてしまう。
さっき茅野の事をヘンだと言い切ったが、確かに俺もおかしいかもしれない。
ここまで追い詰める理由もない筈なのに逃がしてやる気が微塵 も湧いてこなかった。
それ、を聞いてどうしたいのか分からない。単に白黒はっきりさせたいだけなのだろうか。
火照 った吐息を吐き出す茅野にあてられて俺もどうにかなってきたみたいだった。
茅野の髪をいじる俺の手は放置されるのをいい事に段々と大胆になっていった。
すでにいじるという領域を超えて、首筋から髪に手を差し込んで柔らかな髪の感触を楽しむ様に撫で梳かしていた。それは完全な愛撫になっている。
そしてその意図を持って触る俺の手の感触を、茅野は細かく震えながら確かに感じている。
「茅野」
いつの間にかまた顔を逸らしている。俺は顎を持ち上げ茅野の目を覗き込むように見つめた。
不意を突かれたのか茅野が思いの外 、無防備な表情を見せる。
薄く唇を開いて俺を見る目が潤んでフチが赤くなっているのに気付いた。
(ヤバイ)
その瞬間、頭の中で警鐘がやかましく鳴り響くのが分かったが、止まらなかった。
(なんなのコイツ。こんなの……可愛すぎる)
気付くと俺は茅野の身体を壁に押し付け強引にキスをしていた。
「んんっ……う、ん……」
茅野は抵抗しながら苦しげな声を喉の奥で上げる。
その反応に俺は一層、抑えが利かなくなる。より強く茅野を押さえ付けながら顎を引かせて無理矢理に口を開かせる。そうして出来た隙間に舌を差し込んで絡めた。殆ど無意識の衝動だった。
「あ……はぁ。っ……ん、ぅ。佐、倉ぁ、っっ」
堪らなくなるような声を出し身を捩りながら逃げようとする茅野の身体ごと押し倒してベッドの上で馬乗りになる。抵抗を受けながらも更に執拗に舌を絡ませた。
その抵抗が俺を異常に熱くさせる事に茅野は全く気付いていない。
獣のように荒い息を吐きながら、唇をもっと深い角度へと繋がるように重ね合わせる。
(やべえ、こいつの口の中、熱くて柔らかくて、すげえ気持ちいい)
貪るように味わっていたかった。実際、そうしていた。
かなり長い間、茅野の唇と舌と口内中を侵食し続けた。気付くと茅野は抵抗を止めていて、俺の熱に惹き込まれたように恍惚とし、お互いが求め合うようなキスをしていた。
まだ名残惜しかったが、いったん唇を離して茅野を見ると髪の毛と同じ茶色いガラス玉みたいな瞳が惚けたように俺を見ている。その表情を見て確信する。
(絶対こいつも気持ち良かっただろ)
「茅野?」
俺は魂が抜けたような様子の茅野を呼ぶ。
その声にハッとしたように茅野の瞳に感情が戻って、俺を睨んだ。
「なんで急に……こんなことすんだよ」
そして険のある声で俺を咎 めるように言った。
(なんで?なんでってお前が素直じゃねえから……って、でもキスした理由は別か)
「お前が可愛かったから」
「意味が分かんね」
茅野は俺を押しのけて、また体を離した。
「だから、おまえ俺のこと好きなんじゃねえの?さっきから反応見てると、そうとしか思えないんだけど」
一瞬虚を突かれたように茅野の動きが止まる。また赤くなるかと思ったが、さっきから同じやり取りを続けているせいか、茅野もだいぶ冷静になってきたようだった。
「……違うって言ってんだろ。自意識過剰すぎ」
(あんなキスしといてその態度かよ)
俺もだんだん意地になってきた。もう、絶対こいつの口から好きだって言わせてやろうと思った。
「ふうん、自意識過剰……ね。まあ、それならそれでいいや」
「佐倉お前、なんか今日、怖えよ……」
(俺が怖い?)
茅野とは家も隣で幼稚園からの短いとは言えない付き合いだ。今まで喧嘩なんか数え切れない程してきた。
だが、たかが喧嘩で終わるような関係じゃなくて言わば親友なんだと思っていた。
でもあくまでそれ以上ではなかったはずだ。
それが今日の茅野を見ていたら、俺の中に今までにはなかった特別な感情が生まれたような気がする。
芽生えたばかりのこの感情の名前はまだ分からない。
ただ、少なくとも今まで以上に茅野が特別な存在になったことだけは感じる。
茅野はその変化を感じ取って俺を怖いと言っているんだろうか。
だけど、それはそもそも茅野の俺に対する態度が素直でないせいであって、ともかく俺のことを好きだと認めさせない事には気持ちが収まらない。
「あぁ、だったらさ」
俺は不意に思い付いて言った。言い方を変えてやる。
「お前、俺のこと好きじゃないとか怖いとか言ってさ、じゃあナニ?俺のこと嫌いなの?」
正面から真顔で茅野を見つめる。
すると見る間に茅野の顔が赤くなる。これは予想外の質問だったようだ。
今日一日でこいつの血圧は増減が激しすぎて、さぞかし心臓に負担が掛かっているだろう。
「ずっと、一緒にいるんだから、嫌いな訳……ないだろ」
真っ赤になってその反応。俺はそれ見ろといった気持ちで一杯だった。
でもそれで取り敢えずは満足した。
確かに今日は茅野イジりが過ぎたかもしれない。それで許してやろうという気持ちになった。
それなのに、
「……でもっ、だからって好きとは言ってねえからな。う、自惚 れんなよな」
横を向いたままで茅野が余計な一言を言う。
許してやっても良かった。
だけど、さっきのキスの余韻もまだくすぶっている。
(煽ってるってこと、全然気づいてないんだろうな)
「バーカ」
俺は茅野の肩に手をやって引き寄せた。
「え?なに、なんで?」
訳の分からないという表情をしている茅野を無視して、すくい上げるようにその唇に重ね合わせる。
(やっぱり柔らかくて気持ちいい)
その感触を楽しむために何度も口付ける。
茅野の手が胸を押してくるが、ほとんど力が入っていない。
上唇や下唇を少しだけ噛んだり引っ張ったりしたが、さっきみたいに衝動的でない分、優しくしてやった。
顔を離すと茅野はトロけきったような表情になっていた。
自然と茅野を抱きしめて頭を撫でる。
「茅野、可愛い」
「もう、わけわかんね……」
胸の方から茅野の小さな声が聞こえてきた。
「一回するのも二回するのも一緒だろ」
「一緒じゃねえよ、もう帰れよ馬鹿野郎」
その声はやっぱり呟くように小さくて、俺は笑って、もういちど茅野を抱きしめ直した。
俺はどうやら知らないうちに、相手が茅野の場合にだけ発動する、禁断の呪文を唱えてしまったようだ。
呪文の効果は遅効性らしい。だったら、どんどん重ね掛けしてやろう。
——こいつが素直に好きだと言う日が楽しみだ。
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