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Ⅳ:終
「勝手に借りたよ」
着替えて脱衣所から戻ると、栗原さんが湯を沸かしてお茶を淹れてくれていた。
唯一ある小さな折りたたみテーブルの上に、ほかほかと湯気のたった湯呑みが一つ乗せられる。
「……あの」
「ん?」
時計を見れば、その針は午前三時を指していた。
俺がバイト先を出たのが大体一時くらいだったとして、彼の携帯に着信を入れたのもそのくらいの時間だ。
栗原さんが近くに住んでいるのなら、俺の着信に気付き様子を見に来たと言われても納得が行くが、夜中も夜中、その上彼の家は県外にある。片道1時間以上は余裕でかかるはずだった。
「あの、何で来てくれたんですか? 家、遠いのに」
しかも、いつも俺の態度は酷いのに。
バツ悪くて俯き加減に問うと、それを見ていた栗原さんが小さく息を吐いた。
「キミが俺に連絡をすること自体が非常事態だろ?」
「うっ、」
「それに、ちょっと気になってたから」
「え?」
栗原さんの視線が真っ直ぐ俺を貫いた。
「第六感、目覚めてるんだろ?」
「あんな聞き方すれば、バレバレですよね」
「まぁね」
ふっ、と笑う栗原さんの前で、俺は服の裾をギュッと握る。
「少し前から、人の心の声がが聞こえます」
「…………」
「嘘だろって思うかもしれないけど、聞こえるんです。近くに居れば居る程、しっかりと。まるで普通に話しかけられてるみたいに」
そうして聞こえる知り合いの声はどれも、大抵が俺を罵る言葉だった。
「つい最近治してもらったばかりなのに、俺…今日具合が悪くて。慣れるだけだって思ってた事が、今日は耐えらんなくて…」
裾を握る手に更に力を入れた。
誰にだって本音と建前がある事くらい分かってる。だから辛くても少しずつでも慣れていくつもりだった。
ずっと俺の支えだった店長が居てくれれば、何とかやっていけると思っていたのだ。でも、どうしようもなくなってしまった。
大好きだった、信頼していたその店長が、まさか俺を心では罵っていたなんて…絶対に知りたくないことだった。
俺がぐす、っと鼻をすすると、栗原さんが「それ」とポツリ言葉を零す。
「それ、第六感に目覚めた人間の特徴なんだよ」
「…?」
「目覚めた第六感に振り回されて、情緒が不安定になる。不安定になった感情はやがて暴走して、普段以上に精神を病むんだ」
だから数日前の治療の効力がもう、切れてしまっている。
「近々そうなるんじゃないかと思っていたから、キミからの連絡には一応用心していた」
「……それは、経験からですか? 今までの、ガイドとしての」
栗原さんを見ると、そこで初めて彼は瞳の奥を揺らめかせた。見たことの無いその表情に俺は息を呑む。
これは聞いてはいけない部分なんだと、俺の本能が察知した。けれど…
「恋人がセンチネルだったんだ」
俺が質問を取り消そうとしたその直前に、栗原さんはその重くなった口を開く。
「結婚の約束をしてた。彼女が大学を卒業したら式を挙げる予定だった。でも、卒業する半年前になって……彼女はセンチネルに覚醒した」
栗原さんの瞳の奥が仄暗い闇に囚われていく。
物語の行く末に明るい未来など無い事が聞かずとも分かってしまい、俺はそれを聞きたく無いと思った。なのに、俺の第六感は“聞け”と訴える。
それに…
相変わらず栗原さんの心の声は聞こえやしないのに、何故か俺は、彼に『ここから助け出してくれ』と、そう言われた気がしたのだ…。
第四章:END
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