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第70話 突然の知らせ

「榛名君大丈夫~?今日全然集中力ないじゃん。今日は穿刺すんのもうやめといたら?」 堂島が至極軽い調子でズバズバと言う。榛名はジト目で睨み返しつつ、その言葉の真意はありがたく受け取ることにした。 「この忙しいのに穿刺しないとか冗談言わないでよ。でも、なるべく簡単な血管の人のところに行かせてもらおうかな……」 「うんうん、そーしなそーしな」 (こいつ、年下の癖に) 心の内で毒づいたが、文句を言える立場でもなかった。自分でも今日は集中力が欠けているということはとっくに気付いていた。それなのに横井氏の穿刺に行くなんてやめておけばよかったのだが、誰も行こうとせずに有坂が困っていたので、カッコつけて『俺が行くよ』なんて言ってしまったのだ。でも、それで失敗するなんて笑い話にしかならない。 すると堂島はいきなり顔を近づけてきて、周りに聞こえないくらい小さな声で榛名に聞いた。 「榛名君さ、霧咲先生となんかあった?」 「え!?」 (な、なんで、堂島君が……!?) 「昨日休んでたし、今日も様子が変だし。っつかその反応分かりやすすぎじゃね?」 「あ……っ」 「ま、どうでもいい……こともねぇけどさ。ケンカしたんならちゃんと話し合えば?つうかあんたらケンカとかすることあんの?あの霧咲先生が榛名君に対して怒るとかあんま想像つかねぇな、ま、榛名君の暗い顔がいつも以上に暗いとあんまり笑えねぇからさ」 「失礼だな……」 榛名が憮然とした顔をして堂島を睨みつけると、堂島はにひっと悪戯っ子のような顔で笑った。 そしてまたそれぞれ別の患者の穿刺に行ったが、そんな二人を遠くから見ている二人がいた。 「……榛名主任と堂島君、完全に仲直りしたみたいですねぇ、若葉さん」 「でも堂島×主任はそこまで萌えないわね……、ああ、昨日霧咲先生×主任を見れなかったのがほんとに悔しい!朝からそれだけを楽しみに来てたのにぃ!」 「私はもう霧咲先生の回診に付きたくないから、次からは絶対主任来てほしいですぅ」 遠くから若葉と有坂が榛名を見つめてブツブツと話していることに、榛名は全く気付いていない。 そしてそれ以降、榛名は穿刺ミスはしなかった。 * 榛名が昼休憩に入った途端、その報せはやってきた。 「榛名主任、休憩待ってください!なんか家族から電話だって事務から内線来てますよ~!」 食堂に行こうとしていた榛名を、リーダーの若葉が呼び止めた。榛名は一緒に休憩に上がろうとしていた有坂や富永に『先に行っててください』と声をかけて、透析室へと引き返した。 (家族から電話……?) 若葉に『ありがとうございます』と言って受話器を受け取ると、聞きなれたけたたましい声が受話器から聞こえた。 『暁哉!!大変なとよ!!お父さんが、お父さんがぁぁ!!』 「お、お母さん!?ちょっ……何やと!?おちつけって!いや、落ち着いてください」 近くに若葉がいたので、思わず出かかった方言を封印した。しかし最初の返事のイントネーションでバレてしまっただろう。若葉は物凄く目を輝かせて榛名を見ていた。 「な、なんねお母さん、俺今仕事中やっちゃけど……お父さんが何てね?」 榛名は手で口元を隠しながら、ぼそぼそと返事を返した。 『仕事なんてしてる場合じゃないが!お父さんが会社で倒れたって電話が来て、救急車で運ばれたとよ!!』 「えっ……?」 『お姉ちゃんは電話出らんし、お母さん一人でどうしたらいいかわからんとよ~!!今から病院行くけど、どうしよ、お父さんに何かあったらどうすればいいと?もう早く帰ってきて!なんで長男の癖にこんな時におらんと?あんた!』 (父さんが倒れた?何、脳梗塞?脳出血?心筋梗塞?) 「と、とにかく落ち着いてって……すぐ師長に言って早引けさしてもらうかい。でもそっちに着くまで3時間以上はかかるかいね?とにかく落ち着いて」 『もぉぉ、なんでんいいからはよ帰ってきてって!!』 「分かった、父さんの容体が分かったらすぐ連絡してよ?」 通話を切った。 (しばらく声は聞いてないけど、元気で過ごしてると思ったのに。父さんが倒れた……?) またも新たな問題が榛名を襲い、なんだか軽く眩暈がした。 「榛名主任、今のってお母さんですよね?主任、お母さんには方言で喋るんですね、可愛いですっ」 「若葉さんごめん。俺午後から仕事抜けます、父が倒れたらしくって」 そう言ったら、ニマニマしていた若葉の表情が一変した。 「えっ……えええ!?ちょ、それやばいじゃないですかっ!てか、主任の実家って」 「宮崎。ほんとごめん、昨日の今日で」 職場に迷惑をかけてばっかりだ。こんなんじゃ本当に主任なんて、失格じゃないか。若葉の方がよっぽど主任に向いている気がする。(断ったと聞いたけど) 「いやいや!!謝ってる場合じゃないっすよ早く帰らなきゃ!!師長も今休憩中ですよね、私が言っておきましょうか!?」 「大丈夫、自分で言うから。迷惑かけてすみません」 早く行けと促す若葉に何度も謝って、榛名は食堂に行き師長の近藤に事情を話した。近藤は快く早引けをオーケーしてくれたので――むしろこんな状況で了承してくれない管理者はあまりいないのだが――、榛名はそのままロッカーで素早く着替えると病院を飛び出した。 (一旦家に戻ろうか……でも行くのは実家だし、無くて困るのは携帯の充電器くらいか……?) 幸いというか、昨日は気持ちが落ちていたせいで冷蔵庫の中もほとんど空で、一旦家に帰る必要は特になかった。着替えなどは実家に帰ればなんとかなるだろう。 純粋に父親の心配だけをしていればいいのだが、遠く離れた地にいる榛名があがいても状況は変わらない。父が運ばれたのは県内でも大きいM病院らしいし、向こうのスタッフが対応してくれているだろう。それにしても。 (もうそんな年なのか、父さん……俺も……。そりゃあ母さんが孫孫ってうるさいはずだよな) 色んな想いを馳せながら、榛名は羽田空港に向かった。

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