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「これはどういうことでしょう」 離れの寝室に咆哮まじりの朱の声が不穏に轟きます。 「自己紹介が遅れたね。僕は妖狐一族の末裔であり、彼を娶ったものであり、彼の夫であるもの」 真っ白な寝具をすっぽり纏う、失神中の意地悪お兄さんをしっかりお姫様抱っこした九は飄々と告げました。 風もないのに靡く雪色の長い髪。 切れ長な目許をほんのり縁取る朱色、夢のようにきめ細やかな肌。 月夜に凛と佇む白百合の如き白い着流し姿で、立派な狐耳、尻尾を出しています。 「(たばか)ったのか、貴様」 顔に縞模様を浮かび上がらせて殺気立つ琥珀を、九は、薄ら笑います。 「謀った? いいや、別に? 僕は一人を除いてだぁれのことも謀っちゃいないけれど?」 「狐如きが偉そうな口を利くな!」 「その狐如きに謀られたと勘違いするなんて、尾も白い、尾も白い」 そう言って、真っ白な尻尾をゆらゆらさせた九、末っ子虎をかんっぜんバカにしています。 「そっちが勝手に思い込んだだけの話」 薄紅色の唇で嘲笑って、九は、思い出します。 『お前の伴侶を分けてほしいとのこと』 大陸出の妖虎が意地悪お兄さんをほしがっている、そう、緋目乃にレンタル嫁の話を持ちかけられたときのことを。 「あのような器量悪しの雑な草、そこかしこに生えているでしょうに。妖虎の黄金といい、お前といい、悪食というか、偏食というか。兎にも角にも。あちらとは良好な関係でありたいので雑草伴侶の貸出を承った次第。で。貸出期間は如何に、九?」 言わせておけば、この高慢ちき兎。 悪食? 偏食? 雑草伴侶? ザル罠にかけて火炙りにして長いお耳を引き千切ってやろうか。 「だんまりの返事。それならば。これといって期限を定めずに貸し出してよい、そう捉えてよいと?」 当主の命は絶対。 下手に逆らえば想像を絶する禍、来たる。 物の怪といえども物の怪の道理がある、掟がある。 でも、それでも。 貸し出すなんてもってのほか。 それならばいっそ喰ってしまおうかーー 『俺を根こそぎ……お前の狐にして……』 ああ、だめだ、腹に沈めたらそれっきり。 怒りの余り血迷いそう。 ……そうか……。 勝手に虎と話をつけられたのだから。 こちらも勝手にさせてもらおう。 「息子の姿に化けて勝手にのこのこついてきて、それで謀っていないと!?」 「ついていくのを禁じられた覚えはないよ。この大きな姿より小さな姿の方が邪魔くさくないかと、わざわざ気を利かせて我が子の姿を借りただけ。それを正真正銘の九九だとそっちが勝手に思い込んだ」 『ぼく、妖狐一族の末裔でしゅ』 「僕は一言も九九だと名乗っていないのにね」 「戯言を!!」 いきり立っている琥珀に対し、九は、世にも優艶な「あっかんべー」をしました。 「強いて言うのなら。我が一族が誇る擬態(ばけがく)にそっちが勝手に引っ掛かっただけの話」 「グルルルルルルッッ!!」 「気短で怒りっぽい。野蛮で残酷。狸共よりもいけ好かないね」 口の悪い意地悪お兄さんが緋目乃や妖虎を怒らせて手酷い目に遭う前に巨大ハリセンで窘めていた九。 でも、実際、怒りを買ったのは九でした。 同時に、九の怒りも倍倍倍増しておりました。 「並みのあやかしでも酔っ払う禁断の湯に入れたり、首を持ち帰ると脅したり、ほんっとう、礼儀知らずで下賤な輩だね」 寝室に迷い込んできたおばけ金魚が禍々しい険悪ムードに慌てて引き返していきます。 千の愛による意地悪お兄さんへの執着、傲慢極まりない妖虎兄弟への怒りを露にしている九に、黙っていた朱が口を開きました。 「これはまた相当なヤンデレ夫のようですね。この無礼の数々、緋目乃にチクってやりましょうか」 朱も激オコみたいです。 「こちらの威厳でも借りてコソコソ卑屈に威張り散らしていればいいものを。面と向かって真っ向から吠えつけてくるとは、とんだ身のほど知らず」 「痛めつけてやろう、兄者」 「そうしましょうか、琥珀」 何せ、物の怪って、気性が荒く、自尊心の高い自惚れ屋、エゴイストばかりなのです、要はどっちもどっちなのでした。 失神中でも息の荒い意地悪お兄さんを抱き上げた九を睨み据え、まことの姿である巨大虎に変身(へんげ)しようとした朱と琥珀ですが。 突然、鼓膜を劈くような恐ろしい咆哮が放たれました。 黄金でした。 人の姿でしたが、中庭をぷかぷかしていたおばけ金魚がバタバタ気絶して、たくさんのランタンが破裂するほどの咆哮を放った彼は、凍りついた弟らと、然して変化のない九の間にすっと立ちました。 「朱も、琥珀も、いけないよ」 たったそれだけの穏やかな注意でしたが。 朱も、琥珀も、表情を引き攣らせて改めて凍りつきました。 「彼、九に返すね」 振り返った黄金は九に言います。 「おれたちの非礼をどうか許して」 詫びられた九は黙ったまんま、ひんやり冷たいノーリアクションに憮然とするでもなく、黄金は、九に抱かれている意地悪お兄さんを見つめました。 『九じゃねぇと、アイツじゃなきゃ……』 正に一刀両断された恋心。 それなのに、まだ触れたいと願う、未練。 「毛玉のままでいた方がよかったのかな」 黄金はポツリと呟きました。 九はやっぱり何も言いませんでした。 腕の中で邪な熱に漲る意地悪お兄さんに視線を注いで、妖虎三兄弟をきれいさっぱり無視して、無礼千万上等とでもいう風に寝室を去りました。 中庭では生き残ったランタンが揺れていました。 「う……ぅ、ぅ……ここ、の……」 魘されている意地悪お兄さんに九は囁きます。 「君と僕のおうちに帰ろうね」 僕のことを見縊らないでね。 いつだって君への愛に溢れているからね?

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