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第89話 亜衣乃の気持ち②
「でも……最近はママと一緒にいるのがつらいの、ママは亜衣乃のことが嫌いだから、亜衣乃がママのそばにいない方が絶対ママは幸せだかから……っ!」
「……亜衣乃ちゃん」
それは、無意識の行動だった。榛名は泣きじゃくる亜衣乃の前にかがみこんで、その華奢な身体をきつく抱きしめていた。
「……っアキちゃん?」
亜衣乃が驚いた声を出す。霧咲も榛名の行動に驚いていた。榛名も自分の行動に少し驚いたが、もう後には引けない。そんな決意をして、亜衣乃に語りかけた。
「俺は男だから、君の望むようなママにはなれないかもしれない。でも、ママの代わりに……ううん、それ以上に君を愛してあげることはできるよ」
亜衣乃に伝わるように丁寧に言葉を選びながら、榛名は続ける。
「俺は霧咲さんと結婚したいと思ってるし、君のママにもなりたい。……君たちと、本物の家族になりたいと思ってるんだ」
「アキちゃんが、亜衣乃のママに?」
きょとんとした顔で榛名を見つめてくる亜衣乃に、榛名は少し苦笑した。
「亜衣乃ちゃんが誠人おじさんの娘になったら、必然的に俺も付いてくるってこと」
「………」
亜衣乃が黙りこくったので、榛名は内心(やっぱり、嫌だよな)と思った。しかし。
榛名の首にか細い手が回されて、亜衣乃からも抱きついてきた。
「アキちゃんがママになってくれたら、亜衣乃はとっても嬉しいよ」
「……ほんとう?」
「男のママなんて、珍しくて面白いし……」
「そっちなの!?」
亜衣乃の言い分に、榛名は思わず吹き出した。顔を見ようと身体を離そうとしたが、亜衣乃はなかなか離れない。
「……亜衣乃ちゃん?」
「うーっ……」
「亜衣乃ちゃん?どうしたの」
亜衣乃は榛名に抱きついたまま、めそめそと泣き出して離れなくなった。丁度榛名の首筋に亜衣乃の頭があって、その辺りがどんどん熱くなっていく。少々戸惑う榛名に、霧咲が後ろから声をかけた。
「……君の言葉が、嬉しかったんだと思うよ」
「え?」
「ふえええぇん」
霧咲の言葉を皮切りにして、亜衣乃は声をあげて激しく泣き出した。
*
「大丈夫?俺が代わろうか」
「大丈夫ですよ、10歳の女の子なんて軽いですから」
ふれあいランドで亜衣乃は大泣きして、なだめている内に泣き疲れて寝てしまった。そのため、今日は帰ることにしたのだ。今は榛名がおぶって最寄りの駅に向かって歩いている。
「俺の方が役割的にパパなのになぁ……」
「でも、俺も男ですから」
「そうだね」
榛名の言葉に、霧咲はあっさりと納得して微笑んだ。丁度電車が来たので乗り込んだが、座席は空いてなかったのでドアの付近に並んで立った。霧咲は、横に立つ榛名に話しかける。
「君、今日はこれからどうするの?」
「いい加減家に帰りますよ。もう、だいぶ空けてますから……さすがにちょっと心配なので」
慌てて実家に帰ったのが木曜日で、今日は日曜日だ。明日は朝から仕事だし、連休の気分を改めるためにも一度自宅に帰りたかった。霧咲と離れたくない気持ちも勿論あるのだが。
「そう。明日は通常の日勤?」
「はい。霧咲さんもですよね?」
「うん、朝からシャント造設オペが2件も入ってる」
「そっか……頑張ってくださいね」
「うん、頑張るよ。君の笑顔が見れたから何でも頑張れそうだ」
いきなり気障な言葉を吐かれて、榛名はかあっと顔を赤くした。
「何言ってるんですか、もう」
「ふふ」
ここはもう東京なのだから、外でイチャイチャするわけにはいかないのに。それに今は寝てるとはいえ、榛名は背中に亜衣乃をおぶっているのだから。
「それと亜衣乃のこと、ありがとう。君は男なのに母親になるとまで言ってくれて……俺も嬉しかったよ」
「色々とおかしいですけどね。でも本心ですから。それと」
「ん?」
「さっき泣いてる亜衣乃ちゃんを抱きしめてたら……なんか、母性本能だか父性本能だかわかんないんですけど、この子は俺が守らなきゃって使命感みたいなものが芽生えまして」
「………」
榛名のその言葉に、霧咲が少し怪訝な顔をしている。
「あの?」
「君……それ、保護者としての感情しかないだろうね?」
「当たり前でしょうが!」
電車の中だということを忘れて、つい大きな声を出してしまい一瞬注目を浴びてしまった。
榛名は小さくなって俯いたが、霧咲はそんな榛名を見てくつくつと笑っており、榛名はまた揶揄かわれたのだということに気付いた。
「……もう、外でまで意地悪するのはやめてください」
「君の反応は可愛いからね、こればっかりはなかなかやめられないよ」
「だから、そういうことを言うのも!」
「分かった、もう言わないから。でも部屋の中でならいいんだろ?」
「………」
返事をせずとも、再び赤くなった榛名の表情はそれを肯定していた。霧咲はそんな榛名を見て、優しく微笑む。
ふと遠い目をして外の景色を眺めたので、榛名もその視線を追った。日が沈むのにはまだ早い時間だが、曇りの天気のせいで外はなんだか薄暗く感じた。
「……すぐには一緒に暮らせないと思う。俺たちの話じゃなくて、亜衣乃だけど」
「え?」
「蓉子はね……きっと俺が亜衣乃を引き取ることを渋ると思うんだ。だから最悪の場合、裁判になるかもしれない。でも、あいつが育児放棄していた記録を俺はずっと密かに書いていたから勝てると思う」
「そんなことしてたんですか。用意周到ですね」
「まあね、亜衣乃が生まれて……蓉子の離婚騒動があった時から、いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってたから」
遠くを見つめながら、霧咲は言った。そして榛名は、気になっていたことを聞いた。
「……本当はずっと、亜衣乃ちゃんを引き取りたかったんですか?」
「まあ、娘のように思っていたからね。でも俺には色々な責任と業があるから、自分からそれを望むことなんて出来なかったんだよ。でも、今は亜衣乃が苦しんでいるから……」
「………」
「本当に、君が俺ごと亜衣乃を受け入れてくれたことには感謝しかないよ」
再び霧咲に顔を覗き込むように優しく微笑まれて、榛名は照れ隠しにぷいっと顔を逸らした。
「……その話、また明日の夜に二人で話しましょう?」
「うん、そうだね」
それからは、榛名が地下鉄に乗り換える駅に着くまで、二人はずっと黙っていた。無言ではあるけれど、それは二人にとって全く苦痛ではなかった。
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