3 / 229

第3話 Bar『une roue de roses』にて

 榛名がその二人組に着いて行った理由は他にもある。  もしその二人が男女のカップルだったとしたら、今から向かうバーはカップルが多い可能性がある。自分はひとりなのに、カップルだらけの店の中で飲むなど拷問に近い。  しかし男性二人が気軽に入れるような店ならば、自分が一人で飲んでいてもそう目立たないだろう。やや小心者の榛名は、そこまで考えてその二人組について行ったのだった。  電車に乗って着いた駅から少々歩き、とあるビルの中に二人が入って行くのを見届ける。なんだか気分は探偵のようだ。  榛名もそのビルに入り、突き当りのエレベーターに乗り込んだ。先に彼らが乗ったエレベーターは三階で止まっていたため、目指すバーは三階にあるのだと確信して3階行きのボタンを押す。その店は、エレベーターを出てすぐのところにあった。 『une roue de roses』 (読めない……)  この際、店の名前は関係ないか。誰に教えるわけでもないし……。そう思って、榛名は少し緊張しながらその重厚なドアをそっと開けた。  中はやや暗めで、BGMはゆったりとしたジャズが流れている。カウンター席は10席ほどで、【予約席】というプレートが置かれたテーブル席がひとつ。そしてカウンターの背面には大きな水槽があり、中には様々な色の熱帯魚が優雅に泳いでいた。此処は榛名が予想していた以上にお洒落なお店だった。本当に、ドラマに出てくるような雰囲気の――。  カウンターの中ではマスターがひとり、静かにグラスを磨いている。榛名の姿を認めると、柔和に笑って「いらっしゃいませ」と言ってくれた。  ふと、前を歩いていた男が言っていた『すごい美人なマスターがいる』という言葉を思い出した。マスターは色白で飴色の髪をしており、顔の造形も整っている。男性に言うのはおかしいけれど、確かに『美人』という表現がとてもしっくりくるな、と榛名は思った。  その優しげな笑みにホッとしながら、榛名は入り口近くのカウンター席に座った。なんとなく奥の方には行きにくかったからだ。  榛名の二つ向こうの席には、男が一人で座っている。先ほどの二人組は、一番奥のカウンター席に座っていた。 (常連さんかな?なんだか、こなれてるなぁ……)  榛名は二つ向こうの席に座っている男をこっそりと盗み見て、そう思った。 (ていうかこの店、男ばっかりだな……?)   ぐるりと店内を見渡してそう思ったが、すぐに『マスターが美人だから、彼女や奥さんを連れていけないんだろうな』という考えが浮かび、それ以上は疑問には思わなかった。キャバ嬢やスナックのママに会いに行くよりもよっぽど健全だな、と妙に一人で納得しながら。 「お客様、メニューをどうぞ」 「あ、どうも」  カウンターからおしぼりとメニューを渡されたので、覚束ない手付きで受け取って開いた。  しかし。 (……何を頼んでいいのか、さっぱりわからない)  榛名は普段、ほとんどビールしか飲まない。カクテルの類は女の子が好んで飲むものだと思っていたため、種類もほとんど分からなかった。  バーだからといって無理にカクテルを頼まなくても良いのだが、せっかく来たのだし、雰囲気を味わうためにも是非、カクテルが飲みたかった。 (涙を忘れさせてくれるカクテルをください、とか言ったら笑われるかな。そもそも泣いてないしなぁ)  単に目の前でシェイカーを振ってほしかっただけなのだが、目が滑るようなカクテルの羅列を多数目にして、榛名はますます考え込んでしまった。

ともだちにシェアしよう!