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第109 霧咲蓉子の話

「あんたって元々オカマなの?兄さんの他にも男の恋人がいたわけ?」 「いいえ、俺は男と付き合ったのは誠人さんが初めてです。それまでは女性と付き合ってました。でも、本気で彼女たちを愛したことはありませんから、きっと貴方がいうところのもともとおかまだったんでしょうね」 蓉子の言う『おかま』という単語には引っかかるものがあったが、敢えて指摘も否定もしなかった。いちいちそんなことをするのは無駄なことだと分かっているからだ。 女性になりたいと思ったことは一度もないが、一緒くたにしたければそうすればいい。理解をしてもらうことの方が難しい問題なのだ。 「ふーん。好きでもないのに女と付き合ってたんだ。可愛い顔して結構最低なのねぇ、もしかしてヤリチン?」 「ヤっ!?……別に、その時付き合ってた人以外とそういうことはしたことありませんから!好きじゃないのに付き合ってたってのは、否定できませんけど……」 いつも振られるのは自分の方とはいえ、相手には少しの間は好かれていたように思う。 それでも、自分は彼女たちにお金を掛けることはできたが、愛情は返せなかった。だから同じ女性に最低だと言われるのも当然だ、と榛名は思う。そしてそのことは素直に受け入れる。 「そういうトコロは、少しあの男と似てるわね、あんた」 「え?」 「あたしの元旦那よ。あの男、あたしのことなんてちっとも好きじゃなかった癖に、兄さんとの子供が欲しいがために妹のあたしを利用したのよ。兄さんから聞いてるでしょ?」 自分はそこまで最低なことはしない。けど、榛名は口を挟まなかった。 「兄妹だからって、あたしと作った子供が兄さんとの子供なわけないのにバカみたいよね。……でも、あんたも同じことを思ってるんでしょ?だから男のくせに亜衣乃の母親になるだなんてふざけたことが言えんのよね?……ねえ、亜衣乃は兄さんの子なんかじゃなくて、出来の悪い妹のあたしとあの最低な男の子供なんだってコト、ちゃんと分かってんの?」 亜衣乃は霧咲の姪だ。榛名はそれ以上にも以下にも思ったことはない。 お互いのことを本当に親だ娘だと認め合えるのは、時間がかかることだとも分かっている。 「オカマってのはみーんな頭がおめでたいの?兄さんと亜衣乃はただの伯父と姪よ!それに兄さんは表面上は亜衣乃を可愛がっていても本当は憎んでいるに決まってるわ、あの男の実の娘なんだもの、恨まないはずないわよねぇ!」 蓉子の口は止まらない。もはや榛名には、口を挟みたくても挟む余地は無かった。 「ああ、それとも兄さんはまだあの男のことを愛してるのかしら?だから亜衣乃を引き取ろうとしているのかもしれないわね。自分が亜衣乃を引き取ればもう養育費をあたしにせびられなくて済むし?母親代わりになるとか言ってる都合のいい恋人もできたことだし?ふふっ、そうよ、それが一番しっくりくるじゃない!あーっはははは!!おっかしい!!」 榛名には、蓉子が何をそんなに面白がっているのかが分からない。両手を叩きながら爆笑しているその姿には狂気のようなものすら感じる。 霧咲が言っていた、『精神科の患者だと思え』と言ってたのはこういうことなのだろうか。 「いい加減にしろ、蓉子!」 いきなりリビングのドアが盛大な音を立てて開いたと思ったら、そこには霧咲が鬼のような形相で蓉子を睨みつけて立っていた。 「誠人さん」 「それ以上暁哉を傷つけるようなことを言うなら、即ここから追い出すぞ!」 霧咲は榛名の元に来て『ごめんよ』と一言言い、自分もどっかりとソファに座った。そして手を榛名の肩に回してしっかりと抱き寄せる。 蓉子の前なので榛名は一瞬戸惑ったが、ほっとしたのは事実だった。 (あ……) 耳のすぐそばで、霧咲の心臓の音が聞こえる。少しずつ、落ち着いてきた。 そして少しの間があったあと、蓉子が霧咲に言い返した。 「何よ兄さん。図星を突かれたからって怒鳴らないでくれる?」 「図星なわけがあるか!俺は中原のことはもう何とも思っていないし、亜衣乃のことは普通に姪として可愛い。そして暁哉のことは真剣に愛している。お前の言ってることは全部的外れで、それこそ全部都合のいい妄言だ!笑わせるなよ」 「……フンッ」 霧咲がきっぱりとそう言うと、蓉子は不貞腐れた。どうやら昔から兄には頭が上がらなかったのだろうという背景が少し伺える。 さっき自分のことを『出来の悪い妹』と言ったことも、榛名は少し気になった。 榛名はそっと霧咲から離れて、落ち着かせようとした。いつまでも霧咲に守られている姿を蓉子に見せていると、ますますおかま扱いをされるかもしれないということも考えて。 「誠人さん。俺なら大丈夫ですから」 「でも君のことを都合のいい存在だなんて侮辱されて、黙ってるわけにはいかないよ」 「そんなの事実とは違うんだって、俺が分かっていればいいことでしょう?」 榛名がそう言うのなら……、と霧咲は黙った。それにしても、蓉子が榛名に何も言わなくなったのは榛名が『おかま』であるという認識はもうどうでもよくなったのかもしれない。 「兄さんは、いつもずるいのよ……」 「え?」 榛名は思わず聞き返した。蓉子は小さな――しかし恨みがこもったような声で――話しだした。 「お父さんもお母さんも、小さい頃からいつも兄さんのことばっかり褒めて、構って!兄さんは両親のいいところだけを貰ったような顔で、勉強もスポーツもいつも学年で一番、あたしがどんなに頑張ってもいつも無駄!全部兄さんと比べられて、両親はいつもあたしを貶していたわ!」 霧咲も黙って聞いている。妹のそんな話を聞くのは、初めてのことなのかもしれない。 「友達にもお兄さんと全然似てないね、お兄さんはかっこいいのにねって言われて……!中学の先生達にもどうして兄貴とそんなに出来が違うんだって言われて……!あたしが兄さんの妹というだけで、一体どれだけ毎日を惨めに過ごしていたのかなんて、兄さんは考えたこともなかったでしょう!?」 霧咲は蓉子を見つめたまま、何も言わない。多少心当たりはあるのかもしれないが、昔から仲睦まじい兄妹ではなかったのかもしれない。 「まあ、今思えば兄さんは自分のことで精いっぱいだったのかもしれないけど……。兄さんが男しか好きになれないなんて、あたしはずっと知らなかったんだから」 霧咲は蓉子から目を逸らした。霧咲の目線を追いながら、当時のことを思い出したのかもしれない、と榛名は思った。 「でも、そんなあたしが一度だけ兄さんに勝てたと思ったことがあったわ!」 蓉子の声色が代わって、嬉しそうに言った。 「中原に『ずっと君が好きだったんだ、結婚しよう』って言われた時よ!」 中原とは、霧咲の元恋人である中原敏也のことだ。 「兄さんは中原とは高校の時に知り合ったんだっけ?先輩で、同じ大学まで行って。嫌になるくらいモテるくせに女を家に連れて来たことなんてなかったのに、中原だけはしょっちゅう連れてきていたわね。既に二人が付き合ってるなんて知らなかったけど。……あたし、初めて中原を見たときから一目惚れしててずっと好きだったの。だから兄さんが中原を友達以上に想ってるってことには早い段階から気付いてたわ」 「………」 「でも男同士だから叶うはずないって、女であることに優越感を持ってた。ほとんど会話したことはなかったけどね。でも、ある日突然あの人はあたしにプロポーズしてきた!その時、あたしは初めて兄さんに勝ったと思ったわ!!生まれて初めて今まで生きててよかったって思うくらい、嬉しかった!!」 蓉子も当時のことを思い出してるのか、見たことのないような笑顔だ。苦い顔をしている霧咲とは対照的だった。

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