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第41話 ※まだ会議中でした。

榛名が二人の再会した経緯を話し終えた後、マスターの口からは「ほうっ……」という、色っぽい感嘆のため息が漏れた。 「すごい……正に運命じゃないですか。そんな偶然ってあるんですね……!」 「俺もビックリしました。まさかうちの透析室に助っ人に来てくれたのが、その……霧咲先生だったってことに。ていうかまず医者だったってことからビックリしましたよ」 「何、俺が医者だといけないの?」 少しむっとした声で霧咲が榛名に言った。勿論本気なのではなく、ただのポーズなのだが。それでも気が弱い榛名は、霧咲の態度に眉を顰めて弁解した。 「い、いけないなんて誰も言ってないじゃないですか。てか、俺が看護師だって言った時点で医者だって教えてくれたらよかったのに!黙ってるなんて人が悪いですよ」 「だってきみがあまりにも楽しそうに色々話してくれるものだから。あの時俺が医者だって言ったら、きっときみは一瞬で酔いが醒めて態度が一変していただろう?看護師ならばなおさらだ」 「………」 その様子は、榛名は自分でも想像できた。確かに霧咲の言う通り、あの時に医者だと言われていたら榛名は萎縮してしまって楽しく呑むどころではなくなっていただろう。そうなると、霧咲との関係もあれっきりだったに違いない。 一瞬沈黙が訪れたあと、マスターの恋人である夏木が少し遠慮気味に手を上げながら、言った。 「あ、あのー……、この機会だからちょっと聞きたいんですけど、人工透析ってどういう病気になったらなるもんなんですか?予防方法とかはあるんですか?」 「あ、それって俺も聞いてみたいです!悠さんが病気になったら嫌だもん!」 夏木に続いて広川も、元気に手を挙げて聞いてきた。すると霧咲はニヤリと笑って、 「ですって、看護師さん」 と榛名に振った。しかし榛名も、 「では説明をお願いします、霧咲先生」 と言い返した。看護師モードならば、多少の霧咲の言動は怖くないのだ。 「やれやれ……優秀なきみがどういう説明をするのかを聞いてみたかったのになぁ」 「患者に病気の説明するのはドクターの仕事でしょう?……リュートさん、ギムレットをもう一杯お願いします」 「はい」 榛名は二杯目のギムレットを頼んだ。別に榛名は普通のナースなのだが、褒められたことは素直に受け取っておこうと思った。いつもなら謙遜か否定するのだが、強い酒がだんだんと回ってきているらしい。霧咲は、若者二人に透析について説明を始めている。土曜の夜なのに、何故か他のお客は来なかった。 「夏木君、透析っていうのは簡単に言えば腎臓の代わりでね……つまり腎不全、腎臓の機能がダメになったら透析適応になるんだよ。それで、腎臓がダメになる一番の原因は糖尿病の合併症が多いかな。他にも膿胞腎(のうほうじん)とか色々あるけどね。糖尿病はいわゆる生活習慣病だ。だから予防法っていうのは、規則正しい生活をすること、それ以外にはない。これは何の病気にでも言えることだけど……分かったかい?」 「はあ、ざっくりとは」 広川も夏木と同じような反応をした。 「それでいいよ、若いうちからあんまり病気を意識しすぎてもしょうがないからね。どんなに規則正しい生活をしていても病気になる人はなるし、又はその逆もある。糖尿病にならなくたって他の病気になる可能性もあるし、もしくは交通事故に遭う可能性だってあるんだ。災害とかね。だからその日その日を悔いなく生きていればそれでいい、と俺は思うんだよね」 「霧咲さん、お医者さんなのにアレに気をつけろコレに気をつけろって言わないんですね」 「君が今何らかの病気にかかっていて、アドバイスを求めているなら言うよ?でも、そうじゃないだろ?」 「はい」 「なら、俺が医者として言えることは特にないかな。あとは何か分からないことがあったら、俺じゃなくて看護師さんに聞いてください」 そう言って、霧咲はグイっとカミカゼを飲んだ。夏木と広川は、分かったような分からなかったような……という顔をしている。 「ちょっと霧咲先生、すっごい簡単な説明だけしてこっちに投げないでくださいよっ」 「医者なんてそんなもんさ。そうだろ?」 「………」 そういう医者もいるが、少なくとも霧咲はそういうタイプではないと思う。仕事中は、特に。そんなに仕事以外で透析の説明するのが嫌なのだろうか。(そして榛名は、彼がマスターに最初医者だと名乗っていなかったことを思い出した) 「じゃあ看護師さんに質問でーすっ、生活習慣病って具体的には何に気を付ければいいんですか?」 今度は広川が榛名に聞いた。もう霧咲は何も言わなさそうだったので、榛名が説明した。 「えっと……まあ、基本的には煙草を吸われている方は禁煙をして、あとは適度な運動と三食しっかり栄養バランスの取れた食事を食べること。それとお酒は控えめに……。そんな基本的なことかな」 「へえー。だって!悠さんっ」 「なんで俺に振るんだ?皐月」 「でもその基本的なことが、意外と難しいんですよねぇ……」 マスターがしみじみとしながら言った。 「そう、だから俺はもう諦めてます」 「霧咲先生、医者なのに!?」 ニヤリとして言う霧咲に、夏木がツッコんだ。そして榛名は、失礼かもしれないと思ったが気になっていたことをマスターに聞いた。 「あの、土曜の夜なのに他のお客さんが来ませんが、もしかして今日はお休みだったとかじゃないですよね?」 「お二人が見えたので、その時点で貸切営業にしたんです。あの後の話を邪魔されずにじっくり聞きたかったもので」 マスターは、こともなげに笑ってそう言った。 「い、いいんですか!?その、売上とか」 「いいですよ。ね?兄さん」 「お前の店だからな、好きにして構わないさ」 その後もお酒を飲みながら色々な話をして、盛り上がった。広川は、香島が来たらアルコールを解禁したようだった。 * 「……主任、榛名主任?会議終わりましたよ」 「あ、はいっ、すみません」 気付いたら、長ったらしい主任会議は終わっていた。榛名は途中から全く参加していなかったが、まあそれもいつものことだ。主任会議で問題にあがるのは、ほぼ内科病棟と外科病棟で、透析室としては特に持っていきたい問題は何も無かった。ちなみにこの場にいる男性は榛名だけだ。 「それじゃ霧咲先生との合コンの件、本当によろしくお願いしますね?」 「ああ、はい……」 せっかく楽しかった夜のことを思い出して忘れかけていたのに、追い打ちのような山本の言葉で、榛名はまた会議前のような嫌な気分になったのだった。

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