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第157話 榛名と霧咲、露天風呂に入る

 榛名が食事に集中し始めると霧咲もそれにならい、ゆったりとした食事は21時には終わった。 「お腹いっぱい、ですね……」 「だね。満足した?」 「はい、とっても」 「それは良かった」  榛名の言葉に、霧咲も満足げに笑った。すると亜衣乃がすっと立ち上がり、榛名の横に来るとぴったりとくっついて座った。 「亜衣乃ちゃん?どうしたの」 「なんだか眠くなってきちゃった……」 「今日色々と疲れたもんね…お布団用意してもらおっか」  榛名の言葉にコクンと頷く亜衣乃。榛名の腕を掴みながら既にうつらうつらとしていて、横になったらすぐに眠ってしまいそうだ。そんな亜衣乃を見て、霧咲が言った。 「昨日の夜、楽しみすぎてあまり眠れなかったみたいだしな」 「そういえば朝もむちゃくちゃ早起きでしたねぇ」    霧咲は立ち上がると、布団を敷いてもらえるようフロントに電話し始めた。亜衣乃は榛名の横で、頑張って睡魔と闘っているようだ。既に半分は負けているが。  榛名はそんな亜衣乃を抱き上げると、そのまま自身の膝の上に乗せて抱っこした。ゆるく抱きしめて、ぽん、ぽん、と一定のリズムで背中を叩く。まるで小さな子どもにするみたいに。  ぎゅ、と細い腕が榛名の背中に回された。 「アキちゃん、あったかいねー」 「このまま寝ていいよ。おやすみ」 「うん……」 (可愛いなぁ……)  自分の腕の中で寝息を立て始める亜衣乃をぎゅーっと抱きしめたかったが、起こしてしまうので同じようなペースで優しく背中を叩いた。そんな榛名と亜衣乃を見て、霧咲が苦笑している。 「……なんですか?」 「君、本当はどこかで母親業やってたんじゃない?」 「意味がわかんないです」  榛名はただ、自分自身が幼い頃に母親にされていたことを亜衣乃にしているだけだ。亜衣乃の歳の頃だと、もうそんなに甘えることは無かったが。 「もしかして、妬いてます?」  さっきもふと思ったことを聞いてみた。 「亜衣乃にか?」 「いや、俺に」 「……まあ、今までは俺の方に来てたからね、ちょっとさみしい気もするけど」  でもそれは、霧咲の他に甘えさせてくれる大人が居なかったからで。 「お役目、俺が取っちゃってすいません」 「いや、いいよ」  自分以外にも亜衣乃が自然に甘えられる相手が出来たのは、素直に喜ぶべきことだ。少し淋しいけど、妬いているわけではない。選択肢が増えたということなのだから。 「それに俺は、君を抱っこしなきゃいけないからね。亜衣乃の抱っこは任せるよ」 「な、なんか俺が抱っこをせがんでるみたいな……」 「何かおかしいかな?」 「普通におかしいでしょ」  寝具の用意をしてきた仲居がドアをノックしてきたので、二人の会話は途切れた。座卓を片付けて貰い、敷かれた布団にそっと亜衣乃を寝かせると、霧咲と榛名は掘りごたつのあるスペースへと移動することにした。  しかし、飲み直す前に…… 「誠人さん、俺ちょっと露天風呂に入ってきてもいいですか?」  榛名はずっと部屋の外にある露天風呂が気になっていたのだった。朝にでも入れるのだが、せっかくなのでできるだけ回数多く入っておきたくてソワソワしていた。我ながら貧乏性だと思うが、それは仕方ない。 「ん?ああ、もちろんいいよ」 「良ければ一緒にどうですか?エッチなことはしませんけど」 「えー、さっきは積極的だったのに残念だなぁ」 「だって今激しく揺さぶられたら吐きそうなんですもん、満腹だから」 「成程ね。でも君のことだから亜衣乃が寝てるから、って言うと思ったのに」  霧咲にもっともなことを言われて、榛名はつい赤面してしまった。亜衣乃が既に熟睡してるからとはいえ、途中で起きてくる可能性などは正直頭になかったのだ。 「と、とにかく入ってきますから!」 「俺も後から行くよ」 「はーい」 * 「寒!寒!さむ~っ!」  脱衣所は部屋の中だが、当然露天風呂は外だ。榛名は掛湯もそこそこに、湯気がもわもわと立っている石でできた露天風呂に飛び込んだ。 「うは……てっげぇ極楽ぅ……」  一瞬で酔いが醒めるほど外は寒く、冷えた体に熱めのお湯はあまりにも気持ちよくて、首まで浸かった状態で榛名は思わず方言で呟いた。これで本日3度目の入浴なのだが、何回入っても温泉は気持ちがいい。ゆったりと足が伸ばせるのもいい。  腹も膨れているし、酒も入ってるし、このまま目を閉じれば自然と眠ってしまいそうだった。 「おーい暁哉、風呂で寝るんじゃないよ、死んじゃうだろ」 「はっ」  霧咲の咎めるような声にハッと目を開けた。数秒間の記憶が無くて、どうやら本当に少し眠っていたらしい。霧咲が露天風呂に入って来たのも気付かなかった。 「す、すいません!いつ来ました!?」 「今だよ。ってほんとに寝てたの?危ないなぁ」 「あまりの気持ちよさについ……」 「気持ち良すぎて失神するのは、俺とセックスした後だけにしてくれよ」 「………」    冗談なのか本気なのか、多分どちらもだろう。 けれど本当に寝ていた手前、榛名に文句が言えるはずも無く。 「今日は楽しかったですけど、やっぱり色々精神的に疲れちゃって……」 「そりゃあ、人助けしたあとに職質されたんじゃ、さすがの君も疲れるよね」 「あと、亜衣乃ちゃんへのお説教が地味に……甘やかすのは楽しいですけど、やっぱり怒るのって大変ですね。理不尽になってもいけないからそれなりの理由を付けないとだし」 「そこまで難しく考えなくてもいいんじゃないかなぁ?亜衣乃は頭のいい子だから、たとえ君が理不尽に怒ってもきっとあとから理由を考えて理解するさ。子どもってそんなもんだろ?」 「俺はそんなに利口な子じゃなかったですよ……」  怒られるのは幾つになっても嫌だと思う。その理由が分からないことには怒る行為は無駄だと思うし、改めるのも難しいと思う。  しかし、世の中は理不尽に怒られることの方が多い上に理由まで説明して貰えることなどあまり無い。ならば、今から慣らしていた方がいいのだろうか。  榛名は暫し考え込んでしまった。 「君は本当に真面目だなぁ」  そんな榛名を見て、クスクスと霧咲が笑う。それももう聞き慣れたセリフだ。 「俺怒るのとか、相手が患者さん以外は慣れてないんです。はぁ、今度からは全部誠人さんにお説教して貰おうかなぁ」 「そんなの俺が嫌われるばっかりじゃないか。それに、亜衣乃は君から言った方が納得するよ」 「そうですか?」 「そうだよ。俺なんてよく『まこおじさんが言っても説得力ない!』なーんて生意気なことを言われるからな」 「朝からお酒飲んだりしてるからですよ」  たしかに霧咲はあまり『大人』らしくない。自由だし、ストイックそうな見かけに反して態度や言動もたまに子どもじみている。  けれど、幼い時からこんな大人が傍にいたらきっと自分も懐くだろうな、と榛名は思った。もっとも霧咲のそういう部分を感じ取れるのは、心を許している一部の人間だけだろうとも。 「温まったし、そろそろ上がろうか。飲み直そう」 「そうですね」 「あ、キスだけはさせてくれないか?」 「はいはい」  少し呆れながら返事しつつも、榛名は自分から霧咲の唇にチュッと軽く口付けた。そんな榛名に、霧咲は満足そうに微笑む。  そして、また寒さに耐えながら――最初程ではないが――二人で脱衣所に戻ったのだった。

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