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第30話 榛名、告白する

霧咲は少し目を細めて、まっすぐに榛名を見つめている。二人の身長差は10センチくらいなので、顔を上げればすぐにキスできる距離だ。そんな距離で顔を固定されて、離れることはできない。もちろん、榛名は目を逸らすこともできなかった。 「さっき泣いてただろう?それはどうして?」 「ローズでのことですか?」 「違うよ、ついさっきここでだ。俺が話しかける前、君は泣いていたね?」 「………っ」 霧咲は目つきも、声も厳しい。榛名に逃げ場の余地も与えないといった様子だ。 「誤魔化せると思ってるの?そんなに目を赤くして……」 「これは、酔っぱらってるから!」 「榛名。正直に言うまで離してあげないよ」 「……っ」 (どうしてって……なんでそんなことを聞くんだよ?) また、視界がぼやけてきた。霧咲のせいで泣いているのに、それを他でもない霧咲自身から理由を聞かれているのが悲しかったからだ。 榛名は無意識に下唇を強く噛んだが、霧咲に「こら」と親指で触れられて思わず口が開く。それと同時に、耐えきれなくなった涙が頬を伝って落ちた。 「……っ」 (俺、今日泣いてばっかりだ。大人なのに、かっこ悪い……) 「榛名……ごめん。聞き方が悪かった。頼むからそんなに泣かないでくれよ」 榛名の顔をがっちりと固定していた霧咲の手付きがふと優しくなり、そのまま涙をぬぐうように榛名の顔を撫でた。まるで子供をあやしているような仕草だと思った。 そして、その手の優しさに絆されて……榛名は、自然に霧咲に問いかけた。 「俺以外にも……いるんでしょ?」 「え?」 霧咲が拍子抜けした声を出す。榛名はぼやけた視界で霧咲の目を真っ直ぐに見つめた。 「俺のことは、遊びなんでしょう……?」 「…………」 「そんなの、分かってますけどっ」 ぶわっと涙腺が壊れたように涙が溢れた。分かっていても、はっきり言葉にすると辛い。霧咲は、なんとも言いがたいような顔で榛名を見つめている。榛名の涙を拭うことも忘れてしまったようで、榛名はそれを自分の問いかけへの肯定だと受け取った。 「でも……でも俺は、」 榛名は、霧咲のバスローブの胸元辺りをぎゅうっと握った。離れて行かないで、とでも願うように。 「貴方のことが……」 最後までは言えなかった。代わりに、霧咲の胸へとすがりついた。 ……霧咲を誰にも渡したくない。選ばれるわけもないのに、なんて我儘な願いなんだろう。 それでも今夜は出逢った日の夜みたいに、『好きだ』と言い合って恋人のように抱き合いたいのだ。偽りでも、構わないから。 「榛名……君って、本当に……」 突然霧咲が、強い力で榛名の身体を抱き締めてきた。 「!?」 再び、榛名の心臓は落ち着かなくなった。今度はダイレクトに霧咲に伝わっているのだろうが、もう気にしたら負けだ、と思った。 「遊びだなんて、誰が言ったの?」 榛名の耳元で霧咲が言った。榛名は洟をすすりながら、蚊の鳴くような声で答えた。 「……さっきの男が、霧咲さんもローズの常連ならきっと遊んでるだろうって……だから俺のこともそうだろうって……」 榛名の涙は止まることはない。けれどその涙は全て霧咲のバスローブの中へ消えていった。 「それで君はあいつに誘われて、俺への当て付けで付いていこうとしたの?」 「はあ!?そんなわけないだろ!!」 榛名はバッと頭を上げて霧咲を見た。 切羽詰まったような必死な表情の榛名を見て、霧咲の顔が少し歪む。 「……ごめん、さっき君があいつに肩を抱かれていたから、嫉妬してしまったんだ」 「え……?」 (霧咲さんが、嫉妬?) 霧咲は、榛名をもう一度胸にぎゅう、と抱き締めた。 「俺はね榛名、別に聖人君子でもなんでもないから、以前他の人に声を掛けられて付いていったこともあるよ」 「……………」 (やっぱり、そうなんだ……) 榛名は霧咲のバスローブをぐっと握った。 「でも、あの日君に会ってから……俺は君のことしか考えられなくなったんだ。自分から声を掛けたのはあれが初めてだったし、ナイトアフロディーテを飲ませたのも君が初めてだ」 (あのカクテルが、なんだっていうの……?) 「それと、確かに俺はローズの常連だけど、目的はリュートさんと話すことなんだ。下心なんかはないよ、彼はとても素敵な人だけど、俺にとってはそういう対象じゃないんだ。それに彼には最愛の恋人がいるからね。さっきも常連客の中にいたよ」 「え、マスターの恋人が?」 それは意外な事実だった。確かに仲の良さそうな常連客は何人かいたが、一体誰が彼の恋人だったのだろう。霧咲がローズに通うのは彼に会いに行くためだと堂々と宣言されても、榛名は全く妬かなかった。それは、榛名もマスターに対して霧咲と同じ気持ちを抱いているからだろう。 「うん。俺と同じで年下の可愛い恋人だ。……いや、リュートさんにとっては年下のカッコいい恋人かな」 「はあ……」 カッコいい人はたくさんいた気がする。あと、やたらと可愛い子も。 「榛名、俺は君以外に恋人なんかいないよ。遊びだなんてとんでもない!結構熱烈にアピールしていたつもりだったのにそんな勘違いをされるなんて、俺の方が泣きたい。好きなのは、君だけだよ」 榛名は霧咲の言葉を、頭の中でゆっくり反芻していく。 (年下の、可愛い恋人……) (俺以外に、恋人はいない……) (恋人?) 「コイビト!?」 榛名はバッと霧咲の胸から離れて顔を見上げた。霧咲は『今更何を言ってるんだ』とでも言いたげな顔で、あっさりと答えた。 「恋人だよ。だって君も俺のことが好きなんだろう」 はっきりと言われて、榛名は真っ赤になる。 「……っっ!」 「違うの?」 「違……わない、です」 そうか。好き同士だから……自分達はもう、恋人なのだ。『恋人になろう』とか『付き合おう』という言葉はなかったが、大人同士ならこんなものなのかもしれない。そもそも、もう二回もセックスをしていることだし。 一体どの時点で自分が霧咲の恋人になったのか榛名には全く理解できないが、とにかく自分は遊び相手なんかではなかったのだ。 榛名は安心して、身体中の力が一気に抜けていく気がした。同時に、嬉しくて他に言葉が出てこない。 (自分が誰かのコイビトっていうのがこんなに嬉しいなんて、初めてだ……) 今まで付き合ってきた女性のことを『恋人』という単語で思ったことはない。付き合っているのだから恋人なのだろうけど、榛名は彼女に恋をしていたわけではないから、相手を『恋人』などと思う発想はなかったのだ。 本当に最低な男だったな、と我ながら思うが、それはいつも繰り返されるヒドイ振られ方で相殺されているだろう。 榛名も霧咲の背中に腕を回して、強く抱きついた。見えてはいないけれど、なんだか霧咲が笑ってる気がした。 「まぁ、俺はさっきローズで君が俺を庇ってくれた時から恋人だと思ってたけどね」 「へ?」 「俺をあいつに渡さないって大声で言ってたじゃないか」 「そ、それは……!」 そんな直接的には言ってないのだが、あの態度では榛名が霧咲を好きなことはかなり明白で、榛名は思い出してますます赤面した。 よくよく考えれば、あの時点で霧咲のことを『好きだ』と言っていたも同然なのだ。しかも公衆の面前で。 なんで気付かなかったんだろう……と、榛名は穴があったら入りたくなるほど恥ずかしかった。

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