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『僕をブロックしたり、メッセージを無視したら、仁科に全部言うから。二宮君が昔僕を無理矢理レイプしたことも、今男と付き合っていることも全部ね』 「………」 (憧れの人に抱かれて嬉しかった、と言っていたのにな……) 二宮はとりあえずメッセージを既読にしておいた。これで一応完全に無視したことにはならないだろう、と思う。返事は帰宅後にするつもりだ。 山下は自分に固執しているようだし、少し放っておいたところですぐに彼の切り札──仁科に話したりはしないだろう。 (別に事実だから仁科に言っても構わないけど、そうしたらダメージを受けるのはむしろ――……) 「ふぅ……」 「大丈夫? 二宮君。今日は休みだったのに悪いね~、でも来てくれて助かったよ」 休憩中にスマホを見て軽くため息をついたら、技士長に声を掛けられた。 二宮や堂島の直属の上司である臨床工学技士長の|暮林《くればやし》は、40代後半の痩せぎすで少し額の広い、気の良い人物だ。わりと歳が離れている堂島ともよく話すし、それは二宮も同じだった。 「堂島君は大丈夫なの?」 「……熱が出たって言ってました。帰りに様子を見てきます」 堂島を休ませた原因が自分なだけに、言い訳するのも少し心苦しい。 「熱かあ、インフルエンザじゃないといいけど……もしそうなら二宮君も気を付けてね」 「だ、大丈夫じゃないですか? あいつ予防接種受けてたし」 インフルエンザじゃないことは確実に分かっているので、二宮はそう言うしかない。 ちなみにT病院職員はほぼ全員がインフルエンザの予防接種を受けている。流行り始めた頃に榛名が透析スタッフ全員分のワクチンのアンプルを透析室に持ってきて、看護師はきゃあきゃあ言いながら互いに注射を打ち合い、MEは全員榛名に打って貰った。(他の看護師がヘタな訳では無いが、なによりも打つ時に変に脅かしたりしないからだ) 普段は自分たちも患者に穿刺をするが、予防接種などはまた違うジャンルの医療行為なので、MEには出来ないのだ。 「MEの人数が少ないからロクに休みも取れなくて大変だよね、でも4月に新人さんが二人入ってくるからそれまで頑張ろうね」 「そういえば新人が入るんでしたね」 「うん、二人とも新卒だから今度は指導が大変かもしれないけどー……」 「俺……はもちろん指導係に付いてますよね?」 「うん、ごめん」 「はは、別にいいですよ」 現在MEの数は技士長を入れて4人だ。(最後の一人は大森といい、二宮より年上で既婚の子持ち、中肉中背のおっとりした人物だ)更にもう一人いたのだが、月末に退職する予定で今は有休消化で休んでいる。 「堂島君にも新人一人付けるつもりだし、まあでも基本的には皆で教えるからね、困ったことがあったら何でも言って。って二宮君は大丈夫かぁ」 「いえ、よろしくお願いします」 来月からMEの新人が二人と、看護師の新人が一人、透析室に入ってくる予定だ。中途採用は今までもあったが新卒の新人は久しぶりで、しかも堂島は初めて新人指導につくので、また色々と忙しくなるかな、と二宮は思った。 「ところで二宮君、首大丈夫? 痛むの?」 「だ、大丈夫です! ちょっと昨日寝違えてしまって……!」 「ははは、まだまだ二宮君も若いなぁ~」 ……なんとなく、バレている気がする。 寝違えなんて一日で治るが、さすがに噛み跡は一日では消えない。明日からはこの痕はいったいどう誤魔化せばいいか、二宮は頭を抱えた。 ――それと、山下のことも。 * 仕事帰り、二宮は榛名や暮林に宣言した通りに堂島のアパートへ寄った。単純に身体の調子が心配だったのもある。 インターホンを鳴らすと、昨日よりも早いタイミングでドアが開いた。 「二宮先輩、お疲れ様です!」 堂島が明るい笑顔で迎えてくれたので二宮はホッとした。当然と言えば当然だが、今朝はずっと口をへの字にして怒っていたので……。 「おうお疲れ。身体は大丈夫か?」 「ん~まあまあっスね。でも一応近所のスーパーくらいは行きましたよ。二宮先輩、夕食食べてくでしょ?」 「え……何か作って待っててくれたのか?」 家に寄って帰るとメッセージは事前に送っていたのだが、夕食の用意までしてくれているとは思わなかった。二宮はまた意外で健気な堂島の一面に軽い感動を覚えた。 「つっても、簡単に焼きうどんですよ? あとは惣菜を少し……」 「食ってくよ。ありがとな」 二宮はそう言って、堂島の頭をクシャッと撫でた。こうするといつも『へへっ』と子どものように無邪気に笑うから、その顔が見たくてつい職場でも頭を撫でてしまうのだ。 (かわいい……) 山下には責任を取るという名目で付き合い始めたと言ったが、もうそんなものは建前ですらなかった。 「さ、早く食べましょー!さっき作ったばっかなんで、まだ温かいですし」 頭を撫でたあと何故かジィッと見つめてくる二宮の視線から逃げるように、堂島はサッと二宮に背中を向けた。けど二宮は、そんな堂島を捕まえるように手を伸ばし、後ろから抱きしめた。――昨日のように。 「堂島、好きだよ」  素直に感じたまま気持ちを伝える。昨日みたいに逃がさないように激しく抱き締めるのではなく、あくまでスキンシップのような優しいハグをしながら。 「……っ二宮先輩、昨日からなんかテンションおかしいッスよ? オトモダチの結婚式を見て変なスイッチ入っちゃったんですか?」 「んー、そうかもな……」  けど、それはあまり関係ない。仁科は幸せそうだったし素敵な結婚式だったけど、自分があの場所に立つ想像は一度もしなかった。 「他人の結婚式見たら結婚したくなる人っていますよねぇ。ちなみに俺のほうが受け身ですけど、俺はぜーったいにドレスなんか着ませんからね! なーんて」 「え?」 別に二宮は堂島にウエディングドレスを着せるつもりも、結婚式を挙げたい訳でもなかった。ぽかんと口を開けて自分を見つめている二宮を見て、堂島は自分の軽い冗談の真の意味に気付いてハッとした。 「あ、いや、違……」  二宮の方を振り返った堂島は、耳まで真っ赤になっていた。そのまま激しく狼狽えて、二宮の腕を振りほどいて必死で否定し始めた。 「──堂島、」 「ちょ、違いますよ!? 今のはなんつーか言葉のあやって言うかその、とにかく違いますからね!? 分かるでしょ!?」  二宮の元から後ずさる堂島を、二宮はゆっくりと追いかけてじりじりと壁側に追いつめた。1Kの狭い部屋なのですぐに追いつくのだ。 「二宮先輩!」 「分かってる、ていうか俺も二日連続で抱き潰したりしねぇからそんなに怯えるなよ」 「いや分かってねぇし!」 「分かってるって、とにかく今は抱きしめさせてくれ」  二宮は今度は正面から堂島をギュッと抱きしめた。堂島はもうヤケクソと言わんばかりに叫ぶ。 「ちょ、……もぉぉぉ、二宮先輩ほんとに分かってんですかぁ!? あーもう恥ずかしすぎる!! 俺はどこの乙女チック野郎っスかマジで!! 自分で自分が嫌だぁぁー!!」 (何でこんなに可愛いんだ、こいつ) 「だから、分かってるって……」 「絶対分かってなぁぁい!!」  責任を取って付き合っている、なんて。  そんな気持ちはもうとっくに無い。  堂島に好かれている自信はあるけれど、それよりももう、自分が手放せない気持ちのほうが遥かに大きい。   今まで誰と付き合っても、こんな気持ちになったことはない。  好きだとか、大切にしたいとか、全てひっくるめて……  いとおしい。 「あー……今すぐ抱きてぇ」 「いや、二宮先輩マジで元気すぎっしょ……疲れてないんですか?」 「疲れてる。超疲れてる」 「じゃあいい加減にメシ食いましょうよぉ~」 「……一回だけ」 「今日はマジでダメです」 その後二宮は『もぉいい加減にしてください!』となかば無理矢理引っぺがされるまで、堂島を抱きしめていた。

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