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第159話 一緒にいるカタチ

 そのまま、何分が経過しただろうか。榛名は霧咲の胸から顔を上げて、ずずっと一回洟をすすりあげた。 「ごめんなさい。せっかく旅行の夜なのに、俺……」 「そんなこと気にしなくていいよ、少しは落ち着いたかい?」 「はい……」  そう言いながらも、榛名は霧咲から離れようとはしなかった。それでも泣き止んで少し冷静になると、さっきまでの自分の行動がひどく子どもじみた恥ずかしいものに思えてくる。  霧咲は、バツが悪そうな顔をした榛名の赤くなった目元にそっとキスを落とした。 「暁哉……中原のことで何か不安に思うことがあるのなら、どんな小さなことでもいいからすぐに言ってくれないか?俺は君が強いって思い込んでいたから、てっきり平気なものだと思ってたんだ……本当にすまない」 「誠人さんが謝ることないです。俺が見栄っ張りというか、平気なふりをしていただけですから。そう思い込んでいたっていうか」 「やっぱり、」 「だって、どうしようもないことじゃないですか」  そう言って、榛名はやっと霧咲の顔を見た。霧咲は眉間に皺を寄せて、ひどく戸惑っているような、困った顔をしている。そんな顔をさせたくはないのに、そんな顔をさせていることが少しだけ嬉しい、とも思った。 「どうしようもない?」 「どうしようもないんです。俺は過去の貴方まで自分のものにしたいと思うけど、そんなこと、不可能ですから」 「……暁哉」 「それくらい、俺は貴方を愛してる。だからどうしようもないんです……」  榛名がこんなに悩むのも。  霧咲の昔の恋人に嫉妬するのも。  全て霧咲を愛しているからなのだ。どちらも切り離すことは出来ない。  だから、受け入れるしかないのだ。答えはもう、最初から出ていた。 「……困ったな、今すぐ君を抱きたくて仕方ないよ」 「また露天風呂、入りますか?」 「そうだね……寒いけど、すぐに温かくなるかな」 「なるでしょう……すぐに」  どちらともなく立ち上がり、再び脱衣所に移動して。亜衣乃を起こしてしまわぬように出来るだけ声や音を殺して、2人は露天風呂の中で愛し合った。 * 「……君が不安になったのはさ、いわゆるマリッジ・ブルーってやつなんじゃないのかな」  夜中の甘い情事のあと、露天風呂の中で向かい合わせに榛名を抱っこしながら霧咲が言った。酔っていたのであまり激しいセックスでもなかったが、それでもお互いを深く感じ合うことができたし、気持ち良かった。霧咲は優しく腰を撫でて榛名を労る。 「え?それって女の人が結婚前によくなるっていう?」 「男だってなるさ。女性の方によく使われるみたいだけど」 「はあ、マリッジ・ブルー……」  確かに、言われてみればそうなのかもしれない。  霧咲と結婚するに辺り、本当に自分はやっていけるのか、周りを気にしないでいられるのか、親との関係はどうなるのか、うまく子育てができるのか――など、悩みは尽きないでいた。 「……ねえ暁哉、君、本当は結婚はしたくないんじゃないのかい?」 「え!?何言ってるんですか!?」  霧咲の言葉に榛名はあまりに驚いて、思わず大声を出してしまいすぐに口を押さえた。 「勘違いしないでくれよ。君の愛を疑っているわけじゃないから」 「じゃあ何でそんなこと言うんですか?大体俺の方からだってプロポーズはしたのに!」  霧咲が何度も確かめるように不安な顔で『結婚しよう』と言うものだから。少しでもその不安を解消してあげたいと思い、自分からも言ったのだ。 「だからね……俺は君を愛しすぎて絶対に手放したくないがために、君の気持ちをあまり考えずにいたと思うんだ。焦りすぎていたっていうか」 「愛してる気持ちは同じです!」 「うん。俺が言いたいのはね、一緒にいる形に拘りすぎてたかなってことだよ」 「カタチ……?」  霧咲の言いたい事があまりよく分からなくて、榛名は子どものように首を傾げた。その仕草と表情があまりにも可愛くて、霧咲は思わず榛名にキスをしてしまった。 「ンッ……もう、誤魔化さないでくださいっ」 「今のは君が悪いんだ」 「はぁ?」  理解するのが遅い自分が悪い、ということなのだろうか。でも何故キスをされたのかは分からない榛名であった。 「とにかくね、君は俺と会うまでは普通に女性と結婚する気でいただろう?男と結婚なんておろか、付き合うってことすら考えていなかったはずだ」 「はい……それは、まぁ」  霧咲と出逢う半年前まで、榛名は自分をノーマルだと必死で思い込んでいた。その上、子どもじみた結婚観を滔々と霧咲に語っていたのはよく覚えている。  今思えば、それだけ自分は真剣な恋愛をしたことが無いと言っていたのも同然で、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい思い出だ。 「で、でもそれがどうしたんですか?俺は誠人さんに出逢ってから変わったんです、初めて自分からこの人とだったら結婚したいって思えて」 「それは分かってるし、すごく嬉しいよ。俺が言ってるのはね、君がまだ現実と想像のギャップに付いていけてないんじゃないかってこと」 「………」 「もし君が女の子だったなら、将来は好きな人と結婚して、名字が代わるのも抵抗なく受け入れて、子どもを作ってお母さんになって――と、少なからずそういう流れを小さい頃から自然にシュミレーションしていたと思う。男だったらまた別のシュミレーションをするよね。君が俺に出逢う前のような、さ」 「……はい」  しかし榛名のそれはほぼ惰性というか、決してウキウキするシュミレーションではなかったけれど。 「でも、君は男だ。なのに男の俺と結婚することに……まあ、養子になるわけだけど、今までシュミレーションしていた将来とは全然違う未来を歩もうとしているわけだ」 「………」  榛名は黙って聞いていた。霧咲から目を逸らさずに。 「そういうことをね、頭では理解していてもまだ心が付いていってないんじゃないかなって思ったんだ。俺の両親はもういないけど、君も長男だし、ご両親もまだまだご健在だ。俺と結婚するって報告するのはかなりの勇気がいるだろう」 「でも俺は、どんなに反対されても誠人さんを手放す気はありません。たとえ、勘当されたって……」 「暁哉」  思いつめたような顔でそんなことを言う榛名を、霧咲は名前だけで諌めた。そして、長い指で優しくその白い頬をつるりと撫でる。 「……俺は、君にご両親との縁を切って欲しいなんて全く思わない。俺との関係を貫き通すために、君が他人から変な目で見られても仕方ないとも思わない。……だから無理にカミングアウトして、俺と籍を入れなくてもいいんだよ」 「………」  霧咲が、榛名を傷つけないように一生懸命言葉を選んで話しているのが伝わる。自分がこの旅行中に……否、今まで自分でも良く分かっていなかった形のない不安を、霧咲は分かっていてくれたのだ。

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