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猫と歩けば
───17の秋だった。
火葬場からの帰り、志狼は家から離れた場所でタクシーを降りた。
少し歩きたい気分だった。
霧のような雨が降っていたが、構わなかった。
祖父の希望通り、密葬にした。
手の中には、随分と小さくなった祖父がいる。
190を超える長身で、ガタイもよかった。
声が大きく、志狼にも近所の悪ガキにも、容赦無く鉄拳制裁を放つ豪快なじいさまだった。
父が殉職したとき、「志狼。じいちゃんがついとるからな」と、幼い志狼の肩に置かれた、祖父の大きな手を思い出す。
いつの間にか、志狼の体格は祖父を超えていた。
一日の始まりの朝飯だけはちゃんと食えと、祖父は毎朝、味噌汁を作り白飯を炊いていた。
志狼が竜蛇と連み、喧嘩に明け暮れていても、朝飯だけは一緒に食べていた。
雨の中、しばらく歩いて、やがて古い日本家屋が見えてきた。
「……竜蛇」
玄関の引き戸の前に、着崩した学ラン姿の竜蛇がしゃがんで缶コーヒーを飲んでいた。
「やあ、志狼」
缶を置き、ゆっくり立ち上がり、志狼の前まで来て、志狼の腕に収まった祖父を見た。
「じいさま、随分小さくなったね」
竜蛇もしょっちゅう祖父にどやしつけられていた。
「ああ」
竜蛇は顔を上げて、志狼と視線を合わせた。
竜蛇は琥珀色の美しい瞳をしている。だが、その目は蛇のように捕食者の冷徹さを持っていた。
竜蛇に真正面から見つめられると、たいがいの奴は視線を反らす。その琥珀の瞳に全てを見抜かれているようで怯むのだ。
志狼の蒼い瞳は怯むことなく、まっすぐに竜蛇の琥珀の瞳を見つめ返す。
「志狼、うちにおいでよ」
「……」
竜蛇はいつでもその唇にゆるく笑みを浮かべているが、この時は笑っていなかった。
「蛇堂組に来い。俺の隣に立て」
竜蛇は蛇堂組の跡取りだ。いずれ組を継ぐ。
竜蛇は志狼にヤクザになれと、本気で言っているのだ。
竜蛇は、ふっと唇に笑みを戻し「返事はいつでもいいよ」と、空き缶を拾って、霧雨の中を帰っていった。
竜蛇を見送り、志狼は家の中に入った。
誰もいなくなった家は、ひどく静かだった。
竜蛇の祖父と志狼の祖父は、若い頃は腐れ縁のケンカ友達だったらしい。
何度も殴り合ったが、常に引き分けだった。
竜蛇の祖父は昔話をするときに、「あいつがヤクザになっていたら、大物になってただろうに」と、志狼の祖父の事を懐かしんで話していた。
これは志狼は後から竜蛇に聞いたのだが。
希代の博徒と言われ、一代で蛇堂組を大きくした祖父が、自分の組に欲しかったと惜しむ男の孫である志狼に、竜蛇は最初から興味を持っていたのだと言う。
結果、竜蛇と志狼も腐れ縁の仲になった。
あの時は、ヤクザになるのも悪くはないか、と思っていたが……
志狼はヤクザにはならず、亡き父と同じ刑事になったのだった。
▫ ▫ ▫ ▫ ▫ ▫ ▫ ▫ ▫ ▫
日曜日。
そろそろ鉄平の秋物の服がいるだろうと、志狼と鉄平は街に買い物に出かけていた。
今年の残暑は穏やかで、心地よい秋晴れの日だった。
鉄平がよく着るファストファッションの店で、秋物を買い込んだ。
バイト代を貰ったから自分で買う鉄平は言ったのだが、支払いは全部志狼が済ませた。
「タマ。知ってるか?」
「うん?」
「昔から、男が服をプレゼントするのはな。自分の手で脱がせるためだって」
「な、な!?」
鉄平は顔を真っ赤にして照れた。
そんな鉄平を見て、志狼は笑った。
もう何度もセックスをして、一緒に暮らすのがすっかり当たり前になったというのに、こんな些細なことで恥ずかしがる鉄平が可愛かった。
ブラブラと歩いていると、クラクションの音がした。
フルスモークの黒い高級車が目の前に止まり、ウィンドウが下がった。
「おお、竜蛇」
「やあ、志狼」
優雅な笑みを浮かべた竜蛇だった。
「それが君の子猫?」
竜蛇が琥珀の瞳で鉄平を見た。鉄平は無意識にビクリと肩を揺らした。
竜蛇はモデルのように整った顔をしていて、唇には優しげな微笑を浮かべているのに……その瞳がやけに恐ろしかった。
志狼が鉄平の肩を抱き、後ろに下がらせた。
「びびらせてんじゃねぇよ」
竜蛇に番犬のように低く威嚇した。そんな志狼を見て、竜蛇は少し驚いた。
「ごめんごめん。そんなつもりはないんだけどね」
竜蛇は笑いながら謝り、再び鉄平を見た。
「初めまして。志狼の友人の竜蛇です」
「あ。は、初めまして。玉山鉄平です」
鉄平はぺこりと頭を下げた。
それを見て、竜蛇は秀麗な片眉を上げて、再び意外そうな顔をした。
志狼との付き合いは長いが、志狼が相手にしてきた中にはいないタイプの少年だったからだ。
「タマ。こいつはヤクザだからな。関わるんじゃねぇぞ。その上、変態のゲイだしな。ほら。胡散臭い顔してるだろ?」
「ええっ!?」
志狼の言葉に鉄平が目を丸くして驚いた。
「……志狼」
級友のあんまりな言い様に、竜蛇が苦笑いをする。
「志狼。また飲みにでも行こう」
「おお」
ウィンドウが上がり、黒い高級車は静かに去っていった。
「……今の、しろうの友達?」
「まぁ、腐れ縁ってやつだな」
刑事である志狼が、ヤクザの竜蛇と友人だということに鉄平は驚いた。
だが、志狼がどこか懐かしそうな目をして言ったので、何も言わなかった。
「帰るか」
「うん」
志狼が鉄平の手を引いて歩きだした。
手を繋いで歩く。志狼の大きな手に包まれて、鉄平は少しドキドキしていた。
志狼はなんでもないことのように、手を繋いだり、ハグをしたり、鉄平の頬にキスをする。
鉄平はその度にドギマギとしてしまう。大人の余裕のある志狼を恨めしくも思った。
夕暮れの帰り道、志狼の雪駄のシャララという音が耳に心地良い。
二人は手を繋いだまま、古い日本家屋の志狼の家へと、のんびり歩いて帰った。
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