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「あれ、二宮さん今日はお休みだったんじゃないですか? たしか昨日友人の結婚式だから二連休取るんだって技士長から聞いてましたけど……」  朝、男子ロッカーで会った榛名に挨拶をしたあとそう言われた。さすがは看護師主任というか、今日(月曜日)の日勤のメンバーはきっちり先週末から把握していたらしい。 「ええっと今朝、急に堂島から具合悪いから日勤を変わってくれって連絡がありまして……」  具合が悪いのは本当だが、それは昨日調子に乗った二宮が堂島を抱き潰したせいだった。今朝、堂島が憮然とした顔で『立てません』と言ったので、代わりに身体はダルいが動ける二宮が出勤した。  二宮は一応こうなることは昨夜の三回戦前に予想していたし、もし堂島が明日仕事に行けなかったら自分が行こうと既に思っていた。 「え、ホントですか。堂島君大丈夫かな……一人暮らしですよね?」 「帰りに俺が様子見に行くんで、榛名さんは心配しなくていいですよ」 「そうですか、それなら……。ていうか二宮さん、本当堂島君にすごく優しいんですね、二人がそんなに仲良かったって最近まで知らなかったです」  少し呆然としたような顔でそう言う榛名に、二宮は少しの罪悪感を覚えながら曖昧に笑って「まあ、先輩後輩ですし」と前と同じような言い訳をした。 ──今朝のこと。 二宮は堂島が掛けていたスマホのアラームで目が覚めた。昨日三回も激しく抱いたせいでなかなか起きない堂島を『朝だぞ』と揺り起こしたら、堂島は二宮を睨みつけながら── 『……全然立てないッス。今日は先輩が俺の代わりに出勤してください。俺はまだ有給が残ってるんで……』 と言い、二宮は『すまん』と謝りながらそれを了承した。 その後は大急ぎで堂島宅でシャワーを浴び、タクシーを呼んで自宅に戻り、すぐに着替えて朝食も食べずに職場へ直行した。なので今はなかなかの空腹だが仕方ない。あとで透析室の休憩室に置いてある、誰でも食べれるおやつを少し頂戴しようと思っている。 正直、堂島には悪いことをしたと思っている。けど昨夜はどうしても我慢出来なかった。 自分でも理由は分からないけれど、二宮は堂島が欲しくて欲しくて─―『もう無理ですってぇぇ!!』と泣き叫ばれてベッドから逃げようとする堂島を捕まえて更に抱いた。無性に興奮が収まらなくて。 しかし決して乱暴にはしなかったはずなのに、しつこ過ぎたせいか、今朝方『昨夜は本当にウイスキーは飲んでなかったんでしょうね……』と疑われもした。 ウイスキーを飲んだ自分がいつもどういう風に堂島を抱くのか覚えてないので、いまいち実感は無いものの、こういう感じなんだろうか? と二宮は思った。 「結婚式はどうでしたか?」 榛名が制服の白衣に着替えながら、二宮に昨日のことを尋ねて来た。単なる世間話だ。 「あ、ああ。良い式でしたよ、ガーデンウエディングに呼ばれたのは初めてですが、風も気持ちよくて桜も綺麗で……」 「へえ、いいですね。俺も6月に友人の結婚式があるので楽しみです」 「そうなんですね。そういえば主任は霧咲先生と──」 霧咲先生と結婚式は挙げないんですか? と、当たり前のように聞きそうになって二宮はそんな自分にびっくりした。 「えっと……霧咲先生と、なんですか?」 「い、いえ……すいません、出過ぎたことを聞くところでした」 「まだ何も言ってないじゃないですか」 そう言って榛名はくすくすと朗らかに笑った。きっと二宮の言わんとしていたことは伝わったに違いない。直前に結婚式の話をしていたのだから。  ロッカーに他に人がいなくてよかった、と思った。 「すみません……つい」 「いいえ、むしろありがとうございます、当たり前みたいに聞いて下さって──って、何も言ってなかったんでした。でも嬉しいです」 「……もしそうなった時は、絶対に俺も呼んで下さいね」 「はい、今の所予定は無いですけど……いずれ実現出来たら是非、来てください」 霧咲との結婚式を想像して嬉しそうな、でも少しだけさみしそうな榛名の横顔を見つめて、二宮は山下のことを考えた。 ──世間体のためだけに好きでも無い相手と結婚した山下。子どもまで儲けて、でも裏ではコソコソと男と浮気をして、そんな生活が死ぬまで隠し通せるものだろうか……いや、親が死んだり子供が独立したら別れるつもりなのかもしれないけど……そこまでは二宮にも分からない。 『堂々と男同士で付き合ってますって宣言して一緒にいる方がおかしいだろ、こんな差別だらけの世の中でさ』 あれは、二宮自身にも向けられた言葉だった。少しずつ世間のマイノリティーに対する理解や関心が深まってきたとはいえ、まだまだ同性カップルに対する目は厳しい。 現に二宮はまだ自分の親にもカミングアウトしていないし、親しい友人である坂口にも「またやらかした」と伝えただけで、その相手と今付き合っていることも言ってない。職場の人たちにも伝える気はないが、バレたら少し居心地が悪くなりそうな気はする。(でも霧咲と榛名のことは受け入れられているので、そこまでハードルは高くない) 今の所誰も──知らないのだ。二宮と堂島の関係を。 そんなことをわざわざ他の誰かに言う必要は無いと思っていたが、このまま堂島と長く付き合っていればいずれ問題は必ず出てくるのだろう。 二宮には結婚願望は全くと言っていいほどないので、ずっとこのままでもいいかと思っているが、堂島の方は分からない。 この先自分と、もしくは自分と別れて女性と結婚したいと思っているのだろうか……? 「二宮さん?」 ハッ ぼうっとしていて、着替える手が止まっていた。じっと自分を見つめている榛名に『まだ目が覚めてないのかも』と誤魔化しつつ、急いで着替える。 すると榛名が、顔を赤くして言いにくそうに二宮に言った。 「あの……二宮さん」 「はい?」 「えっと、その……今、彼女がいらっしゃるんですね。首、凄いことになってますけど……」 「え?」 ロッカーの内側に付いている鏡で何気なく首を確認すると、幾つかのキスマークや歯型がしっかりと付いていた。 「!? 」 いつの間に、こんな。 そういえば2回戦の終わりごろ、堂島に思い切り抱きつかれて、快感を逃すために何度も噛まれたような……気がする。今朝はかなり急いでいたので、痛みに特に気にならなかった。それにしても鈍すぎる。 「よ、良かったら後で湿布を貼りましょうか? 寝違えた事にできるかも……」 「すいません榛名さん、お願いします……」 しかし堂島にこんなものを付けるな、と説教することは出来ない。そもそもそんな判断が出来なくなるくらいに、激しく抱いた自分が悪いのだから。 それに痕を付けられるのは束縛されているようで、少し嬉しくもある。 ただ今日の帰りに堂島の部屋へ寄る際は、湿布は剥がして行こうと思った。二宮がこんな激しいセックスの痕を周囲に堂々と晒しながら仕事をしていたのだと勘違いしたら、堂島はいったいどんな反応をするのだろう。 ──想像しただけで面白い。 「でも二宮さん、なんか嬉しそうですね……もしかして湿布貼るとか余計なお世話でしたか?」  二宮は無意識で痕を触ってニヤついていたらしく、珍しく榛名にからかわれた。 「はい!? いやいやそんな、勿論貼ってください!!」 「ふふふ。こんな目立つところに痕を付けられて喜ぶなんて、二宮さんの意外な一面を見ました」 「はは……」 二宮に痕を付けた相手が堂島だと知ったら、榛名はいったいどんなリアクションを取るのだろうか。いずれそれも見てみたい。 ──だから。 「……榛名さん、今度は俺の惚気話も聞いてくれますか? 相手も紹介したいですし」 「えっ!? も、もちろん喜んで……っていうかノロケを聞くのが俺でいいんですか?」 「榛名さんだから、ですよ」 「はあ……」 榛名は腑に落ちない顔をしている。きっと以前自分が自然に二宮に惚気けたことを、覚えていないのだ。 『俺、別に男が好きなわけじゃないですよ、霧咲さんだから、好きなんです』 あれは二宮が今まで色んな人間から聞いた惚気の中でも、最上級に羨ましい言葉だった。いつか自分もそんなことを言われてみたい、もしくは言いたいと思っていた。 でも近々、それは叶いそうだ。 しかし、それまでにあの問題をどうにかしないといけない。 今二宮のスマホには、既読にはしていないが山下からの『次、いつ会える?』と恋人気取りのようなメッセージが残っていた。

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