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第10話

先の戦争による空襲で全焼したという中目黒のこの家は、終戦した年の翌年に、まったく同じ間取りと外観で建築工事が開始され、一年後には竣工していました。 広くも狭くもない平屋建て住宅で、治信さんと妙子さん、それから二年前に他界された治信さんのお姉様と僕の四人で暮らしていました。治信さんと僕のふたりだけで生活していると、少し広く感じます。 寝室を出て木張りの廊下を静かに歩き、応接間を通って襖を引けば、縁側に出ます。治信さんはガラス戸を開け、そこに腰かけて煙草を燻らせていました。背後に現れた僕の気配を感じてか、ゆっくりと振り向き、無精髭がうっすらと生えた細長い顔に淡い笑みを湛えられました。 「おう、起きたか」 「はい……おはようございます」 本日の第一声は、ひどく掠れていました。調子を整えようと何度か咳払いをしていると、治信さんがははっと笑い声をあげました。 「悪いな、昨晩はちと無理させた」 「……いえ……、あの、僕が眠った後の世話、ありがとうございます。申し訳ありません」 「お前が謝ることない。付き合わせたのは俺だ」 半覚醒だった脳や身体が正常に機能しだした僕は、照れながらも治信さんの隣に腰をおろし、こてんと彼にもたれかかりました。吸い終えた煙草を下駄で踏み潰した治信さんが、僕の肩を抱いてくれます。彼が呼吸する度に煙草の匂いが僕の鼻腔に届き、頭の芯がくらっとしました。 今朝は二日連続の晴天で、洗濯日和でした。 縁側から見える庭には萌えるような緑が広がり、僕が毎日水をやっているテッセンであったり、サツキであったり、金蓮花が色鮮やかに咲き、心地よい朝の風が吹く度に楽しげに揺れています。下駄を履いて近づけば、ふんわりと良い香りが漂ってくることでしょう。 「――僕、もっと体力つけます」 ぼそりと口にした唐突な僕の宣言に、治信さんが眉をひそめました。 「治信さんが満足できるくらいまで起きていられるように、頑張ります」 「頑張りますっつったって」 治信さんは苦い笑みを口に浮かべました。「どうやって体力つけんだ?」 「う、腕立て伏せや腹筋や……何なら近所を走り込んだり……」 「運動神経の欠片もないお前がか?」 「それは……」 口ごもった僕を見て、治信さんが噴き出しました。 「無理しなくていい」 優しく頭を撫でられました。「俺だって遠慮するつもりはさらさらないが、お前はそのままでいい」 「……やはり、遠慮はしてくださらないんですか?」 「しない」 きっぱりと否定され、口元がひきつりました。 「まぁ、無理だけはするな。本当に無理だって言うなら、善処する。それと俺は、疲れ切ってぐーすか寝てるお前の世話をするのが好きだ。だから申し訳ないだとか、面倒をかけさせたとか、考えんでいい」 「むぅ……」 承服してもいいのかどうか、判断が難しいです。僕が唇を少し尖らせて黙っていると、治信さんの顔が目の前にぬっと現れました。 「……ん」 「……そのままのお前が、俺は好きだ」 僕の唇を軽く吸った彼は、上機嫌に笑ってそう言うと、それっきり黙って外の景色を眺められていました。……先週の一件を踏まえ、僕の扱いを心得えたのでしょう。顔が火照って火照ってどうしようもない僕は、「うぅ」とか細い呻き声を洩らして、治信さんの肩に額を擦りつけることしかできませんでした。 了

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