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嵐のあと
あれから三日間、一颯は熱を出して寝込んでいた。精神的にも追い詰められたからだろう。
熱は下がったが体力が落ちていて、大事をとって学校を一週間休んでいた。
一颯は夜中にふと目が覚めた。
水を飲もうと自室から一階に下りた一颯は両親の話を聞いてしまった。
「まさか雨宮が急に仕事を辞めるとは……」
「引っ越し先の連絡もないの?」
「ああ。何か悩みでもあったんだろうか……古い付き合いなのに、知らなかった」
「あなた……」
階段のところで立ち止まっていた一颯の背後から駿助が小さな声で呼んだ。
「兄貴」
弟の声にぴくりとして一颯が振り返ると、駿助が顎で一颯に戻るよう伝えてきた。一颯は駿助について階段を上り自室へと戻った。
「雨宮さんがって……」
「ああ。俺が脅した」
「え……」
「あいつ、一颯以外のやつにも手を出してたんだ」
「なんで、そんなこと知って……」
「一颯の写真を取り返しに行って、ちょっとボコッてあいつのスマホを奪ったんだよ。そしたらいろんな奴の写真が出てきた」
一颯は驚いて目を見開いた。
「兄貴の事もストーカーしてたみたいで、隠し撮りが何枚もあった。あいつ、ずっと隠してきたことが家族にばれるのをすげぇビビってた。だからデータ抜き取って、ばらされたくなかったら二度と一颯に近付くなって言った」
兄貴の写真は全部削除したから、と駿助は付け加えるように言った。
気付かなかった。雨宮がそんな男だったなんて。「上手く隠してきた」と言っていた。
ずっと擬態して生きてきたのだろうか。歪んだ心を隠して。
「あいつ。俺だってバレたらやばいだろうって言ってきたけど、俺は構わないって言った。兄貴が好きな事がバレたって構うもんか。どんな邪魔が入ったって絶対に一颯を諦めないからな。そう言ったら、あいつすげぇビビってた。そんで逃げたっぽいわ」
「駿助……」
「……どうしようもないんだ。俺は、たぶん……死ぬまで兄貴が好きなんだと思う」
駿助は静かな、けれど熱い眼差しで一颯を見つめた。
駿助は一颯への想いを隠さない。若さゆえに恐れを知らない。でも、その瞳はひどく大人びている。
「なんで俺なんだ。お前ならどんな相手でも付き合えるだろ」
「知るかよ。俺にだって分からんねぇ。でも一颯じゃなきゃだめなんだ」
駿助は自分のスマホを出して、画像を開いた。
「!!」
初めて一颯を抱いた嵐の夜に撮った写真だ。駿助もこの写真で一颯を脅して抱いたのだ。
一颯の目の前であの夜の写真を消していく。
「これで全部だ。信用できないならこのスマホは兄貴にやる。俺のパソコンを調べたっていい」
「どうして……」
「……兄貴が好きだから。雨宮と同じなんて、ムナクソ悪いし」
今更だけど、と苦笑した。
弟は一颯を見つめている。以前と同じ情熱的な瞳だが、今は穏やかさと悲しみが宿っている。
駿助は何かを諦めたような……だけど諦めたくないような、複雑な表情をしていた。
「……傷つけたことは、悪かったと思ってる。ごめん……。でも、抱いたことは後悔してない。兄貴が好きなんだ。だから、俺はもう兄貴を脅せない。無理矢理抱けない。けど、兄貴を抱きたい。一颯とセックスしたい。拒まないでほしい」
一颯に優しくしたい。悩ませたくない。
一颯を抱きたい。めちゃくちゃにしてしまっても手放したくない。
相反する感情に駿助は揺れ惑っている。それでも一颯の気持ちを優先しようと努めているのだ。
それは危ういバランスだった。
一颯が拒めば、あの嵐の夜のように……弟の激情は決壊してしまうかもしれない。
気持ちを落ち着かせるよう深く息を吸い、一颯は駿助を見つめ返した。
「俺は……俺はお前と同じように、お前を好きになれるか分からない」
「知ってる」
「お前だって大学生になれば、他に好きな人ができるかもしれない」
「それは無い」
「駿助……」
きっぱりと言い切る弟に、一颯は呆れたように苦笑した。その顔を駿助は食い入るように見つめた。
久しぶりだった。兄が自分に笑顔を向けるのは……。駿助の胸が切なさで締め付けられる。
兄が好きだ。例え今から拒絶の言葉を告げられるのだとしても、自分は兄の事を好きでい続けるだろう。
「……先の事は分からない」
この関係は歪んでいる。両親が知れば傷付けてしまうだろう。誰からも祝福されない。二人の行く先には破滅しかない。
───でも今じゃない。
一颯は誰かに恋したことなんてなくて、この感情がなんなのか分からない。
「雨宮さんに……レイプされた時……お前の顔が浮かんだ」
駿助以外に抱かれるのは耐えられなかった。自分は弟を嫌いになれないのだと思い知った。
「すごく嫌だった。気持ち悪かった。お前とは違う。お前とするのは……辛いよ。でも、全然違ったんだ」
今はそれしか分からない。
「一颯……」
「駿助。キスして」
一颯の言葉に駿助は驚いたように目を見開いた。兄からキスをねだられるなど思わなかった。
一颯の気が変わらないようにと、駿助は急いで一颯にキスをした。焦ったせいで唇がぶつかってしまい、なだめるように一颯が駿助の腕を優しく撫でた。
それだけで駿助はうっとりとしてしまう。
兄に受け入れられ、甘やかされているような気持ちになってしまう。
駿助は触れるだけのキスを何度もして、一颯の唇を舌先で撫でた。誘われた兄の唇が薄く開く。招かれるように兄の口内に舌を忍ばせて、柔らかく舌を絡めた。
「ん……」
一颯は睫毛を震わせてキスに酔った。こんなふうに甘やかな口付けは初めてだった。
キスがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。
それは駿助も同じだった。
何度も兄とセックスしたが、今夜のキス以上に満たされたことはなかった。
名残惜しげに弟の唇が離れる。
「……もう遅いし、部屋に戻って寝ろよ」
「ここにいたい」
「だめだ。また明日……」
駿助は拗ねたような顔をしていたが「わかった。また明日」と言って、もう一度一颯にキスをして部屋を出て行った。
一人きりになり、一颯はベッドに横になって目を閉じた。
───今は、まだ分からない……。
けれど、ふたりの関係は変わった。
駿助も一颯も、見えない何かが変わったのを感じていた。
あの激しい嵐のような激情は過ぎ去り、今は不可思議な穏やかさに満たされている。
そうして……兄弟は別々のベッドで横たわり、互いのことを考えながら眠りの世界へと旅立っていった。
end.
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