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第26話 榛名、男にナンパされる

 現在、21時00分。約束の時間を1時間過ぎたが、霧咲はまだ現れなかった。が、30分前に電話をくれたので別に心配はしていない。マスターに心配されたが、霧咲から電話があったことを伝えるとホッとした顔をされた。 (このマスター、俺と霧咲さんのことをこんなに気にしてくれて本当にいい人だな)  一人で待っているのは退屈ではあるけど、マスターが時々話しかけてくれるし、自然に聞こえてくる会話をこっそり聞くのもなんだか少し楽しかった。たまに、『ん?』って思うような会話もあるのだけど、気にしなかった。人には色々あるものだ。人の話を深く考えずに流せるのは、看護師になってから付いた技のようなものである。  本来患者の話は親身になって聞いてやらねばいけないのだが、本腰を入れて聞くと結構な確率で痛い目に遭うというか……騙されるというか……とにかく、ほどほどに真剣なのが一番いいのだ。今一番患者の話を熱心に聞いてあげている有坂も、その内に悟ってくるだろう。 「ねぇねぇお兄さん、ここいい?」 「あ、すいません今人を待っていて……」  いきなり、少し離れたカウンターに座っていた男性に話しかけられた。このパターンは、霧咲と初めて会った時と同じだ。けど、この先までは同じではないだろう。 「知ってるよ、ずっと見てたから。待ち人が来るまで俺とお話しようよ、退屈でしょ?」 「え、えぇまあ……」  待ち合わせしているのを知っているなら、特に断る理由はなかった。『ずっと見てた』というのが少々引っかかるが。  男は榛名と同じか、一つか二つ年上のように見えた。黒いジャケットを羽織り、耳や指には金色の装飾品が目立っていてなんだか少し堂島のようなチャラい雰囲気だ。 「恋人待ってんの?」 「いや……恋人ってわけじゃないんですけど……」 「なんだ。友達?」 「友人でもないです。知人、ですかね……」 「ふはっ何それ。知人を一人でずーっと待ってんの?あ、相手は上司か何か?」 「あー……まあ、そんなところです」 (よくしゃべる人だなぁ)  でも相手が喋ってくれるなら、こっちとしては楽だ。ただ適当に相槌をうちながら話に耳を傾けていればいいのだから。――でも、出逢ったとき霧咲は一人で勝手にしゃべりまくる榛名の話をとても楽しそうに聞いてくれた。多少はウザかったに違いないのに。 (俺も、少し見習って真剣に聞かなきゃな……相手は患者さんじゃないし、別にどうにかなるわけじゃないし)  霧咲の姿勢を見習って、いつの間にか榛名は相手の話を真面目に聞いていた。遠くでは、マスターが心配そうな顔で榛名を見つめている。 * 「――ねえ、待ってるのが恋人じゃないんならさ~今から二人でどっか行かない?」 「え?」 「だって待ち合わせ時間もう結構過ぎてるよ?今更帰ったってあっちは文句言えないでしょうよ。場所変えて飲みなおそ!さっきからちょっとマスターに睨まれててさ、俺ちょっと居辛いんだよねー」 「あ……」  榛名はマスターを見た。心配そうな顔でこっちを見ているマスターと目が合い、榛名は少し苦笑しながら『大丈夫ですよ』とアイコンタクトで伝えた。もう霧咲が来るまで、アルコールは控えていることだし。 「ね、いこ?」 「あの、困ります。俺は待つって言っちゃったので」 「じゃあ電話かメールでもいれなよ。約束っていっても仕事じゃなくてプライベートなんでしょ?それに、恋人じゃないんなら別にいいじゃん。相手に君を束縛する権利はないよ」 「いや……、っていうか、俺が待ってるのは男性で」 「は?そりゃ当たり前でしょ、ゲイバーなんだから誰も女が来るなんて思ってないって」 「へ?」  今、この男は何と言った? (げ、ゲイバー……!?) 「あれ、まさか知らなかったの?ここはマスターもそうだけど、来る客もゲイだよ。それを知ってから来る人が多いんだけどな……君、どうやってここを知ったの?」 「………」  榛名は答えられなかった。じゃあ、あの日榛名が付けて行った二人も、友達ではなくて恋人同士だったのだろうか。 「え、なんでそんなに蒼褪めてんの?君だってそうだろ?しかも可愛い声で鳴くネコちゃんと見た。ふふ、ニオイで分かるよ」 「に、匂い!?」  一体自分はどんなニオイを発してるというのだろうか。今日はニンニク料理などは食べていないはずだが……榛名は慌てて自分の手首を鼻に近付けた。 「ハハハ!ちょ、そんな直接的なニオイの話じゃなくってさ~ !フェロモンだよフェロモン!」 「ち、違うんですか?フェロモン?」  榛名はホッとして手を下ろした。 (フェロモンって……匂うものだっけな?)  それに、ネコとは一体何のことだろう。榛名は思いっきり人間だし、勿論今まで猫みたいなどと言われたこともない。 「何なの君、めちゃくちゃ可愛いんだけど。今すぐ食べたいなぁ」 「た、食べる!?」 「あ、俺どっちでもイケる人なんだー。挿れてヨガらせるのも好きだし、ケツに挿れられるのも好き」 「………」 (ちょっと、やばい人かもしれない)  しれない、じゃなくてやばい人だ。榛名の本能がそう告げていたが、なんとなく告げられるのが遅かったように思う。相手は本気口説きモードに入ったらしく、目をギラギラさせてガンガンと榛名をトークで攻めてきた。押しに弱い榛名は思わず流されそうになってしまうが、流されるわけにはいかない、二度も。 「ねえ待ってる相手ってどんな男なの?恋人じゃないなら君の片想い?んじゃー俺をその人だと思っていいからさぁ、一度俺に抱かれてみない?」 「いやいやいやありえないですから……それに、俺はゲイじゃ……」  ゲイじゃない、と今の榛名には言いきれなかった。昼間に霧咲をオカズにあんなことをしてしまったのに、自分を誤魔化すのは無理だった。 「相手ってここで出会った人なんだよね?ゲイ同士が会える場所なんてそんなにないしさ」  鋭い指摘にドキッとした。なんでそうポンポンとばれてしまうのだろう。榛名は目の前のチャラい男がなんだか怖くなってきた。 マスターに助けを求めたかったが、マスターは常連客の話をなにやら真剣に聞いていて、邪魔をしていい雰囲気ではなかった。それにさっき『大丈夫だ』とアイコンタクトを送ったのは自分だ。そして男は、とんでもないことを口にした。 「ここで会ったんなら遠慮なんてすることないじゃん!どうせその人だってこうやって一夜の出会いを求めて遊びまくってるに決まってるんだからさ!」 「……!」  それはずっと、榛名が信じたくなかった霧咲がここに来る『理由』だった。

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