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第45話 嫌な予感と優越感
霧咲の講演会は2週間後に行われる予定らしい。榛名が霧咲からそれを聞いた次の日、師長に確かめてみたら『昨日は休みだったから今日掲示する予定だったのよ~』と言われた。言うのを忘れていたわけではなかったらしい。
榛名はその詳細の書かれたプリントをもらうと、透析スタッフ向けの掲示用ホワイトボードにマグネットで貼りつけた。そして赤いボード用マジックで、『霧咲先生が講演されるので、是非皆で行きましょう!』と書き、空いている箇所に『参加者』と書き込み、自分の印鑑を押した。こういう地味な仕事も大体主任である榛名の役目である。
すると榛名の後ろから、有坂が覗き込んできた。
「あれれ~っ、この日霧咲先生が講演するんですかぁ!?」
「そうだよ、有坂さん行ける?」
「絶対行きますぅ!なんなら応援幕でも作っていきますかぁ!?みんなで席から『霧咲先生ガンバレ』って静かに文字で応援しましょうよぉ!」
「それは……確実に失敗の原因になるからやめておいた方がいいね」
「ええ~」
霧咲は意外と笑い上戸だ。そんなことをすれば、きっと檀上で笑って憤死することだろう。想像すると面白くて榛名は久しぶりに声を出して笑った。
「ちょ、榛名君が笑ってる!何々、何の面白いことがあったの?」
気付けば数人のスタッフが榛名と有坂の後ろに集まっていた。今は昼休憩から戻ってきて回収を待つ時間なので、皆自分の担当患者の回収が始まるまでは時間を持て余しているのだ。
「霧咲先生が今度講演するらしいですよぉ!これは絶対行かなきゃです~!」
「えー……俺どうしようかな」
ナースは皆『ほんとに?』『行かなきゃ!』と言っているが、堂島だけは渋った顔をした。もっとも堂島はあまりこういう研修に参加するタイプではないので別に珍しくはない。それは他のナースも同じなのだが、今回は霧咲効果で参加率が良さそうだ。
「お弁当豪華らしいよ、葛西薬品が主催だから」
「マジで?じゃあ、弁当のために行こっかな」
堂島は前に霧咲のことを嫌いだと言っていたが、あれは本気だったのだろうか。霧咲のイケメンぶりをやっかんだだけの冗談だと思っていたのだが、本当に嫌いらしい。
「そうだ、そろそろ霧咲先生の歓迎会もしましょうよ!助っ人といえども、すごくお世話になってるし!」
中堅看護師の若葉が言った。若葉は彼氏がいるが、透析室では霧咲のファンであることを包み隠さない。若葉の発言に有坂も同意した。
「いいですねぇ~!榛名主任、霧咲先生の好きなものを聞いててください、霧咲先生が好きな食べ物のお店にしましょう~!」
二人は歳は違うが気が合うらしく、普段も一緒に遊んでいるらしい。
「あ、確かお刺身が好きだって言ってたよ」
ぽろっと言ってしまったが、当然その発言は有坂に食いつかれた。
「ホントですかぁ!?既に知ってるなんてさすがふたりは仲良しですね!じゃあ霧咲先生の歓迎会は和食で決定ですぅ!若葉さん、早速ぐりゅなびでお店探しましょう~!」
「よしきた!」
「その前に仕事しようね。ほら、回収始まるから解散解散っ」
『ふたりは仲良し』発言をさっと流すように、榛名はスタッフを解散させた。いつも霧咲の回診に付いているのは榛名だが、それは他のスタッフが嫌がるからであってまさかそんな風に見られていたなんて思ってもいなかった。一緒に食事に行ったのは一度きりだと言っておいたのに。
(まさか気を使われて回診当てられていたとか……いや、そんなはずないよな……)
「二人は仲良し、かぁ」
「!」
全員が回収に行ったと思っていたのに、まだ堂島はホワイトボードの前に残っていた。しかも何やら有坂の発言を深く突っ込みたいらしい。榛名は少し嫌な予感がした。
「堂島君、最初の回収誰なの?」
「木野さん。50分だからまーだまだ」
「そ、俺は倉田さん30分から回収だから行くね」
「――榛名君ってさぁ」
踵を返そうとしたら、わざとらしい声で呼び止められた。榛名は少し煩わしいといった顔で堂島を振り返る。
「何?」
「霧咲先生と、どこまでいってんの?」
「……は?」
嫌な予感というのは、何故こうも当たるのだろう。
「どこまでって、食事まででしょ~?ね、榛名主任!」
「!」
回収に行ったと思っていた有坂が戻ってきて、榛名の代わりに堂島に答えた。榛名はあからさまにホッとしてしまい、堂島はそんな榛名を見て片眉をぴくりと動かす。
「もぉ、堂島君ったらまだ榛名主任のこと諦めてないんですかぁ?霧咲先生のいないトコで主任のことをイジメたら私が許さないですよぉ~!」
「有坂っち……どうしても俺をホモにしたいの?大体榛名君のことを好きだっていうなら有坂っちの方がそうなんじゃね?」
「あったりまえじゃないですかぁ!私、榛名主任のこと大好きですぅ!」
(女の子はすごい……)
一瞬ドキっとしなくもないが、榛名は有坂に実は彼氏がいることを知っていた。ちなみにそのことは、透析室では榛名と若葉しか知らないことだ。
「有難う有坂さん、俺も君のこと好きだよ……少なくとも堂島君よりは」
「わぁ、なら私たち両想いですねぇ!?」
「うん、両想いだから回収に行こうか?」
「はーいっ!って私、マイ聴診器を取りに来たんでしたぁ、てへっ」
有坂はぶりっ子だ。(驚くべきことに素らしい)そのせいで同年代が多い病棟の看護師からイジメられて、透析室に希望で移動してきたと近藤から聞いた。
確かに同性から見ればぶりっこが鼻に付くかもしれないが、男の榛名から見れば普通に可愛いとしか思えない。それは有坂より年上の他の透析スタッフも同じらしく、『ぶりっこキャラ』として有坂を受け入れていた。まだ失敗も多いが、患者からの受けも抜群だ。
イジメの影響か、ここに来た頃はあまり笑わない子だったので榛名はなんとなくよく構っていた。仕事のあとにプライミングの仕方を教えたり、一日の反省会をしたり。だから異常に懐かれた感はあるものの、有坂は空気は読めるし距離はわきまえている。彼氏もいるので、榛名を好きになることもないのだった。
(……有難う、有坂さん)
きっと聴診器を忘れたというのは嘘で、榛名が困っているのを感じて来てくれたのだろうと思う。詳しい事情は話せないが、榛名は心の中で有坂に感謝した。
(それにしても堂島君、俺と霧咲さんのこと、気付いてる?)
堂島はまだホワイトボードの前で、榛名が貼った掲示物をジッと見ている。職場でバレるようなヘマはしていないはずだ。同性同士のドクターとナースが仲良しなのは別に珍しくない。榛名は奥本とだって仲良しなのだから。
(まさかね……ああ、ヒヤヒヤした)
榛名が目を逸らしたあとに、堂島は榛名の方を見ていた。
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