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第1話

貴方の記憶から、俺だけが消えた。 真っ白に戻るみたいに、 何も知らない子供のように、 全て消え失せて輝くみたいに、 貴方は俺を世界に置いてった。 「記憶喪失?」 「そう、事故の後遺症で 去年の記憶がねぇーの。笑えるっしょ?」 「え…俺の事覚えてる?」 「あはは、なに言ってんだよ 俺の大親友の瀧くん、でしょ?忘れないよ」 そう言って笑った貴方に、俺の心は いとも簡単に死んでいった。 俺と貴方は大親友を超えて、 恋人だったんです。 去年の夏、蜃気楼が揺れる道の真ん中 俺は暑さにやられて貴方に気持ちを伝えた。 貴方は笑って「俺も」と答えたんだ。 事故に遭ったと聞いた時、 死ぬかと思った。 頼むから生きていてくれ、と。 生きてさえいればなんだっていい、と。 神様に何度も願った。 けれど、まさか、記憶が。 俺との、記憶を引き変えにして 彼は生きている。 それが嬉しいはずなのに、悲しい。 俺のワガママなのだろう。 貴方は俺を親友にした。 恋人でいられたあの一年を 俺だけに押し付けて。 貴方は笑うのです。 幸せそうに。 だから俺も、笑うしかなかった。 ああ、良かった。君が生きていて。 良かった、親友に戻れて。 同性同士なんて上手くいきっこなかっただろうから。 俺といても貴方は幸せになど なれやしなかったのだろうから。 子供が好きな貴方に、俺は子供を 作ってやれはしないから。 夏祭りに手を繋いで花火を見ながら 人目も気にせずキスをしたい、という ロマンチストな貴方の夢を俺は叶えられないから。 海の見える教会で結婚式をしたい、という 昔からの夢も俺には叶えられないから。 これで良かった。 貴方は幸せになるべきだと、 神様が決めたんだ。 俺ではダメなのだと。 「瀧、あのさ。」 「うん?」 「彼女、出来たんだ」 「は…」 貴方の記憶から恋人の俺が消えて 三ヶ月後の事。 貴方は照れたようにそう言った。 死んだと思っていた心はまだ生きていたらしく その日、完全に死んでしまった。 息をしていたくない、と脳内で叫ぶ。 俺をあの幸せな日々に置き去りにして 貴方は進む。 一歩も歩けない俺に振り向きもせず。 親友であれば隣を歩けると妥協した俺への罰か。 貴方の隣は、もう俺のものじゃなくなった。 貴方は心底幸せそうに見える。 彼女が出来てから会話をする回数も減った。 もう完全に親友としての俺の事も 忘れていくのだろう。 このまま時が進んで、 貴方は結婚して、 子供が出来て。 俺はおめでとう、と言えるだろうか。 一歩も進めない、俺は。 貴方の幸せを喜べるだろうか。 「瀧モテるのになんで彼女作らないの?」 「…別に必要ない、からかな。」 「もしかして好きな人いる、とか?」 貴方は時に残酷な人だ。 右手の薬指に指輪をはめて。 幸せそうに、愛しそうにそれを撫でる。 同棲をしている、と風の噂で聞いた。 久々に飯に誘われて浮き足立った自分を ぶん殴りたくなった。 そうだ、貴方に俺はもう映らないんだった。 もう二度と、その瞳で 愛おしそうに見つめられる事などないんだった。 …その指輪にさえ、俺は負けている。 「うん、いるよ。」 「え…知らなかった。親友なんだから 相談くらいしてくれたっていいのに。 …で、どんな人?」 「…酷い人だよ、とっても。」 「え?」 俺を忘れて、幸せそうにして。 何度も嫌いになりたいと思った。 でもなれやしなかった。 嫌いになりたい、と願うたびに 貴方と恋人として過ごしたあの1年が、 あのたった1年が鮮明に蘇る。 幸せで幸せで堪らなかった。 どんな困難だって乗り越えてやると誓った。 貴方の隣で、死ぬまで生きたいと 心からそう、願ったあの日々を。 それはキラキラと輝いていて いつまでも俺を縛り続ける。 あの日々があんまりにも輝くから、 手放せない、なんて。 言い訳なのかな。 「酷い人…って、どういう事。」 「あはは、なんでそんな怖い顔してるの」 「茶化すなよ。俺とお前は親友だろ。 死んだって、親友だろ。俺はそう思ってる。 だからお前を不幸にするような相手なら 俺は許さない」 お前には幸せになってほしいんだ。 そう、貴方は言う。 おかしくなって俺は笑った。 許さないだなんて。 俺がずっと、ずっとずっと、好きなのは 貴方だと言うのに。 死ぬまで親友。 その言葉に偽りはないのでしょう。 貴方にとって俺は親友。 それが答えなのだと、いい加減飲み込め、と 頭の中で囁いた。 「俺とその人が結ばれる事なんて ないから安心してよ」 「…は?」 「本当はね、1年だけ両思いだったんだ。 凄く幸せでさ。でも相手はそうでも 無かったのかも。もう俺の想いは届かない」 「…どういうこと?」. 「片思いになっただけだよ。 片思いに、戻っただけ。でも伝える気は ないんだ。その人、今とっても 幸せそうだから。俺は壊せない。 だって、大切な人、だからさ。」 スラスラと出た言葉にも偽りはないよ。 本当に、そうだから。 貴方は幸せになって。 そして俺を置いて何処までも遠くへ行って。 振り向きもしないで。 俺が、追い掛けて貴方を捕まえないように。 出来るだけ遠くへ。 そして、幸せになって。 そうやって季節は巡って、 また夏が来た。 蜃気楼が揺れて道を歪ませる。 貴方に想いを告げたあの道で俺はバスを待つ。 貴方の親友に戻れない俺の方が きっと酷い人だ。 貴方の幸せを願うのに、 貴方が幸せそうなのが酷くツラい。 見たくなかった。 額から汗が流れる。 日差しは痛いほど肌を刺す。 蝉が鳴いて、空はうんと青くて。 あの日と同じで、あの日と違う。 蜃気楼の向こうからバスが見えた。 今日、俺は貴方と過ごした街から去る。 やっぱり俺は酷い人だから、 貴方の幸せを見届けるのは出来ない。 ごめんね。 「瀧!!」 その声は遠くから聞こえた。 息を切らして走る貴方の姿が揺れる。 バスは扉を開けて冷気を零した。 一歩、進む。 貴方の記憶に俺を刻んでいてね。 身勝手な奴だと、一生思い続けて。 酷い奴だと。 「だいすき」 自分の喉から その言葉が出て、汗が滲んだ。 一生分の勇気を振り絞ったから もう、二度と出ないと思っていた。 貴方に声は届かないだろう。 それでもいい。 それでいい。 パタン、と扉が閉まって バスは動き出す。 動き出して、景色が流れて そうやって漸く痛いほどの涙が溢れた。 伝えたい事など沢山あった。 好き、大好き、どうして忘れたの 本当は嫌だったの、俺はどうしたらいいの どうして俺だけ置いていくの。 そんな言葉だらけで もう、誤魔化せはしなかった。 一つでも溢れる前に逃げてしまいたかった。 貴方の顔が苦しみに歪む前に。 逃げた先でも俺は貴方を想うのだろう。 もしかしたら、死ぬまでずっと。 心から好きだから。 片思いは続いていくんだ。 俺は酷い奴だから。 貴方の記憶に一生を刻む。 もう二度と忘れてくれないように、と。 恋人としてではないけれど。 貴方が大切だと言った親友として。 貴方の記憶に残して。 幸せになっても時折俺を思い出して。 あんな奴もいたなぁ、くらいでいいから。 幸せの隙間に俺もいさせて。 貴方の幸せを、願い 貴方の幸せを、憎んだ。 そんな俺がいた事を、 どうか、忘れないでいて。

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