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第3話

幸いにも颯斗の右足の骨は折れておらず、軽い捻挫と擦り傷だった。 足首には大きなばんそこうが貼られていたが、通院の必要もなく、傷口もある程度綺麗になるだろうということだった。 大事に至らなかったことにほっと胸を撫で下ろす。良かった。 湊もほっとして、早速保育園に連絡を入れていた。 慣れない検査で疲れたのだろう。帰りの車の中で、颯斗は寝てしまっていた。 ミラー越しに、あどけない寝顔が映っている。それを見ながら、俺は話し出していた。 「可愛いんだけどな。寝てる時が可愛くてほっとするなんて、父親失格かな?毎日毎日、生活に追われて、いっぱいいっぱいで。颯斗とろくに遊んでやる余裕もない。こんなんでいいのかってホント思うよ……」 思わず出た弱音。 この世界にたった一人。掛け値なしに、全力で俺のことが大好きと言ってくれる存在がいる。颯斗のことがたまらなく愛しい。 大切なはずなのに。 仕事で疲れている時なんかは特に。まとわりつかれるだけでもイラッと来て、颯斗に辛くあたったりすることもあって。それが自己嫌悪になり、途方にくれることも度々あった。 本当はもっと甘えたいだろうに。 ごめんな……。 心の中ではいつも謝ってばかりだ。 「父親失格なんて言うなよ。どんなに子どもが好きなお母さんだって、子どもと一日一緒にいたら、うんざりするっていうくらいなんだ。子育てってそれくらい大変なんだよ 。それに……俺だって同じだ。保育士しながら迷うことだって、いっぱいある。……和真が頑張ってるの、俺はよく知ってるよ。和真は不器用だけど、いつも一生懸命だろ?昔から……。少し肩の力抜けよ」 湊の言葉に、俺は心が軽くなる気がした。 いつもは吐かない弱音が、湊になら出せる。同性だから見せられる弱味もあるんだろうか? 「……どんなに頑張っても、母親がいない穴は、埋めてやれない気がするんだ」 「埋めようとしなくていいんじゃないのか?颯斗くんを見てると、愛情たっぷりに育ってるのがわかるよ。実際に、和真は颯斗くんの面倒をよく見てると思う。保育園の先生たちも感心してる。優しいパパだって評判だ。颯斗くん、保育園でも和真のことばかり話すんだ。本当にお前が好きなんだな。大好きなんだ。だから、自信もっていいよ」 「ありがとう。そう言われると、嬉しいよ」 「ひとりで頑張りすぎるな。俺で良かったら、何でも言えよ。遠慮なく頼っていいから」 「頼もしいな。お前が保育園にいると思うと心強いよ」 こうやって話をしていると、学生の時に戻ったみたいだった。湊の口から『昔から』って言葉が出たのも嬉かった。 肩肘張らずに、カッコ悪い所も見せられる。湊といると安心する。不思議な心地よさと安らぎを感じていた。 「ついて行ったはいいけど、結局、園まで送ってもらって悪かったな」 「いや、こっちこそ。遅くなったし」 保育園まで湊を送ると、まだ18時すぎなのに、教室の電気は消えていて、保育園は真っ暗だった。 先生たちはもうみんな帰ってしまったらしい。 「今日はありがとう。助かったよ」 「当然のことしただけだから。そっちこそ、気をつけて帰れよ。じゃあな」 手を上げて自分の車に向かおうとする湊に、思わず声をかける。 「湊。今度、家に遊びに来ないか?狭いアパートだし、散らかってるけど」 湊は立ち止まって俺を見て、急に困惑した顔になる。 「……俺はかまわないけど。和真は、俺のこと、気持ち悪いって思ったりしないの?」 「全然」 「本当に?」 「ああ」 「なら、良かった。俺、和真に嫌われたって思ってたから。……卒業式の日に告白したこと、ずっと後悔してたんだ」 「やっぱり、気にしてたんだな。あの時は驚いたけど、嫌じゃなかった。ただ、びっくりしすぎて。……お前の勇気に応えられなくて、悪かったって思ってる。あの時は、自分の気持ちもよくわからなくて……」 「急に男から好きって言われても、ひくよな。俺も……怖くなって。逃げたりしてごめん。携帯も番号変えて……。でも、和真とずっと、あの頃みたいに戻れたらって思ってたんだ」 「俺もそう思ってる」 湊の顔がぱっと明るくなる。 「俺、和真とこうやってまた話せるの、嬉しいよ」 そうやって屈託なく笑う湊を、可愛いと思った。 自分の気持ちがわからないなんて嘘だ。 十年前に告白された時は、確かにわからなかったかもしれない。 けど、少なくとも、今は――。 俺は間違いなく、湊に惹かれ始めてる。 湊が好きだ。 学生の時みたいに親友としてじゃなく。 湊はどうなんだろう……? 臆病な俺には、聞く勇気がなかった。

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