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番外編【それが彼の愛の形】

かの有名な陶芸家の息子として、橘 誠司はこの世に生を受けた。 兄や姉とは10以上も年が離れた末っ子で、それはそれは可愛がられた。おもちゃを強請れば大抵は手に入ったし、食卓は誠司の好みに合わせたものが並ぶことも多かった。 厳しかったのは母だけで、その母に叱られても父や兄姉が助けてくれたし、誠司はこれでもかという程に甘やかされて育った。 その反動か、誠司は些か威張り散らした態度が鼻に付く子どもであった。 面倒くさいことはやりたくない。宿題なんかは出来るだけ人の手を借りたし、スポーツも目立ってかっこいいところ、例えば野球ならピッチャー、サッカーならフォワードが好きだった。地味な生き物の世話当番なんかは極力避けて、学級委員なんかは率先してやった。 10歳の時、第2性の検査が行われた。 αの父母、αの兄姉。 当然のように、誠司もαであった。 自分がαであったことでより自信をつけた誠司は先生からの信頼も厚くクラスの人気者で、成績も良かった。父母も兄姉もそんな誠司をますます可愛がるようになる。 橘家の小さな王様であり、クラスのリーダーという位置を不動のものにした小学生の誠司だったが、6年生になってその地位を揺るがす存在が現れた。 兄の庸が結婚し、その嫁である沙耶香が赤ん坊を身籠ったのだ。 それも、双子を。 兄の初めての子、父母にとっては初孫になる。それはそれは可愛がられるに違いない。 これまで親戚中でも一番年下で散々可愛がられてきた誠司にとっては、危険因子以外の何者でもなかった。 「冗談じゃねーぞ…」 沙耶香のお腹が大きくなるにつれ、家の中に赤ん坊を迎える準備が整ってくる。 誠司のお気に入りのコタツは片付けられてしまい、ベビーベッドが二つ並んだ。友達を呼ぶとみんなが羨んだ和の情緒たっぷりの広い居間は、カラフルな赤ちゃん用のおもちゃやお世話グッズでごちゃごちゃし始めて情緒も何もなくなってしまった。 誠司は本格的に危機感を覚え始めた。 このままでは、この家の王様が自分ではなくなってしまうと。 しかし日々は残酷にも過ぎ去っていく。 沙耶香のお腹が今にもはち切れんばかりに育ったころ、誠司は小学校を卒業して中学生になった。 真新しい大きな学ランを着ることにようやく慣れてきた4月の中旬。桜が散って葉がつき始めた。 誠司は全国大会への出場経験があるテニス部に入部し、いつか自分も全国へと野望を抱きながらボールを拾って素振りに明け暮れた。 その部活を終えて帰ってくると、泣き腫らした父が誠司を車に放り込み、国道をスピード違反ギリギリの速度で飛ばしながら窓全開でこう叫んだ。 「孫が生まれたぞーーー!!!」 誠司が連れていかれたのは、産後の沙耶香と生まれたばかりの双子の甥っ子が入院する病院。 病室に一歩入った瞬間、ふわりと何か甘い香りがした気がした。 「あ、誠司くん…来てくれたのね。ありがとう。」 大仕事を終えてベッドに横になった沙耶香が疲れた笑顔で迎えてくれる。その横に付き添う兄の表情は、これまで誠司に向けられたものよりも更に甘く蕩ける慈愛の表情であった。 「ほら誠司、こっちこっち。」 そしてその柔らかな表情で手招きした先に、小さなベッドが二つ。誠司は促されるまま、その中を覗き込んだ。 そして、一瞬時が止まった。 小さなベッドの中に収まる小さな生き物。包まれた白いふかふかのタオルの中から折れてしまいそうな細い腕を懸命に伸ばすふにゃふにゃした生き物から、目が離せなかった。 「お、水樹が起きてる。こっちの起きてるのが先に生まれた方。お兄ちゃんの水樹。こっちが弟の龍樹。可愛がれよ〜、叔父さん。」 オジサンなんて歳じゃない、と、産まれる前は再三反論してきた。 このときも、反論しようとはした。 覗き込んだ小さなベッドの中の生き物が、へにゃりと微笑んだ気がした。ふわりとまた甘い香りがした気がした。 甥っ子は双子だ。 目の前には生まれたばかりの赤ちゃんが二人いるはずなのに、誠司の目には一人しか入らない。 お兄ちゃんの水樹だと教えられた、懸命に手を伸ばす方の赤ん坊だけが、誠司の心を捉えて離さない。 「…兄ちゃん、なんかいい匂いする。」 「ん?あー、赤ちゃんいい匂いするよねぇ。母乳とかミルクの匂いらしいけど。甘い匂いするね。」 「笑った…」 「え!?ズルイ!!」 「ふふ、新生児は笑わないわよ。」 兄が騒ぐ声も穏やかに笑う沙耶香の言葉も耳に入らず、誠司は伸ばされた小さな小さな手にそっと触れた。 小指の爪先を、きゅっと弱々しく握ってくれる。 「水樹…」 握られた小指から、じんわりと優しい温もりが全身に広がっていった。

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