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第29話 気付いた気持ち

部屋に入った途端、榛名は霧咲にドアに押し込められるように抱きしめられて、激しいキスをされた。 「ンンっ!?」 驚いて霧咲の腕を掴んだが、逆に引き寄せるような形になってしまっている。 「ふッ、チュ、チュプッ……はぁっ、」 霧咲は何度も角度を変えて榛名の唇の感触を十分に味わったあと、軽く開いた榛名の口に舌をねじ込み、その口内をぐちゅぐちゅと音を立てて蹂躙した。飲みきれない唾液が榛名の顎を伝わり落ちて、無意識に甘い声が漏れる。 「はッ……チュッ、クチュ……はぁっ……きりさき、さん……?」 ゆっくりと霧咲の唇が離れていった。榛名は無意識に、離さないでという意思表示を込めて霧咲の腕をぎゅっと掴んだ。少量とはいえ、アルコールの入った榛名の顔は上気しており、涙を潤ませて霧咲を見つめている。そんな榛名を見て、霧咲はゴクリと生唾を飲み込みながらも苦笑して言った。 「今すぐ君を抱きたいところだけど、生憎俺は先にシャワーを浴びないといけないんだ」 「え……?」 「白衣を脱いでそのまま来たからさ。君にオヤジくさいからもう俺には抱かれたくない、なんて思われたら嫌だからね」 「そ、そんなこと」 全く思わないのだが、否定するのもなんだか恥ずかしい。 「きみ、シャワーは?」 「一応、来る前に浴びてきましたけど」 「じゃあいいね。ワインを頼んでおくから先に飲んでいていいよ。服も置いてあるものに着替えたらいい」 そう言って、霧咲は榛名の少し開いた胸元にそっと指を添え、鎖骨をつうっと撫でた。 「っ」 「なんだか今日は少し大人っぽい服装をしているね。もしかして俺に合わせてくれたの?」 「そっ、そんなんじゃないです!」 (大人っぽいって、俺、大人だし!) 霧咲に合わせた服装というのは、その通りなのだけど……撫でられた鎖骨が熱を持った気がした。霧咲は榛名の否定を信じたのかどうか分からないが、フッと笑うと榛名の鎖骨から指を離した。そして備え付けの電話で素早くルームサービスを頼んでいた。 * ルームサービスは思ったよりも早く来た。 赤ワインが二本と、生ハム、チーズ、チョコレート。榛名はさっと置いてあった寝具――ごく普通の浴衣のようなもの――に着替えると、霧咲の言葉に甘えて先にワインを頂くことにした。どちらかというとワインよりも、生ハムが食べたかったのだが。 榛名は窓の近くに備え付けられた円卓の上に全て並べ、ワインを開けるとグラスに半分ほど注いだ。少しグラスを揺らして、香りを楽しむふりをしてみる。ワインのことなど何も分からないのだが、以前ドラマか何かでこういうシーンを見たことがあったのだ。 (香りとかよくわかんないけど……) 「(しぶ)っ」 榛名は生ハムよりも先にチョコレートを手に取って口に入れた。甘くて濃厚なチョコレートは、渋めのワインになかなか合う気がする。続けて、ワインを流し込んだ。 「あ」 そういえば、景色を楽しむのを忘れていた。榛名は座ったままで窓に向き合い、そろりとカーテンを開けて外を眺めた。そこには、夜でも明るい東京の夜景が広がっていた。 「わあ……」 東京タワーもスカイツリーも彼女と一緒に行ったことはあるが、夜景を見に行ったことはない。確かに、もう少し高いところから観たらもっと素晴らしい景色なんだろうと思った。けど今日は、夜景を見に来たのではないから。 (これからまた、霧咲さんに抱かれるんだ) 改めてそのことを思うと、先程キスで火照った身体がもう一度熱くなったような気がした。 ふと、窓ガラスに映る自分と目が合った。 「…………」 なんて顔をしているんだろう、と思った。凄く物欲しそうな顔だ。アルコールのせいもあるだろうが、上気した顔にとろんとした目つき、少し開いた口元。早く霧咲に抱いて欲しいと思っている、浅ましい顔だ。榛名はきゅっと口を締めた。 自分のこんな顔、初めて見た。そしてそんな自分を嘲笑うかのように、堂島やあの男の台詞が頭を掠めた。 『彼女の一人や二人くらいとーぜんいるでしょうけどね』 『可哀想に、君は遊ばれていたんだよ』 (そんなこと、言われなくても分かってる) 本当に何度見ても、何回会っても霧咲はいい男で、榛名にはそんな霧咲に選ばれる理由など一つもないのだから。 でも、そう思うと……胸が潰れそうになる。霧咲が榛名以外の男を抱いているのかと思うと。榛名以外にも『可愛いね』と甘い睦言を誰かに囁いているのかと思うと……。 (好き……) この気持ちは、嫉妬だ。 もう、誤魔化せない。 (俺は霧咲さんが、好きなんだ……) たとえ霧咲が遊びだとしても、榛名の方は本気になってしまった。 (馬鹿みたいだ、俺) 優しい言葉をかけられたからって、こんなにあっさり好きになってしまうなんて。 「榛名?」 背後から声がした。霧咲がシャワーから戻ってきたのだ。顔を上げると、バスローブを着た霧咲の姿が窓ガラスに映っている。榛名はじんわり滲んできた涙をさっと手の甲で拭うと、なんでもないような顔で霧咲を振り返った。 「やっぱり景色、すごくいいですよここ。俺の部屋からとか全然比べ物になんないです」 「そう」 「ワインの味は俺にはちょっとわかんないですけど、美味しいのかな?でもちょっとシブくて、チョコレートを一緒に食べると美味しいです。霧咲さんも飲んでみてください」 「うん」 どうして霧咲は一言しか返事を返してくれないのだろうか。榛名はなんだか焦ってしまい、いつもよりも饒舌になっている。 すると霧咲はゆっくりと榛名に近づいてきた。榛名は一瞬身体を強張らせたが、逃げ場はないので俯いてしまった。 (俺は、どうしたいんだろう……) それは、以前にも自分に問いかけた疑問。霧咲に連絡先を渡されたけど、どうしても掛けることができなくて、その理由を考えていた。 (男同士なんて、って思ってたのに……) 生産性がないと分かっていても、誰にも言えない祝福されないと分かっていても、遊ばれていると分かっていても。それでも自分は、霧咲に抱かれたいと思うのか? 以前の答えは、no. しかし今の答えは、yes.だった。 榛名はもう言い訳のしようもないくらいに、霧咲にハマってしまっている。 「榛名、」 霧咲は榛名のすぐそばまで来て、榛名の顔をその大きな両手でそっと包み込んだ。 (あ……) キス、される。 霧咲の顔がそっと降りてきたので、そう思って目を閉じようとしたのだが。 「……なんで、さっきからそんなに泣きそうな顔をしてるの」 思ってもいなかったことを不意に聞かれて、榛名は目を見開いて霧咲を見た。

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