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第8話
水無瀬は約束通り、龍樹に事を伝えなかったようだった。翌日会ってもいつも通りの龍樹を見て、どんなにホッとしたことかしれない。
撮られた写真のことを始め、頭を抱えたくなることは山ほどあったが、それだけでも随分と水樹の心を軽くした。
「だから、ここが…って、聞いてんのかお前。」
「ん?うん聞いてる聞いてる。」
「嘘つけ。」
「あたっ!」
こんな風に軽口を言い合える状態でありたい。余計な心配はもうかけたくない。
隠し事は得意な方だ。
「まぁまぁ、もう結構な時間やってるよ。少し休んだら?」
「賛成!プリン食べよー!」
水無瀬の朗らかな声を助けと言わんばかりに、水樹はサッと立ち上がった。
溜息をついてまだ何か言ってきそうな龍樹に背を向けて冷蔵庫に向かう。中には今日の勉強会のために用意しておいたプリンが3つ入っている。
水無瀬が甘いもの好きなのは周知の事実だし、龍樹もこう見えて割と好きな方だ。
水樹本人は実は洋菓子がそこまで得意じゃなくて、このプリンもわざわざ自分に勉強を教えてくれる特進科の2人の為に用意したようなものだった。
「このプリン美味しいんだって」
「へー、ありがとう」
いただきます、と一言添えて、2人が一口。ほわりと二人の表情が綻んだのを見て、水樹も食べようかというときだった。
マナーモードにしてあった携帯がメールを受信して震えた。それは水樹の携帯で、知らないアドレスから。
嫌な予感がして少し躊躇しながらそれを開くと、やはりというかなんというか、水樹は顔を顰めずにはいられなかった。
『15分以内にこの前と同じ場所で』
冷や汗が一つ伝う。
写真という弱みを握られている以上、すっぽかす訳にはいかない。絶対に知られたくない相手がいるのだ。
ちらりと龍樹の様子を伺うと、何も不審に思った様子もなくプリンに夢中でホッとした。
問題は、水無瀬だ。
「…なんか、部にOBの先輩来てるみたい!俺ちょっと会いに行ってくるね、部屋にあるもの自由に使っていいから!」
そういうや否や、水樹は一口も食べていないプリンを冷蔵庫に戻した。
参考書もノートもそのままに、携帯だけ持って立ち上がる。
何か探られる前に部屋を出てしまおう、と。
「お前先輩と仲良かったっけ?」
「失礼な、普通に仲良い先輩いたし!帰宅部と一緒にしないでください!」
「ふーん」
龍樹は基本的に水樹を疑わない。
信頼されているのがよくわかる分、こうして嘘をつくのは容易だが、良心が痛むのだ。
何も言わずにじっとこっちを見ている水無瀬の方が、よほど怖い。
「じゃ、またね!今日はありがと!」
だからさっさと退散しようと思ったのに。
「待ってお兄ちゃん、僕もお暇するよ。」
そして結局3人連れ立って水樹の部屋を後にして、指定された15分はとうに過ぎてしまった。
別に誰にバラされても構わないけれど、この繊細な弟にだけは絶対に知られたくない。
各々部屋に帰って行って、水樹は指定の『この前と同じ場所』に向かう。
重い足取りの中、遅刻の言い訳だけを考えて。
すると、不意に後ろからトントンと小さく肩を叩かれた。
反射的に振り返ると、綺麗な青い瞳が柔らかく細められて、優しいテノールが響く。甘く蕩ける、心が安らぐ子守唄のような声。
「行かなくていいんじゃない?」
部屋で待ってて。
ポン、と。
一つ頭を撫でられた。
たったそれだけ。
それ以降、水樹の携帯に再び脅しめいた連絡が来ることは2度となかった。
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