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子猫のたくらみ
次の日の朝。
仕事に行く志狼を見送って、すぐに鉄平は出かける準備をした。
昨日、志狼と買い物に出かけた時、ある店の前で志狼がふと立ち止まった。
視線の先を見ると、年季の入った雰囲気の和菓子の店だった。
「しろう?」
「ここの栗羊羹が美味いんだよ」
「好きなの?」
「ああ。俺より死んだじじいが好きで、よく買ってきてたんだ」
「買う?」
鉄平は志狼の手を引いて聞いた。
「いや。ここの栗羊羹は朝イチで売り切れちまうんだよ。じじいもよく朝から並びに出てたわ」
志狼は懐かしそうに話した。志狼がこんなふうに昔話をするのは珍しかった。
竜蛇に会った後で、少し懐かしい気持ちになっていたのかもしれない。
『おいこら! 竜蛇の孫。飯食っていけ』と、竜蛇は祖父に捕まって志狼の家で朝飯を食べることがあった。
朝に竜蛇が志狼の家を訪ねる時は、決まって他校の不良と戦争をする日だった。
忘れた志狼が学校をサボらないように、竜蛇は朝、志狼を迎えに来て朝飯を食ってから他校に襲撃していた。
知ってかしらずか、祖父は学生同士の喧嘩には口を出さなかった。
挨拶と返事と朝飯には厳しかったが。
鉄平は懐かしそうな目をした志狼を、じっと見上げていた。
そして翌日。鉄平は朝から家を出て、その和菓子屋さんの前に来ていた。
「わぁ!」
開店時間前だというのに、志狼の言った通り、店の前には行列ができていた。
───買えるかなぁ。
鉄平は少し不安になりながら、列に並んだ。
昨日、志狼の懐かしそうに話す顔を見て、栗羊羹を食べさせたいと思った。
自分は志狼に世話になりっぱなしで、何もできない。生活費も志狼が出している。
バイト代を渡そうとしても、志狼は決して受け取らない。
志狼は鉄平が作る朝食で充分だと言う。
それでも鉄平は志狼に何かしたかったのだ。
「その栗羊羹、全部ください」
自分の前の客が残った栗羊羹全部を注文をした。
───うそ!? 売り切れちゃう!
「すみません。お一人さま、三つまでとなっていますんで」
皺の刻まれた顔に、人の良い微笑みを浮かべて、和菓子屋の奥さんが客に断りを入れた。
鉄平は最後の一本を手にして、嬉しそうに笑った。
「お羊羹、好きなの?」
あんまり嬉しそうに笑うものだから、奥さんが鉄平に聞いた。
優しそうなおばあちゃんだった。
「あの。お世話になってる人に食べてほしくて。ここの栗羊羹が美味しいって言ってて。すぐに売り切れちゃうって聞いたから、買えて良かったです!」
「そう。いい子ねぇ」
ニコニコする鉄平を、孫を見るような眼差しで見た奥さんは、「おまけね」と、小さな抹茶羊羹を袋に入れてくれた。
───志狼、喜んでくれるかなぁ。
ウキウキとした足取りで歩きだした鉄平の襟首がグイッと引かれた。
「うわっ!?」
驚いて振り向くと、若いカップルの男の方が鉄平の襟首を掴んでいた。
「オマエ、最後のいっこ買っただろ? ちっと、それ譲ってくんね?」
「え?」
よく見ると、さっきの和菓子屋さんで鉄平の後ろに並んでいた二人だった。
「カノジョがどーしても食べたいっつって。な?」
「テレビで紹介されてて、絶対食べたいの~。うち、朝から並んでたのに買えなくてショック~」
鉄平だって並んで買ったのだ。それにこれは志狼に食べさせたい。
「あの。ごめんなさい。あげられません」
男の方の顔付きが変わった。
「はぁ。カノジョの前で恥かかす気かよ!? ガキのクセに」
「な、なに言って……」
理不尽な言い掛かりだ。男は鉄平の胸ぐらを掴んで揺さぶった。
───なんで!? しろう、助けて!
鉄平がキュッと目を閉じた時、男の手が離れた。
「ぐあっ!?」
恐る恐る目を開けると、男は後手に腕を捻りあげられて、苦痛の呻き声を上げていた。
「やあ、タマちゃん。昨日ぶり」
「あ!」
竜蛇だった。
涼しげな顔をして、折れそうな程に男の腕を捻りあげている。
「タマちゃん。この人達は何なのかな?」
「あ、あの。栗羊羹をよこせって言われて……」
「羊羹?」
竜蛇はチラリと女の方を見た。自分の恋人が腕を折られそうになっているというのに、女はウットリと竜蛇の美貌を見上げていた。
竜蛇は呆れたようにため息をついて、男を女の方へ放った。
「俺の知り合いだ。今度手を出したら両腕とも折るよ」
カップルは慌てて去っていった。
「さて」
竜蛇は振り返り、鉄平を見た。
その琥珀の瞳に鉄平はビクリとしたが
「あの。助けてくれて、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、お礼を言った。
「いえいえ」
竜蛇は面白そうに目を細めた。
そんな二人の元に、スーツを着た長身の厳つい男が歩み寄ってきた。
「だから! 勝手な真似はしないでくださいと、いつも言っているでしょうが!」
「ごめんね。須藤」
若頭の須藤だ。気苦労が絶えない男だった。
「さ。タマちゃん、一緒に行こうか」
「えっ!?」
竜蛇は鉄平の腕を取り歩きだした。混乱する鉄平を黒の高級車の後部座席に押し込んで、車は走り出した。
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