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第113話 霧咲のかつての恋人について
気付けば、時計の針は12時を回っていた。榛名は『もうそんなに経っていたのか』と、時間の速さに少し驚く。
「とりあえず、昼は出前でも取ろうか?亜衣乃はその後は昼寝だ。俺と暁哉は大人どうしの大事な話があるからお前は寝なさい」
「えー!亜衣乃、別に眠くないもん」
「腹が膨れたら眠くなるさ。それに、少し疲れただろう?」
「……じゃあ亜衣乃、お寿司がいい」
「分かった」
榛名はお昼に簡単なものでも作ろうと思っていたのだが、肝心の食材が冷蔵庫に全く入って無かったので、結局霧咲の出前案に賛成した。
亜衣乃の希望で寿司を取ることにしたのだが、昼間から贅沢だな、と榛名は思った。
しかし淡々としている霧咲と亜衣乃を見ていると、霧咲家では昼に出前の寿司を食べることは特に珍しいことではないのかもしれない。
なんとなく教育に悪そうなので、一緒に暮らし始めたらまずは亜衣乃に普通の金銭感覚から身につけてもらうべきかな、と思った。
霧咲が頼んだ30分後に出前は到着して、3人は無言で黙々と食べた。それぞれ何かを考えてはいるのだが、しかしそれを口に出す者はいなかった。
「……亜衣乃、もう眠そうだな?」
霧咲の言った通り、亜衣乃はうつらうつらと舟を漕ぎ始めて始めている。もしかすると、昨夜は寝不足だったのかもしれない。
「眠くないもん……」
「嘘を吐きなさい、瞼がくっつきそうだぞ」
「うー……」
「誠人さん、俺が寝かせてきますよ。さ、ベッド行こう?亜衣乃ちゃん」
榛名はさっと立ち上がって亜衣乃の手を握り、寝室まで連れて行った。霧咲はそんな2人の様子を目を細めて眺めた。
榛名は亜衣乃を霧咲のベッドに寝かせると、暫くそこにいた。
「あきちゃん……」
「なに?」
「ママは、ずっと一人で……なんでもない」
知りたいこと、聞きたいことは山のようにあるのだろう。けれど榛名は亜衣乃にどこまで伝えていいのか分からないし、自分もそこまで事情に詳しくは無い。
きっと霧咲は今から榛名に話してくれるのだと思うが、それを聞くのが少しだけ恐い自分もいる。榛名は、亜衣乃の手をぎゅっと握った。
「さみしくなったら、いつでも呼んで。さっきみたいに、たくさんぎゅってしてあげるから」
榛名は、亜衣乃にそう言ってあげることしかできない。霧咲と同様に、傍にいてあげることしかできないのだ。
「うん、……ありがとあきちゃん」
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
小さな寝息が聞こえてきて、亜衣乃が完全に寝てしまうのを待って、榛名は寝室を出た。音を立てないように、そっとドアを閉める。
リビングでは、霧咲が食後のコーヒーを淹れて待っていた。
「ありがとうございます、少し冷めちゃいましたか?」
「だいぶ飲みやすくなってると思うよ。熱いのがよかったら淹れ直すけど」
「このままでいいですよ。……おいしい」
榛名はダイニングテーブルに座っていた霧咲の前に座ると、コーヒーを一口飲んでニッコリと笑いかけた。
霧咲は何か言いたげな顔で榛名を見ている。
きっと、自分から切り出すのは少し嫌な話題に違いない。そう思ったので、榛名の方から問いかけた。
「……誠人さん、あの、中原さん……は、どういう人だったんですか?」
「……聞きたいの?」
霧咲が、ちらりと上目遣いで榛名を伺う。
「少し。さっき蓉子さんに部外者じゃないって啖呵切っちゃったし、亜衣乃ちゃんの父親だし。聞いたらヘコむかもしれませんけど、そうなったら誠人さんが慰めてくださいね」
少し冗談めかして言う。全然冗談ではないのだが、少しでも霧咲が話しやすいように、だ。
「分かったよ。まあ、君は強いからヘコんだりしないだろう」
「俺、別に強くないですよ?」
全然強くなんかない。それはこの間、自分の弱さと対面した榛名にはよく分かっていることだ。霧咲に妻子がいると勘違いした時、それでもなお、霧咲の狡さに縋って関係を続けようと決心した。現実から逃げようとしたのだ。
今考えても、弱すぎると思う。しかし、それ以外の選択肢は未だにない。
「いや……君は、俺なんかよりずっと強いよ。俺が今まで会った人間の中で、おそらく一番……いや、二番かな」
「一番は亜衣乃ちゃんですか?」
「そうだ」
「それは、同感です」
榛名は霧咲と目を合わせたあと、軽く目を伏せた。亜衣乃はまだ子どもなのに……いや、子どもだから、なのだろうか。
「じゃあ話すよ、敏也の……、中原のこと」
ぽつりと霧咲が言って、榛名は顔を上げた。
「大半は蓉子の言ってた通りなんだけどな。俺とは高校の時に知り合って、同じ大学に行って……」
「どうやって知り合いになったんですか?部活の先輩とか?」
「そんなことまで知りたいの?」
霧咲が少し困った顔で笑った。
「知りたいです。どっちが先に声をかけたのか、とか。それって重要でしょ?」
「うーん……」
榛名は無意識に中原に嫉妬しているのだが、本人はそのことに気付いていない。前は知りたくないと思っていたのに、少しの情報を手にしてしまうと全て知りたくなってしまうから困りものだ。
「中原は俺の一つ年上で、声を掛けてきたのは向こうからだったな……確か。生徒会役員の勧誘をされたんだったんじゃなかったか……確か」
霧咲は一生懸命当時のことを思い出しているのか、ウーンと首を捻りながら答える。それは普段あまり榛名が見ない顔だ。
「生徒会?誠人さん、生徒会やってたんですか?もしや、のちの生徒会長さん?」
「そうだけど?」
(うわ……なんか似合う……)
榛名は、学生服を着て壇上で演説をしている霧咲の姿を想像した。制服は学ランだっただろうか、ブレザーだっただろうか。ちなみに自分はブレザーだった。
「……ふうん。で、中原さんはその当時の生徒会長だったんですか?」
「そうだよ。よく分かるね?」
「なんとなく……ですけど」
榛名はいつもより積極的に質問してくる。霧咲は少したじろぎながらも、榛名が無駄に傷つかないように言葉を選びながら話した。
「告白は、いつ?どっちからですか?」
「それも聞きたいのか……。えーっと、中原の卒業式に、俺からだ。中原は笑いながら、同じ大学に来れるならいいよって答えたな。もともと俺も志望していたところだったから、それはもうオーケーと言ってるようなものだったけど」
「大学って、どこですか?」
名前を聞いたところで榛名には分からないかもしれないが、一応聞いてみた。
「T大だよ」
「えっ!?」
さらりと言う霧咲に、榛名は思わずコーヒーを噴きそうになった。
榛名は看護大ではなく看護専門学校を出たので大学には行ってないが、その某国立大学がものすごく偏差値の高い、狭き門だという一般常識は知っている。
「じゃあ、中原さんも医者なんですか!?」
「違うよ。彼は経済学を学んでいたから……今はどっかの企業の社長でもやってるんじゃないかな」
「はー……」
なんだかため息が出た。学会や講演で話している時の霧咲に対してもよく思うことなのだが、自分とは世界が違う。
霧咲と中原も男同士だが、さぞかし二人はお似合いの秀才カップルだったんだろうな、と思って早速凹んだ榛名だった。
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