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第1話
高校の卒業式の日。
親友だった同級生から告白された。
『和真 、俺、お前のことが好きなんだ……』
いきなりだったから。ただびっくりして。
目を見開いて。
しばらく声が出なかった。
それを拒絶ととったのか?
『ごめん。忘れて……』
それだけ言って、彼は逃げるように俺の前から走りさった。
目が覚めて夢だと気づく。
また最近、あの光景を思い出すように、夢を見るようになった。
なぜ、彼の夢を見るのだろう?
彼の勇気に答えられなかった罪悪感だろうか?
男に好きだと告白されて。抱いた気持ちは嫌悪感じゃない。
むしろ、嬉かったのに。
戸惑いが先行して、俺は走り去る背中を見送ることしかできなかった。
それ以来、冴崎湊 とは会っていない。携帯に電話もしたけど、電話番号は変わっていて、大学も別々になった俺たちは、そのまま音信不通になった。
おっと、こうしちゃいられない。
俺は時計を見て、慌ててベッドから出る。
息子の颯斗 は、まだ爆睡中だ。明け方に一度泣いて起きたから、眠りが深いかもしれない。起こす時、またぐずりそうだと思い、俺はちょっと憂鬱になる。
どこの家庭も同じかもしれないが、朝は一分一秒を争う戦場だ。
シングルファザーとなればなおさら。
洗濯機を回し、朝ご飯を作り、ぐずる颯斗を起こし、なだめてご飯を食べさせ、着替えもさせて。洗濯物を干し、自分の支度もして。
「待って、颯斗。お母さんに出かける前の挨拶な」
「はーい」
出がけに結花 の写真と位牌に手を合わせるのが、連城 家の習慣になっている。
「おかあさん、いってきます。きょうも、おそらから、みまもっててね」
颯斗を車に乗せ、保育園に送り届け、俺は自分の職場へと向かう。
三年前、妻の結花を交通事故で亡くした。
まだ一歳の颯斗をベビーカーに乗せて。散歩中の結花が、横断歩道を渡っていた所に、赤信号無視の乗用車が、無情にも突っ込んだ。
病院から連絡をもらい、慌てて職場から直行した時にはもう――。
奇跡的に無傷だった颯斗を抱きしめて。
冷たくなった結花と対面しながら、俺は泣き崩れるしかなかった。
悲しみと憤り。混乱の中、慌ただしく葬儀を終えて。悲しみに浸る間もなく、慣れない育児と家事が始まった。
あの事故で結花を失ってから、すべてが変わってしまった。
仕事が終わり、颯斗を保育園まで迎えに行って。家に帰って夕飯を作って食べ、颯斗と風呂に入って寝かしつけ、台所と乾いた洗濯物を片付けてから、泥のように眠る。
結花を失った悲しみと喪失を抱えながら、慣れない育児と家事で、日々の生活をこなすので手一杯。自分の時間なんて当然ない。これでいいのかもわからないまま疲れ果て、日常が慌ただしく過ぎていく。
時に実家の母に頼りながら、颯斗と一緒に死にものぐるいでやってきて、あっという間に三年間が過ぎ、颯斗も四歳になった。
正直、結花がいてくれたらと何度思ったかしれない。
けれど、結花が命懸けで守った命だから。
颯斗は俺に残された、たった一人の家族だから――。
そう思って懸命にやってきた。
仕事を終え、颯斗 を保育園に迎えに行く。
19時前。他所の家はだいたい18時までに迎えに来るらしく、颯斗はいつも一人で待っていることが多かった。
「良かったな~颯斗くん。パパ、迎えに来たぞ~」
この園では見慣れない保育士が、颯斗と手を繋いで廊下を歩いてくる。
細身で身長はさほど高くない。男の保育士だった。
しかも、どこかで見覚えが……。
えっ?
「……もしかして、湊 ?」
「えっ?和真?」
お互いに気づいて目を丸くする。
まさか今朝の夢に出てきた相手が、こんな所にいるなんて。
実に十年ぶりの再会だった。
「おとうさ~ん」
颯斗が一目散に走って来て、俺に飛びついてきた。
颯斗を受けとめても、俺の目は、ほとんど湊に釘付けになっていた。
「言い遅れたけど……」
俺の近くまで来て、湊が恭しく頭を下げる。
「今日から颯斗くんの担任になりました。冴崎湊 です。 前任の小川先生が入院されたので、少し時期外れの異動になりますが、今日からよろしくお願いします」
「あ……えっと。連城和真 です。こちらこそ、よろしくお願いします」
俺も頭を下げながら、急に胸が騒ぎ出すのをとめられなかった。
季節は四月の終わり。颯斗はこの春に進級して、年中になったばかりだった。確かにこのタイミングで担任の先生が変わるのは、異例かもしれない。
「小川先生が入院って?大丈夫なのか?」
「俺も今日来たばかりで、詳しいことは聞いてないんだ。ごめんな。あ、そうだ。和真、ちょっと時間ある?俺ももう戸締りしたらあがれるんだ。少しだけ話せないか?」
「ああ。いいよ」
「じゃあ、門の所で待ってて」
言い残して湊が奥へと消えて行く。
その後ろ姿と、十年前に俺の前から走り去った後ろ姿が重なった。
颯斗に靴を履かせ、手を繋いで門へと向かう。
「おとうさん、みなとせんせい、しってるの~?」
颯斗が俺を見上げて、首を傾げて聞いてくる。
「うん。そうだよ」
「そうなんだ~」
颯斗はやたらと嬉しそうに、きゃっきゃっと笑った。俺の手を振り切り、門まで走っていく。
戸締りを終えた湊が、足早に俺たちを追いかけてくる。
「お待たせ。俺、前にここで働いてたことあるからさ。来たばっかで、戸締りまで任されちゃって」
「保育士になってたんだな。まさか、こんな所で会うと思わなかったよ」
「ああ。小さい子が好きなんだ。教師も考えたけど、保育士の夢を諦められなかったから、大学行きながら、通信教育で資格を取ったんだ」
「すごいな」
「と言っても、ロリコンとかじゃないから安心しろよ」
いきなり湊の口調が変わって、俺は面食らう。
「誰もそんなこと……」
「俺、お前以外には言ってないから」
湊が真剣な面持ちで見つめてくる。
「だから、誰にも言わないで欲しいんだ。俺がゲイだってこと」
俺は湯船に浸かって、さっきの湊のことを思い出していた。
十年前は告白されただけで。
改めて、湊の口からゲイだと聞かされると衝撃的だった。
『再会したばかりなのに、自分の保身みたいで嫌だけど……。変な噂がたつと困るんだ。男の保育士っていうだけで、嫌がるお母さんもいるくらいだから。俺、この仕事が本当に好きなんだ。だから……』
心配しなくても、誰にも言わない。
そう約束したけれど……。
湊から告白されたことを、俺は今まで誰にも言ってなかった。結花にも話したことはない。
湊は湊なりに、悩むこともあるのかもしれない。それでも好きな仕事をしている湊を、羨ましく思った。
それに引き替え、俺は……。
「うわっ」
油断していると、お湯が飛んできて、顔に直撃する。
水鉄砲を構えた颯斗が、声を上げて楽しそうに笑った。
「お返し」
颯斗にも手ですくってお湯をかける。そのあと、颯斗の両脇を捕まえてくすぐった。
「きゃ~。やめて~」
風呂場に二人分の笑い声が響いた。
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