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第107話 榛名、蓉子と相見える

そして、1月4日。午前8時30分。 「おはよう、暁哉。電話でも言ったけど明けましておめでとう、今年もよろしくね」 「おはようございます、誠人さん。明けましておめでとうございます、こちらこそよろしくお願いします」 朝から榛名のマンションに霧咲が来て、玄関で新年の挨拶をした。これから一緒に榛名の用意した朝食を食べて、少しゆっくりした後に霧咲の部屋へ向かう予定だ。 「お正月は仕事忙しかったですか?」 「まあ、それなりに……でも君のところの方が大変だったんじゃないの?お正月はスタッフが少ないしね」 「どこも似たようなものですね」 RI朝食を食べたあと、ソファに座ってコーヒーを飲みながら談笑していたが、霧咲の顔はいつになく強張っているように見えた。そしてそれは、榛名の思い込みではないようだ。 「ごめんね、新年早々迷惑かけて。蓉子が会いたいなんて言ってること自体、君に伝えるべきじゃなかったのかもしれない」 そんなことを、沈んだ顔で言うのだ。いつも不遜な態度の人間がたまにこうなると、二倍増しで可愛さがアップするのは少しずるいな、と榛名は呑気に思った。愛しくて、頭を抱きしめてあげたくなる。 「……緊張してないって言ったらウソになりますけど、どっちにしろいつかはどこかで会うことになったでしょうし。それに向こうが会いたいって言ってるのを聞かなかったら、蓉子さんは俺が逃げたって思うわけでしょう?それが変な風に亜衣乃ちゃんに伝わっても嫌ですから、俺の方も会っておきたいんです。だから誠人さんが気にする必要は全然ないんですよ」 「そう言ってもらえると、気が楽になるよ。本当に君は出来た恋人だな……あ、奥さんだった」 「あはは」 霧咲がわざと言い間違えたように訂正するのを、榛名は嫌いではない。少しくすぐったいし、自分は女性でもないのだけど……例え結婚してなくても、『奥さん』と呼ばれるのは単純に嬉しかった。 「蓉子さんと亜衣乃ちゃんは何時ごろ来るんですか?」 「そうだね……昼前、かな?また蓉子が逆上したらいけないと思って場所を俺のマンションにしたけど、よくよく考えれば外の方が冷静な話し合いはできたかもしれないな」 「でも内容が内容ですし。誠人さんの部屋でいいですよ」 「そう?」 世間一般的に、こういう話は一体どこでするものなのだろう。高級ホテルのレストランか、もしくは料亭か。何にせよ、他人のいるところで男の榛名が大きな声で母親宣言をするのは、覚悟を決めたと言ってもやはり少し恥ずかしい。亜衣乃だって嫌だろうと思う。 突然、霧咲のプライベート用の携帯が鳴った。霧咲は画面を見て眉をしかめたあと、電話に出た。 「もしもし、なんだ蓉子。……は?今から来るって?早すぎだろ、約束の時間はまだ……ああもういい、分かった。今家にいないから、すぐ帰る。そっちが先に着いても待ってろよ」 投げやりな口調で通話を終わらせた霧咲は、大きなため息をついた。 「はぁ~……」 「今から、ですか?随分早いですね」 「昼から用事ができたと。どうせまた男のところに行くんだろう。ったく、君と話すついでに亜衣乃を俺に預けたいんだろうな」 「………」 (あの子は、ついでの用事なのか……) 当然のように言う霧咲に、亜衣乃がいつもそんな扱いをされているのを実感する。自分のこともついでなのだろうが、それについてはどうでもいい。けど、亜衣乃は蓉子の実の娘なのだ。 たとえ亜衣乃が母親のことを好きだろうと、もう関係ない。自分があの子を守らなければ、と闘志のようなものが湧いてきて、榛名はぎゅっと拳を握りしめた。 榛名が霧咲のマンションに着いた時、まだ蓉子と亜衣乃は来ていなくて少しホッとした。できればもう少し心の準備をしていたかったのだ。あまり構えすぎるのもいけないかもしれないが、亜衣乃は別として、初めて霧咲の家族と会うということも緊張している原因の一つだった。 霧咲は、車内でも散々注意していたことを再び榛名に言った。 「暁哉、蓉子の言うことを真剣に受け止めなくていい。あいつは君の傷つくことをズバズバ言ってくるだろうが、精神科の患者に対するような気持ちでいてくれたらいいから」 実の妹に対してひどい言い草だが、それほどに蓉子は口が悪いのだろう。 水商売で色んな客の相手をしている内にそうなったのかもしれない、と榛名は思った。 職業は違うものの、その経過はなんだか看護師の自分も少し分かる気がする。 「大丈夫ですよ、心配しないでください」 言い返すことは難しいかもしれないが、受け流すことなら慣れている。榛名は霧咲を安心させるべく、穏やかに笑った。 そして。 〈ピンポーン〉 インターホンが鳴り、ドクンと心臓が高鳴った。霧咲が玄関まで行き、亜衣乃の声と女性の声が聞こえてきた。 その声はどんどんリビングに近付いてきて、ドアが開くと同時に、榛名は立ち上がった。 しかし、リビングに最初に入ってきたのは亜衣乃だった。亜衣乃は榛名の姿を見つけると、勢いよく飛びついてきた。 「アキちゃんおはよう!!あけましておめでとうございまーす」 髪を降ろしてリボンのカチューシャをしている亜衣乃の頭を榛名はよしよしと撫でながら笑顔で返した。 「おはよう亜衣乃ちゃん、明けましておめでとう、今年もよろしくね」 「うんっ、えへへっ」 そして。 「もう子供に取り入ってるなんて、随分とヤラシイ男なのね」 冷たく響く、女性の声が聞こえた。榛名は声がした方――リビングのドア方面に顔を向けた。 そこには、派手な化粧と格好をした小柄な女性が腕を組んだ横柄な態度で榛名を見つめていた。その後ろには、彼女の後頭部を睨みつけている霧咲が立っている。 「……貴方が、兄さんの新しい恋人のハルナ君?」 「初めまして。榛名暁哉と申します」 榛名は、ぺこりと頭を下げた後に、蓉子と目を合わせた。霧咲とはあまり似ていないが、少し鼻や口元が似ている気がする。 (新しい恋人、ね) 霧咲が恋人を作ったのは10年ぶりだというのに、何回も恋人を変えているような言い方をするなんて霧咲にとっても榛名にとっても嫌味でしかないが、榛名は反応せずに受け流した。 そして心配そうな顔で榛名を見上げる亜衣乃とも目を合わせて、ニコッと笑った。蓉子はそんな榛名を無視して続けた。 「驚いたわ。前は年上だったのに、今度はえらく若い子なのね。それと兄さん、この10年間で随分と趣味が変わったんじゃないの?」 「!」 榛名の顔をまじまじと見たあと、いきなり鼻で笑った蓉子に榛名は少し面食らった。それも先程同様受け流すが、一つ問題があった。 「あの……亜衣乃ちゃんには席を外して貰っていいですか?子どもに聞かせられる話をしに来たんじゃないんですよね?」 子どもの亜衣乃がいる前で、大人の醜い争いを始めようとするのだけは頂けない。 「あら、自分が子供みたいな顔してるくせに亜衣乃を子供扱いする気?」 「生憎ですが、俺はもうすぐ30になります。歳は亜衣乃ちゃんよりあなたの方に近いかと」 今月で29になるが、四捨五入すれば30だ。 もうすぐというニュアンスには遠いかもしれないが、そんな細かいことはどうでもいい。

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