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第88話 亜衣乃の気持ち

 亜衣乃に突っかかってきた男子は、キョトンとした顔でメガネ男子に向き合った。 「え、なんで?」 「霧咲の母ちゃんってミズショーバイしてるんだってさ。それに父ちゃんもいねぇし。だから成績はいいけど、あんまり関わるなって。よく分かんねぇけど」  本人が聞いてる前でそんなことを言うなんて、子どもは時に残酷な生き物だ。榛名は亜衣乃に声をかけようとしたが、亜衣乃は両手をぎゅっと固く握ってワナワナと震えだし、メガネの男子の言葉を激しく否定した。 「ママはお水なんて売ってないもん!!」  意味は分からずとも、母親を馬鹿にされているのだけは分かると言った感じだ。 しかし男子たちはそんな亜衣乃には構わず、会話を続けた。 「ミズショーバイって何だよ?」 「水ってか酒?酒のことを水っていうんだよ大人は。よくドラマとかでいんじゃん、化粧して派手な服着てさ、おっさん相手にお酒ついでる女」 「えっと……キャバ嬢?」 「そうそれ!でも嬢じゃねぇよな」 「ママはそんなんじゃないもん!!」  榛名が霧咲から聞いた話だと、亜衣乃の母親である蓉子はスナックで働いている。だから確かに彼の言うとおり、水商売をしているのだけれど。  しかしクラスメイトの親がそれを知っていて、子供にそんなことを吹き込んでいるという事実に榛名は少なからずショックを受けた。 「でもこいつんち、参観日でオヤジ来てなかったか?女子にパパだって自慢してたじゃん」 「ホントのオヤジじゃねぇって母ちゃんが言ってたぞ」 「じゃあ何者だよ?」 「知らね。母親の彼氏じゃねぇの」 「うっわー」 「……亜衣乃の、パパだもん……」  先ほどとは違う、力ない声で亜衣乃が言う。その目にはうっすらと涙が浮かんでおり、先ほど冷静に強気で言い返していた同じ女の子だとは思えなかった。榛名は立ち上がり、何か言い返そうと思ったその時。 「……君たち、うちの子に何か用?」  思わぬ方向から、霧咲が現れた。手には缶コーヒー二本と、ココアを持っている。霧咲を見て、榛名より先に男子が反応した。 「あ!この人だよ参観日に来てたのって!」 「うちの子って……」 「うちの子はうちの子だけど。君たち、亜衣乃のクラスの子?寄って集って娘に何か用?」 「パパぁ!!」  亜衣乃は榛名のもとから霧咲に走り寄り、がしっとその下半身にしがみついた。榛名はそんな二人をぼんやりと眺めている。亜衣乃があまりにも自然に霧咲のことをパパと呼んだから驚いているのだ。 「暁哉、こっちにおいで」 「あ……ハイッ」  霧咲の元に行くと、『ハイ、君の分』と缶コーヒーを手渡された。 「ありがとうございます」 「こっちは亜衣乃の」  しがみついている亜衣乃に、ココアを渡す。 「ありがとう……」 「うん」  霧咲はくしゃっと亜衣乃の前髪を撫でた。そんな榛名たちを見て、男子たちは困惑している。三人の関係性がよく分からないからだろう  そして、霧咲が厳しい口調で言った。 「君たち、うちの娘とは仲良くして頂かなくて結構だよ。親の職業と子供は関係ないし、そんなくだらないことで差別をするような友達なんてこっちから願い下げだ」 「……っ」  男子たちはぐっと黙り込んだ。特にメガネ男子は罰が悪そうな顔をしている。 「まあ、亜衣乃の態度にも問題があるようだけど……そこは子供同士の問題だから俺は口出ししないよ、亜衣乃」 「………」  亜衣乃も心当たりがあるようで、黙り込んだ。 「おい、行こうぜ」  そして男子たちは、くるりと踵を返して去って行った。最初に亜衣乃に突っかかってきた男子だけは振り返って亜衣乃を気にしていたので、もしかしたら亜衣乃のことが好きなのかもしれない、と榛名は思った。  彼らが離れて行ったあと、霧咲はフウ……と深くため息を吐いた。 「まったく、俺はパパじゃないと言ってるのになんて自然に呼ぶんだ……」 「まこおじさんだって亜衣乃のこと娘だって自然に言ってたじゃない」  確かに、先に亜衣乃のことを娘と言ったのは霧咲の方だ。だから亜衣乃は堂々と霧咲のことを『パパ』と呼んだ。勿論、霧咲が自分の嘘をフォローするためにそう言ってくれたことは分かってはいる。 「……亜衣乃」  霧咲が、いつもより低い声で亜衣乃を呼んだ。 「なあに?まこおじさん」 (あ……)  榛名は、霧咲の言おうとしていることが分かった。亜衣乃はキョトンとしているが、榛名には緊張が走る。 「お前……本当に俺の娘になる?」 「えっ?」 「お前が蓉子を好きなことは知っている。本当は離れたくないと思ってることも。でも、蓉子は……」  さすがに、霧咲からはその言葉の先は言えなかった。昨日亜衣乃自身の口から『ママから好かれていない』と聞いていたとしても。 「………」 「蓉子がお前に冷たいのは、全部俺のせいなんだ。すまない、亜衣乃」 「どうしてまこおじさんのせいなの?」 「それはお前が大きくなったら話す。子供に聞かせられる話じゃない」 「………」  亜衣乃は、霧咲を見上げたまま黙りこくった。そして。 「まこおじさんが亜衣乃のパパになってくれるなら、亜衣乃はまこおじさんの娘になるよ。だってそれがママの願いだもん。亜衣乃がまこおじさんの娘になることが」 「お前の希望は?」 「亜衣乃は……」  言いかけた亜衣乃の瞳から、ぶわっと涙が溢れた。 「亜衣乃はママが好きだよ!どんなに邪魔者扱いされたって、好かれてなくったって……だって、ママは亜衣乃のママだもん!世界にたったひとりしかいないんだもん!」 「亜衣乃……」  周りの客数人が、何事かと泣いている亜衣乃の方を気にしては見て見ぬふりをしている。しかし榛名も霧咲も周りの視線など気にならなかった。それよりも気になるのは、目の前で泣きじゃくる亜衣乃の存在だけだ。

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