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第2話
それから何度か湊と話す機会があったけど、あくまでも保護者と先生といった会話で、お互いのプライベートに立ち入るような話はしなかった。
俺はそれを少し残念に思った。
それでも、湊が颯斗の担任の先生というだけで安心できたし、気持ちが明るくなるようだった。
気づけば保育園で湊の姿を探していたし、見つければ、目は自然と湊を追っていた。
連絡帳に時々書かれている颯斗の保育園での様子。湊が書いてくれた時は無性に嬉かった。
「颯斗くん、おはよう。よく来たね」
朝、俺たちを優しく迎えてくれる湊の笑顔。
「先生、さようなら。また、明日」
颯斗の両手を握ってするお別れの挨拶。
「颯斗くん、バイバイ」
「せんせい、バイバイ」
颯斗も湊のことが大好きみたいで、家でも湊の話をよくするようになったし、保育園に行くのが楽しみみたいだった。
保育園での湊はいきいきしていて、俺の目には何だか眩しく映った。
湊が赴任してきて三週間くらいが経った頃だろうか?
保育園から颯斗が足を怪我したと電話があったのは。
コンクリートの段差でこけて、足首を切ったとのことだった。応急処置はしたが、血がかなり出ているので、迎えに来て欲しいと。
保育園に着くと、颯斗は玄関に座って待っていた。側には湊が寄り添っている。
「颯斗くん、お父さん来たよ」
颯斗は一瞬嬉しそうに顔を輝かせたが、俺を見てほっとしたのもあったのか、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
「おとうさん」
湊が立ち上がり、深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
怪我した時の状況や、怪我の具合を説明して謝罪する湊の顔は、心なしか青ざめて強張って見えた。
園長先生も出てきて謝ったり、どこの病院がいいか教えてくれたりした。
もう一度二人で深く頭を下げる姿に、心の中で保育園の先生も大変だなぁと思う。
二言三言、言葉を交わし、俺は颯斗を抱き抱え、車に向かった。
後部座席のジュニアシートに颯斗を乗せる。
「痛かったな。今から病院行って診てもらおうな」
「びょういん、いくの?」
颯斗が不安そうな顔をする。また、泣き出しそうだ。
「待って、和真!」
呼ぶ声に振り向けば、湊が走ってくる。
「俺も一緒に行くよ」
「いいよ、大丈夫だから。湊も仕事あるだろ?」
「お父さん一人だと大変だろうから、ついて行ってって。園長先生の命令だから。俺も乗せて」
「わかった」
そういうことならと俺は頷き、車に乗った。
湊は後部座席に乗り込み、颯斗の隣に座る。
湊が車に乗っただけで、車内の体感温度が少し上がった気がする。胸がドキドキして、気持ちが高揚するのが、自分でもわかった。
「せんせいも、いっしょにいくの?」
颯斗の顔が急に明るくなる。
「うん。一緒に行くよ」
「やったぁ!」
颯斗は両手を上げて喜んでいる。
「原田外科の場所ってわかるか?初めて行く病院だから知らなくて」
「ああ、知ってる」
「良かった。ナビ合わせる手間が省けたよ」
エンジンをかけて、ゆっくりと車を出す。
「とりあえず、県道まで出て。右折してしばらくそのまま真っ直ぐだから」
「わかった」
指示どおりに車を走らせる。
バックミラーには、颯斗の頭を撫でる湊が映っていた。
「……本当のこと言うと、湊がいてくれると助かる。俺一人じゃ、いざって時、戸惑うことが多くて。……ウチがひとり親家庭なのは、知ってるんだろ?」
連絡帳の家族構成欄には、俺と颯斗の名前しかない。
「うん。知ってる。……奥さんは」
「三年前に……事故でな」
「……そうか。……大変だっただろ。今までひとりで。あ、ごめん。きっと、大変とかって言葉じゃ、片付けられないよな」
湊は神妙な顔をしている。
「あっ、次の信号、左に曲がって。すぐ左だから」
「了解」
病院は混んでいて、順番を待つ患者でいっぱいだった。
湊は颯斗が退屈しないよう、手遊びをしたり、絵本を読んで相手をしてくれている。さすがは保育のプロだけあって感心する。
俺と颯斗の二人だけじゃ、すぐに間が持たなくなりそうだ。
颯斗も怪我したことを忘れるくらい、よく笑っていた。
だが、いざ呼ばれて医師の診察になると、颯斗は途端に泣き出した。「念のためレントゲンを撮りましょう」ということになり、看護師に案内される。
「お父さんはこちらでお待ちください」
看護師は俺から颯斗を受け取った。
「おとうさんっ!おとうさんっ!!……ぅわあああぁぁ……」
俺と離れるのが怖いのか、痛いことをされると思うのか、必死の声で叫ばれ、その後は大泣きに変わる。
「写真撮るだけだからね。痛くないよ」
看護師に優しくなだめられ、撮影室へと消えて行く。中からは、まだ颯斗の泣き声が聞こえてきていた。
レントゲンを撮るだけだから、痛いはずはないのに、部屋が暗いのが怖いのか、不安なのか。
あんな風に悲痛な声でお父さんと呼ばれると辛いし、ちょっと恥ずかしい……。
「終わりましたよ」
しばらくして、颯斗は看護師に抱っこされて出てきた。
颯斗はまだしゃくりあげるように泣いていた。
看護師が俺に颯斗を渡してくれる。颯斗を抱え直しながら、
「これくらいで泣くな。男の子だろ?」
つい強い口調になってしまった。
気づいた湊が横から手を伸ばす。
「颯斗くん、おいで」
俺は颯斗を湊に預けた。
「怖かったね。よく頑張ったね」
湊が颯斗を抱きしめる。慰めるように頭を撫で、背中をとんとんと優しくたたく姿を見てドキッとした。
温かく慈愛に満ちた眼差しとでもいうのだろうか。颯斗を見つめるその横顔から、目が離せなくなった。
胸がきゅっと締めつけられて苦しくなる。
この感情を……。俺は知っている。
「せ、んせい……」
「よしよし」
泣きじゃくっていた颯斗も、落ち着いたのか、涙も止まり、徐々に呼吸を整えていった。
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