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第1話 運命とは

――俺は、運命なんてものは信じない。  元々の考え方もそうだし、年齢的にも『運命』だとかフワフワと浮ついたことを言ってるお年頃ではない。だから自分と彼女の出会いは運命的なものではなく――ただの友人の紹介だ――ましてや生涯の伴侶になる、という未来も存在しなかった。運命なんて、ただ自分に都合のいい偶然の呼び方だ。  一人残されたカフェの席で、榛名(はるな)暁哉(あきちか)は自分にそう言い聞かせた。 * ――数十分前。 『ごめんなさい、榛名くん。別れたいの』  ふんわりと髪を巻いた、洋菓子のような色合いの服を着た素朴な顔の彼女は、目の前でゆっくりと熱いコーヒーを飲む榛名にそう言った。 『えっ?』  突然の宣言に榛名は一瞬どもって聞き返したが、彼女はそんな榛名の様子を気にもせず、ぺらぺらと喋り続けた。 『榛名くんが悪いわけじゃないの!でもなんか、優しすぎて私には物足りないっていうか……やっぱり私、ぐいぐい引っ張ってくれる男の人が好きみたい』 『………』 『ここは私が払っておくから気にしないで。本当にごめんね?じゃ、さよなら』  頼んだカフェオレを半分も飲んでいない彼女を、榛名はわざわざ立ち上がって追いかけることはしなかった。 偶然一部始終を見ていたらしい若い女性店員が、呆然とした顔で自分を見ている。ちらりと視線を寄越すと、店員は慌てて目を逸らした。  付き合って、まだ2か月だった。  彼女は前の彼氏にDV――つまり暴力を奮われていたらしく、『次に付き合うなら絶対に優しい人がいい!』と友達に言っていたらしい。  そして、優しい――のかどうかは分からないが、女性に暴力を奮うことなど絶対にありえない、ごく普通の男の自分に紹介されたのだ。 『榛名くん看護師さんなんだぁ、それなら絶対優しいよね』 『どうかな、でも患者さんには結構厳しい方だと思うけど。我儘な人が多いし』 『でもそれって患者さんを思ってのことでしょう?やっぱり優しいと思うよ!いいなぁそういう人、好きだなぁ』  彼女はそんな風に言ってくれていたのに。前の男からDVを受けていたと聞いていたから、世の中そんな男ばかりじゃないよ、と証明するかのように榛名はとても優しくしていた。  それなのに――。 (結局、暴力男を引き寄せていたのは自分じゃないか……)  丁度いい具合に冷めたコーヒーを一気に飲み干して、榛名はそのカフェを出た。  今は9月の下旬で、外は少し涼しくなってきたところだ。そして今日は日曜日で、久しぶりのデートだった。榛名は看護師なので休みは不定期だが、務めている病院の腎透析科は日曜が定休日だ。  透析科は外来のため、病棟と違って日曜だけは休みと決まっている。ただし、他の曜日は祝日だろうとなんだろうと関係ない、他の部署同様シフト制だ。  そして一週間の内2回ある公休のうち、貴重なもう一回の公休を来週は月曜に入れていた。 つまり、明日も休みだ。だから今夜は遅くなっても大丈夫だったのに。 「はぁ……」  榛名は深い溜め息をついた。彼女にフラれてとてもショックだった――というわけではない。 ただ、形だけの失恋のあとはいつもなんとなく途方に暮れるのだ。  榛名の初恋相手は、男だった。   小学校の時の同級生で、勿論自分が周りと違うことは分かっていたので告白などはせず、ただ遠くから見ているだけだった。  しかし、一度だけ噂になったことがある。自分がその男子が好きらしい、と。  同じ男子を好きだった女子にきつく問い詰められたが、榛名がきっぱりと否定したので――むしろ好きなのは君なんだ、という捨て身の嘘までつき、フラれた――イジメにまでは発展しなかったが、周りから変な目で見られてヒソヒソと噂されたのは苦い思い出だ。  だからその後は男を好きだったことなんて忘れて、ちゃんと女の子を好きになろうと努力した。  しかしそんなトラウマがあるせいか、榛名はどんな女性と付き合っても長続きしなかった。告白はされる方だが、フラれるのも必ず榛名の方だった。  理由はいつも『好きな気持ちがなくなった』、『他の人を好きになってしまった』などと言われるので、自分自身が嫌われるわけではないらしい。  榛名は相手を追ったり、みっともなく縋ったりはしなかった。むしろそんな資格は自分には無いと思っていた。  どんな気持ちが『好き』なのか、相手を自分よりも大切に想うのはどんな感情なのか、榛名には思い出せない――というより、分からないのだ。  初恋の子を遠くから見つめていた自分は、確かに相手のことが『好き』だった。しかし小学生の頃の話であるし、それがどんな気持ちだったのかなんてもう覚えていない。相手の顔すらもおぼろげにしか思い出せないのだから、当然だ。  ドラマや映画で見るような、甘く切ない感情が自分には持てない。可愛い女の子は素直に可愛いと思うし、嫌いじゃなければ付き合っている相手には『好きだよ』と簡単に口にできるが、それは本心からではない。  けれど、恋愛とはそんなものだと思っていた。  別に冷めているわけではなくて、榛名なりにいつも恋愛は真剣だった。浮気なんて一度もしたことがないし、セックスはあまり好きではないが、もし万が一相手に子供ができた時は――避妊も必ずしているが――いつでもその責任は果たそう、と思うくらいには。  それ以上の『真剣』を、榛名は知らなかった。  でも、自分ももう28歳だ。  まさかこの年まで自分が独身だなんて、20代前半の頃は思いもしなかった。榛名は決してチャラ男ではないが、告白されたらすぐにホイホイ付き合っていたものだから、学生時代の友人には榛名が一番早く結婚するだろう、なんて言われていたのだ。自分でもそう思っていた。  本気で相手を好きになったりはしないけれど、適当な相手と適当な恋愛をして、人並みの家庭を築いて人並みに幸せな人生を送るんだろうな、と――。  しかし、人生はそう甘くはなかった。  今まで自分がモテていたのは、環境のせいだっただけなのかもしれない。なにせ、榛名が身を置いていた看護学校の生徒はほとんどが女性だ。数少ない男子生徒の中では、自分は多少イケてるように見えていただけなのだろう、と。  榛名は太っても痩せすぎでもないし、目を覆いたくなるほどのブサイクでもない。身長も175㎝はあり、チビと言われることもない。  常に柔らかな雰囲気なので高齢の患者からの受けも良く、部下からも信頼されている。 つまるところ、普通、平均、平凡だ。  さっきの彼女を紹介してくれたのは、看護学生時代の友人の女性だ。勤め先は違うものの、榛名と同じ就職と同時上京組である。  きっと今夜は、その友人から謝罪の電話が来るに違いない。もっとも彼女が友人に『別れた』と報告すればの話だが。  せっかくの二連休で、時間はまだ午後に突入したばかり。家にはまだ帰りがたく、でも街を一人でぶらつくのも趣味ではないので、榛名はとりあえず目についたネットカフェで時間を潰すことにした。

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